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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-04-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ふだんから、じぶんのことは
 「たいしたことないやつ」だと言って、
 「ほぼ日」というチームのことも、
 「たいしたことないやつ」の集まりだと言っている。
 さらには、言い方によっては角が立つけれど、
 ほとんどすべての人間は「たいしたことないやつ」
 であるとも思っている。
 だって、つまりは、「人間だもの」である。
 どんなすごい人間でも、人間なので、人間以上じゃない。
 神やら仏やら超人やら怪物ではないのだから、
 すごいといっても「たいしたことはない」。
 おそらく、大谷翔平でもアインシュタインでも、
 「たいしたことないです」と言うだろう(と思う)。

 そういう「たいしたことないやつ」らが、
 なかなか「たいしたこと」をできるのがおもしろいのだ。
 「たいしたことないやつ」のままで、十分なのだし、
 「たいしたことない」はずだったのに、
 「なんだかすっごいじゃんっ!」と、
 他人もじぶんも笑っちゃうようなことができるのだ。

 じぶんや、じぶんたちを
 「たいしたことない」とわかっていて、
 その実寸のままで跳んだり走ったりしていると、
 ありゃま「たいしたことなくないんじゃない?」
 みたいなことができたり起こったりするのだが。

 そういうことを忘れて、
 「たいしたこと」をしなきゃとかとか思うと、
 できなくなっちゃうんだよねーー。
 だいたい、「しなきゃ」と思ってるときは、
 硬いし苦しいしおもしろくないしね。

 じぶんは、「たいしたことない」けど、
 この場面に立てるのはおもしろいなぁ、とね。
 そうやって「たのしむやつ」が最高だよと、
 孔子さんも言っているくらいだ。

 なのに、こんなこと書いてるじぶんが、
 これをなかなかやれてないのも、「人間だもの」だね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
矢沢永吉はステージの前、じぶんに「たのしめ!」と言う。


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