| 糸井 | 八木澤商店の九代目の河野通洋さんとの 話のなかにも‥‥。
 
 | 
      
        | 田村 | ええ、ええ。 
 | 
      
        | 糸井 | 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の 西條剛央さんとの話のなかにも、
 「ヒゲのおやじの田村さん」が出てきて。
 
 | 
      
        | 田村 | すんまへん。 
 | 
      
        |  | 
      
        | 糸井 | いや(笑)、テレビのニュースを見ていても 自分とこの敷地に
 自衛隊のテントなんかを張らせていたりとか。
 
 | 
      
        | 田村 | ええ、そうですね。 
 | 
      
        | 糸井 | 警察関係もいたみたいですし‥‥。 
 | 
      
        | 田村 | 救援物資の拠点にもなってましたし、ここは。 
 | 
      
        | 糸井 | はー‥‥。 
 | 
      
        | 田村 | その物資を運ぶにしても 行政の対策本部のほうが手いっぱいだから
 うちのほうで
 やってくれないかって、お願いされたり。
 
 | 
      
        | 糸井 | ‥‥なんか、みんなの話を聞いていると 震災直後のあらゆる申し出を、
 ろくに検討もしないで
 「いいよ、いいよ」ってオッケーしていたフシが‥‥。
 
 | 
      
        |  | 
      
        | 田村 | そうです、そうです。 
 | 
      
        | 糸井 | やっぱり(笑)。 
 | 
      
        | 田村 | ご存知かもしれませんけれど、 陸前高田は
 下(低地)が津波で流されてしまったので、
 広い場所というのが、
 ここ以外には、なかなかないんですよ。
 
 | 
      
        | 糸井 | なるほど。 
 | 
      
        | 田村 | ぼくは、ぜんぶ受け入れています。 
 なぜかというと、
 みなさん、この地域を何とか助けたいって
 来てくれてるわけですから。
 
 ですからもう‥‥大歓迎だよな?
 
 | 
      
        | 松田 | はい、そういうみなさんの役に立てるなら、 それだけで嬉しいですね。
 
 | 
      
        |  | 
      
        | 糸井 | うん、うん。 
 | 
      
        | 松田 | あ、私、陸前高田の出身で いまは盛岡でワインバーをやっている
 松田宰といいます。
 
 ごあいさつが遅れまして‥‥。
 
 | 
      
        | 糸井 | いえいえ、こちらこそ。 糸井重里です。
 
 | 
      
        | 田村 | ‥‥ですから、我々としては 「お願いします」というだけでしたね。
 
 | 
      
        | 糸井 | ああ‥‥。 
 | 
      
        | 田村 | わたしたちも、この松田も、うちの社員たちも あの「3月11日」からこのかた、
 ずーっと、
 ひとつのことを話し続けてましたんでね。
 
 「生き残った我々の存在価値って何?」と。
 
 | 
      
        |  | 
      
        | 糸井 | なるほど。 
 | 
      
        | 田村 | 津波に流されてしまったけれど、 このまま、地域がなくなってしまっちゃあ、
 我々も存在できないんだって
 ずうっと、みんなで話し合っていたんです。
 
 だから、
 地域のためになることなら何でもやるぞと。
 
 | 
      
        | 糸井 | 大変だったという言葉では足りない、 お辛いことが、多かったと思うのですが。
 
 | 
      
        | 松田 | そうですね、それは‥‥。 
 | 
      
        | 田村 | ‥‥中小企業家同友会の仲間で 少林寺の道場を開いている奴がいるんです。
 
 | 
      
        | 糸井 | はい。 
 | 
      
        | 田村 | その弟子のなかのひとりに、 奥さんと3人のお子さんがいらっしゃった
 30代の弟子がいたんです。
 
 | 
      
        | 糸井 | ええ。 
 | 
      
        | 田村 | 津波で、 奥さんと2人のお子さんは亡くなりました。
 
 で、本人は、
 あとひとり行方不明になっていた男の子を
 必死になって探すんです。
 
 | 
      
        | 糸井 | ‥‥はい。 
 | 
      
        |  | 
      
        | 田村 | ぼくの友だちは師匠ですから どうにか、その弟子を救いたいと思うんですが
 彼のあたまは
 お子さんを捜し出すことで精一杯で。
 
 | 
      
        | 糸井 | そう‥‥なんでしょうね。 
 | 
      
        | 田村 | 道場主は、 「こいつ、もしかしたらば、
 その男の子が見つかった時点で
 命を亡くすんじゃないだろうか」
 と思うわけです。
 
 だから、どうしても、阻止したいと思って
 いろいろ話をしたりするんですが‥‥。
 
 | 
      
        | 糸井 | ‥‥ええ。 
 | 
      
        | 田村 | 結果的にお子さんは、見つかりました。 
 お弟子さんが、そいつのところに
 「見つかったー!」って、走って来たんです。
 
 | 
      
        | 糸井 | はい。 
 | 
      
        | 田村 | その2日後に、彼は遺体で見つかるんです。 
 | 
      
        | 糸井 | ‥‥そうですか。 
 | 
      
        | 田村 | そういうことは、いっぱいあるんですよね。 
 | 
      
        |  | 
      
        | 松田 | でも、でもですね、 「つらいときの笑顔」って、最高なんです。
 
 私がやっている盛岡のワインバーに
 陸前高田から、
 飲みに来てくれたお客さまがいるんですね。
 
 | 
      
        | 糸井 | ええ。 
 | 
      
        | 松田 | 盛岡のホテルにお泊まりになり、 そこで、一週間ぶりにお風呂に入って‥‥。
 
 でも、もうひとつやりたいことがある、と。
 
 | 
      
        | 糸井 | はい。 
 | 
      
        | 松田 | それは「ワインを飲むことだったんだ」って。 
 | 
      
        | 糸井 | なるほど、なるほど。 
 | 
      
        | 松田 | そのかたが、本当に美味しそうに ワインをお飲みになっている姿を見ていたら
 この仕事をやっていて
 本当に、本当によかったなと思いました。
 
 | 
      
        | 田村 | こいつ、 海辺に建ってた「キャピタルホテル1000」てのに
 勤めていたんです。
 
 でも、震災前に独立してワインのバーを、な?
 
 | 
      
        | 松田 | はい。 
 | 
      
        | 糸井 | じゃあ、この地域のことをよーくご存知で。 
 | 
      
        |  | 
      
        | 松田 | はい、それはもうお世話になりましたので。 
 ですから、今度の震災が起きてからも、
 陸前高田に対して
 盛岡から何かできることはないか‥‥と考えまして
 田村さんと
 「チーム・クレッシェンド」を結成したんです。
 
 | 
      
        | 糸井 | クレッシェンドって‥‥。 
 | 
      
        | 松田 | イタリア語で「月」という意味なんです。 
 「三日月が、だんだん満ちていって
 さいごには、満月になるように‥‥」
 という思いを込めて、
 これから復興へ向けた活動をしていこうと。
 
 | 
      
        | 糸井 | なるほど。 
 | 
      
        | 松田 | それに、満月の「満」は この「田村滿」さんの「満」でもあって(笑)。
 
 | 
      
        | 糸井 | はー‥‥、そうか!(笑)。 
 | 
      
        | 田村 | ぼくのは旧字体なんですけどね。 
 | 
      
        | 松田 | ぼくたち、まわりの人間には 「滿(まん)ちゃん」って呼ばれてます。
 | 
      
        | 糸井 | 滿ちゃん。 
 | 
      
        | 田村 | そう、コールミー 滿ちゃん プリーズ。 | 
      
        |  | 
      
        | <つづきます> |