| 田村 | われわれは、津波で残った建物を 将来世代に残していきたいという希望があるんです。
 
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        | 糸井 | 壊したりせずに。 
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        | 田村 | 9世紀の貞観の津波のときの言い伝えが きちんと残っていれば、
 こんなふうになってはいなかったんじゃないか、
 という思いがあって。
 
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        | 糸井 | つまり「覚えておく」ために、ですね。 
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        | 田村 | ぼくたちは、大げさではなく この地域の1000年後のことまで考えています。
 
 そうすると、やはり
 「残さなくてはならないもの」が、あって。
 
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        | 糸井 | なるほど、なるほど。 
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        | 田村 | 学びの地にしていきたいと思っているんです。 
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        | 糸井 | うん、うん。 
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        | 田村 | いま、ボランティアのみなさんにしろ、 自衛隊にしろ、警察のみなさんにしろ、
 たくさんのかたが
 ここ陸前高田に入ってきてますでしょ。
 
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        | 糸井 | ええ。 
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        | 田村 | そして、みなさん、 陸前高田のために汗を流してくれている。
 
 そのようすを
 地域の子どもたちが見ているんですね。
 
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        | 糸井 | そうですね。 
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        | 田村 | つまり、そういう子どもたちをはじめとした われわれ住民のあいだには
 感謝の気持ちが、たくさん湧いているんです。
 
 それって、すごく大切なことだなと思って。
 
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        | 糸井 | ええ、ええ。 
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        | 田村 | 家を失った子どもたちは仮設住宅にいますから いまは、
 以前よりも親との距離が、縮まっているんです。
 
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        | 松田 | 仮設って、狭いですから。 
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        | 糸井 | なるほど、物理的な距離が近いんだ。 
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        | 松田 | そうなんです。 
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        | 糸井 | つまり、いやでも「コミュニケーション」を 取らざるをえない状況なわけですね。
 
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        | 田村 | だからこそ、いいチャンスだと思っています。 
 失業保険が延長されたということで
 どうしても「楽なほう」に
 流されてしまう人も、いるわけですけれど
 それでは、もったいないなぁと。
 
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        | 糸井 | そうですか‥‥。 
 いま、ここでつくることのできる仕事の種類も
 やっぱり限られてきますものね。
 
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        | 田村 | はい、そうですね、限られるとは思います。 
 でも徐々に、
 さまざまな仕事が、つくられつつあります。
 
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        | 糸井 | それは、すばらしいです。 
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        | 田村 | ただ‥‥。 
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        | 糸井 | はい。 
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        | 田村 | 現在、この陸前高田市では 「12.5メートルの防潮堤をつくる」
 だとか、
 「町全体を5メートルかさ上げする」
 という議論があるんです。
 
 そのためには、5年かかるんですって。
 
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        | 糸井 | 5年。 
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        | 田村 | それまで、はたらく意志のある住民は、 立ち上がる意思のある企業は、どうすればいいのか。
 
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        | 糸井 | そうか、かさ上げしているうちは 何にも手がつけられないわけです‥‥ものね?
 
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        | 田村 | そう、そのあたりのことが いっさい解決されていないんです。
 
 だって、いま仮設に入っているかたがたが
 いったい何を望んでいるのか‥‥。
 
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        | 糸井 | はい。 
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        | 田村 | 「いつ、俺の家、持てんだべなー。 この仮設、いつ出れんだべなー」ですよ。
 
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        | 糸井 | そうですよね。 
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        | 田村 | それを「5年、待ってくれ」と言うのは どうも違うんじゃないかなって気がして。
 
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        | 糸井 | うん、うん。 
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        | 田村 | 商売をやりたい人たちだって、 いまから5年、待ってからはじめるのでは
 なかなか難しいわけです。
 
 生活があります。
 
 5年も待ってらんないどころか、
 できることなら、いますぐ再開したいんです。
 
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        | 糸井 | そうでしょう。 
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        | 田村 | 我々は、そのひとつの「きっかけ」として、 朝市などをはじめたんですね。
 
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        | 糸井 | ええ、動き出してるんですよね。 
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        | 田村 | ごらんになったかもしれませんが、 街のいろんなところに店が立っています。
 
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        | 糸井 | ええ、見ました。 
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        | 田村 | ああいうことで、本当にいいのかどうかは 正直、わからないわけです。
 
 でも、やってみなきゃあ、ダメだと。
 
 だって、お店を開いてる人と買い物に来る人、
 両方の顔が、すっごく輝いているんです。
 
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        | 糸井 | いいですね! 
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        | 田村 | その光景を見たら 「ああ、このことがきっかけとなって、
 もっともっと
 お店ができればいいなぁ」と、思いました。
 
 我々はもう、
 歩きながら考えていくほかないのでね。
 
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        | 糸井 | ぼくたちも、この地域を「歩いて行く」人たちが ライトを当てている方向を、見たいんです。
 
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        | 田村 | それは、ありがとうございます。 
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        | 糸井 | 田村さんもそうですけど、 もともと、地域のリーダー的な立場だった
 八木澤商店の河野さんみたいな人は
 こんなときどうしたらいいのか、
 考える「クセ」が付いてるんでしょうかね?
 
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        | 田村 | うーーーん、どうでしょう(笑)。 
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        | 糸井 | だって、ぼくらがお会いしてきた人たちって 「何にもなくなった」って言いながら
 必ず何かを見つけて、
 ちゃんとやりはじめているんです‥‥みんな。
 
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        | 田村 | 通洋も被災して‥‥最初は山に逃げて。 
 八木澤の社員といっしょに
 ぼくんとこに来たの、いつだったかな?
 15日ぐらい‥‥かな。
 
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        | 糸井 | 地震の4日後くらいですか。 
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        | 田村 | ええ、社員の人とふたりで、来たんです。 
 ぼくは食堂にいたんだけど、
 通洋がね、こう‥‥向こうからやってきたんです。
 
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        | 糸井 | ええ。 
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        | 田村 | ボロボロ泣きながら。 
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        | 糸井 | ‥‥えっ。 
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        | 田村 | あれで、泣くんですよ(笑)。 
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        | 糸井 | ぼくが東京で初めて会ったときは、 猛獣のような人だなと思ったんですが‥‥。
 
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        | 田村 | 自分とこの社員の前で 机をひっくり返すようなやつですからね。
 もともとが。
 
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        | 糸井 | その通洋さんが‥‥大泣きで。 
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        | 田村 | 店や工場が流されて悔しかったんでしょうし。 
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        | 糸井 | ああ‥‥。 
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        | 田村 | ぼくらが生きてて、嬉しかったんでしょうし。 | 
      
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        | <つづきます> |