糸井重里
・ぼくは、「ほぼ日刊」と言いつつ、
とうとう27年以上も毎日、ここでなにか文を書いてきた。
そのことについて呆れられたり、感心されたりもしたが、
本人であるぼくは、それほど自慢したおぼえはない。
ま、こうやって、ときどきネタにしているくらいのことだ。
それは、人並みにめんどくさいという気持ちはあるし、
眠かったり疲れていたりする夜や早朝に、
もうひとつだけ原稿書きの仕事があるというのは、
いくら慣れたとはいえ、ご苦労なことではある。
しかし、早朝までになんとか書いた原稿を
送信し忘れてあわてたことは何十回もあるけれど、
書かないままで寝てしまったこととかは、まだ一度もない。
どう説明すればいいのか、その、
「できないことしているわけじゃない」というのが重要だ。
世界陸上に出場していた選手たちのやっていることは、
ぼくには絶対にできないことだけれど、
毎日、とにかくなんかしら書くというのは、うん、
あえていえば、これは、だれにでもできることだ。
書いたものの質の良し悪しは問わないとしたら、
できないことでは絶対にない。
そして、そのことは、じぶんにとって
すばらしい機会なのだということがわかった。
すばらしい機会とわざわざ言うには理由がある。
それは「毎日、締め切りがある」ということだ。
27年以上、毎日締切りがあるとは、まるで悪夢だが、
それがあるから「考えているし、書いている」のだ。
出来不出来を本気で言ってたら、書けっこない。
しかし、出来はともかく「なにか書く」というとき、
その「なにか」を必ず入れるということが、
その書き手にとっての「機会」であり「練習」なのだ。
締め切りがなかったら、「なにか」を見つけなくてもいい。
締め切りがなかったら、いい出来になるまで
ずっとうろうろしていて書けなくてもいいことになる。
毎日の締め切りに間に合わせて「なにか」を考えたり、
それについてなんとか書いたりして、ぼくは過ごしてきた。
これをしていなかったら、もしかしたら、
寡作の名文家になっていたか…それはないな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほぼ日手帳も「毎日の締め切り」だと思うのは、いかが?
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