何ができるかな? あかぎのまど。


糸井重里が昔から、なんとなく縁のある
ぐんまけん・赤城山で、
ほぼ日、なにかやれたらと思っています。
‥‥といっても、そんなに最初から方針を固めず、
だいぶ自由にのびのびやります。
みんなで、たのしそうなほう、面白そうなほうへ。
ときどきのぞきに来てみてください。



【お知らせ】
「赤城山頂駅記念館 サントリービア・ハイランドホール」は現在、冬季閉鎖中です。
また、2025年シーズンは施設のリニューアル工事を予定しております。
営業再開時期等については、適宜お知らせいたします。






sanami.yoshino

ちょっと小沼まで雪上散歩。

2025/02/21 11:00
「小沼が見えたら、その先まで目を凝らすと‥‥」

あかぎの冬は、氷上だけではなく、
スノーシューを履いての雪上散歩も
楽しみの一つです。

今回は「短時間で楽しむなら」と事前にオススメされた、
鳥居峠から小沼までの
片道30分程度の距離を往復します。
グリーンシーズンの小沼には、
すっかり魅せられている我々。
前日の大沼での氷上散歩も
とっても素敵な体験だったので、
冬の小沼も楽しみに出発しました。

スノーシュー、別名“西洋かんじき”は、
スノーブーツなどの上から履いて、
雪の上を歩行するための道具です。
大きなフレームによって浮力が働き、
特に新雪の上で沈まずに歩行できるので、
特別な技術がなくても気軽にハイキングができます。

雪の状況をみて
「チェーンスパイクで歩く」と判断した
ほぼ日の山のスペシャリスト
それ以外のの3人は、
今回がスノーシューデビューです。

赤城山では、県立赤城公園ビジターセンターで
スノーシューセットの貸出をしています。
我々は、スノーシュー+ストックを
2点セットで借りて、
出発地点の鳥居峠まで車に積んでいきます。

鳥居峠に駐車し、初めてのスノーシューを
装着して、いざ出発!
ひとの足跡もまばらな旧山頂駅の
建物脇のゲートを通っていくと、
すぐに動物の足跡を発見!
かなり山際を歩いていたようですが、
足をうっかり滑らせたりしないのかしら
‥‥なんて妄想をしたりして、
緩やかな道を一歩ずつ、
歩みを確認しながら進んでいきます。
普段は見つけづらい動物の痕跡が
目につきやすいのも、雪山に入る醍醐味です。

スノーシュー同士が重なって踏まないよう
気持ち足幅広めに歩くのがいい、
なんて少しコツを掴み始めたところで、
まさかの登山口を間違えたことが発覚(!)。
開始5分ほどで慌てて引き返します。

振り出しの旧山頂駅前に戻り、
道路脇に急な登り口を発見。
夏場は階段になっていたところが
すっかり雪で覆われ、いきなりの急斜面です。
道具に慣れるという意味では、
間違えてよかったのかも‥‥と
ポジティブに切り替え再出発。

ざしゅっ、ざしゅっ、ざしゅっ。
というスノーシューで雪を擦るような音の合間に、
ガサガサっとクマザサを
かき分ける音を響かせながら、
一列になって小沼を目指します。

途中、階段という(個人的に)
最大の難所が出てきます(4枚目)。

踏み面の幅とスノーシューの長さが合わず、
うまく足を捌ききれない私は、
なんだかよちよち歩きの子どもが
大きな階段をつっかえながら
一生懸命登っている気分になりました(笑)。

でも、この難所さえ超えれば、森が開けます!
振り返れば、眼下には大沼に浮かぶ赤城神社。
正面を進むと、小沼が現れます。

この日も嬉しいことに快晴!
夏に子どもたちや犬が嬉しそうに
水浴びしていた水面はすっかり凍っていて、
氷のうえに雪が薄っすら残っているので、
本来の岸である黒い砂利まじりの土と
水辺の境がくっきり(1枚目)。

霧の小沼とも、夏の青い小沼ともまた違う、
けれどもやっぱり静かな空気感を纏っていて、
また新たな素敵な表情を見せてくれます。

ストックを岸に置いて、恐る恐る氷上へ。
真ん中あたりでぐるっと辺りを見渡すと、
なんだか小沼のサイズ感もあいまって、
ちょっと広い校庭のような不思議な感覚にも。

前日の大沼同様に、
ここでも雪上の雪をはらってみると、
氷の中にアイスバブルを発見。

アイスバブルとは、
湖底の植物や微生物などから発生するガスが
湖面にたどり着く前に
水の中で凍ってしまう現象で、
カナダや北海道など一部の地域でしか
なかなか見られない気象現象とのこと。
関東近郊で見られるのは
おそらくとても貴重なようです。

氷の厚さ分でしょうか。小さな無数の気泡が
キラキラと何層にもなっている様子は、
とても神秘的で、かわいらしくも見えました。


こうしている間にも、
対岸から人々が続々とやってきます。
どうやら、長七郎山から回って来た人たちが、
登山道からまっすぐに氷上を突っ切って
こちら側に渡ってきていました。
周囲の人達の過ごし方を観察していると、
雪がはらわれて、
つるっとした氷がむき出しの場で
スケートのように滑る遊びをしていたり、
皆それぞれに氷上での遊び方があるようです。

(注意) 小沼の氷上への立ち入りは
完全なる自己責任となっております。
安全に十分に注意して自己責任のもと、
行動をお願いいたします。
また、赤城大沼では、赤城大沼漁業組合が、
皆さんが安全に楽しめるように
日々準備や見回りをして、氷上に危険箇所がないかなど
確認をしてくださっています。
氷上への入場時間や諸注意事項を守って
安全に楽しんでください。



ひとしきり小沼を堪能したら、
また鳥居峠までスノーシューを履いて、
もと来た道を戻ります。
難所の階段は今度はくだり。
案の定、階段の間の雪にハマりましたので、
ぜひ行かれる際には最後まで
気を抜かずにがんばってください。

今回の鳥居峠〜小沼〜鳥居峠の
雪上&氷上散歩は、約2時間ほどでしたが、
体感としてはそれ以上の時間を
たっぷりと楽しめました。

「雪山で遊びたい」と思っていても、
いざスキーやスノーボードになると、
せっかくリフト券も買ったしで
何だかんだ一日がかりだったり、怪我も心配だったり。
ソリ遊びも、子どもと一緒ならするけれど、
大人が全力で楽しむにはちょっと物足りない。

そんな方にとって、雪上&氷上散歩は、
都会では出会えない発見があったり、
自分のペースで、比較的短時間でも楽しめる
おすすめの冬遊びでした!


ちなみに、帰宅してから、プチショックが一点。
難所階段を登って開けた場所から
小沼を撮った一枚を見返すと、
なんと、薄く広がった雲の下に見えるは
富士山じゃないですか! 気づいてなかった!
※最後の写真をクリックして拡大してみてください

小沼辺りから見えるとは聞いていたものの、
あんなにも快晴だったのに
すっかり頭から抜け落ちていました。
雪道を登り、たどり着いた高揚感と
ちょっとした達成感を言い訳に
ぼーっと景色を眺めてしまっていたようです。

ぜひ行かれる方は、天候に恵まれていたら、
目を凝らして富士山を探してみてください。
小沼まで降りてしまうと山に隠れるので、
手前の少し高い位置から
山のさらに向こうを見るのがコツです。

◯ 夏の小沼の様子は過去の記事へ 2024年10月31日
sanami.yoshino

冬の大沼で、氷上を歩く。

2025/02/07 11:00
「氷上を歩くだけ。
それだけの体験だけど、ちょっとした異世界に
足を踏み込むようなすごくいいものでした」


「生活のたのしみ展」を終えて
ほっと一息ついたのも束の間。
2025年最初の赤城訪問は冬真っ盛りの1月末に

向かいました。

今回の目的は、赤城の冬魅力を探ること。
この時期にしか出会えない”いい時間”を求めて、
「あかぎの冬あそび」を体験してきました。

この日向かったのは、実に5年ぶりに
全面結氷した赤城大沼(おの)です。

赤城の冬あそびの筆頭、
ワカサギ釣りで知られる大沼は、
氷上にうっすらと雪が積もっており、
一面に広がる真っ白な湖上に
かたつむりテントが点在していました。

グリーンシーズンの大沼を知っているからこそ、
その一変した光景に、
同じ場所かと少し驚きます。

冬季は山頂エリアへの唯一のアクセス道である
4号線をのぼり、
トレッカーズカフェさんの前あたりに駐車。
早く湖面に駆け出したい気持ちを、
文字通り一気に吹き飛ばすのが、
全身にたたきつけるような圧倒的な冷気。

「顔がもげるような寒さ」とはこのことか!!

予めマグマカイロは貼付済み。
さらに帽子・ネックウォーマー・手袋をはじめ、
ありったけの防寒具を着込む。
外気に露出しているのは僅かな隙間だけで、
ぱっと見には誰が誰やら。

意を決してやっと湖上へ、とはいかず、
最後に大事なもうひと装備。
少し心もとない足下のは、
やすな先生の私物のチェーンスパイクを借りて
装填します。

さむ〜いと悲鳴をあげながらの
どたばた準備を終え、いざ氷の上へ。

ロープが湖面へと誘うのに従って、
ほんとうに大丈夫かな、
と少しドキドキしながら歩みを進めます。

かたつむりテントを積んだ
アウトドアカートを手に徐々に引き上げる、
ワカサギ釣り客たちと時折すれ違う。

はじめのうちは、わー!などと声をあげ、
湖のそこかしこに点在するワカサギ釣りの
テントの様子を遠目に伺ったり、
表層の雪を払った下に現れる
アイスバブルやワカサギのドリル跡を探したり。
喜び庭駆け巡る犬よろしく、
皆はしゃいだ気持ちが溢れる。

でも、気づけば4人とも思い思いの方向へと
言葉も発さずに氷上を歩いていました。

ときおりかなり強い風が吹くと、
湖の表層にある雪がさーっと舞いながら
こちらに迫ってきます。

「あ。風が見えた」

落ち葉や桜の花びらが舞う様子など、
風が見えると感じる機会は、
これまでもあったけれども
けっこう遠くからこちらに向かってくる
風が紛れもなくしっかり見えた気がした。

私は、赤城神社が立つ半島のような
場所にむかって、黙々と歩きます。
すると氷の上にぽつんと看板が。
「ここから神社への参拝はできません」

ちょっと残念、と思いつつ、
たしかにチェーンスパイクで
ガシガシと踏み込むのは違う気もする。
参拝に向かう際には、ぜひ道路からお願いします。

ふと振り返り、周りを見渡すと、
出発した岸から300m強は離れているでしょうか。
随分と遠くまで歩いてきた気がしていたけれど、
湖全体の1/3にも届いていない。
真っ白な地続きに見えるので
距離感がつかみにくかったけれど、
自らの足で歩くと
やっぱり大沼はそれなりに大きい。

この間にもどんどんと陽は傾いていて、
山の影がみるみるうちに湖面を覆っていきます。
真っ白な湖面が陽を受けてきらきらと
発光してみえるところと、
影の部分とのコントラストが
刻一刻と動いていく様子を、
ついついぼーっと眺めてしまいます。

影に入ると一気に冷えてくる。
そろそろ引き返す頃かと、
なんとなく4人がまた一所に集まってくる。

再びロープを頼りに駐車している辺りまで戻るが、
ロープがなかったらどこに向かって歩いていいか、
簡単に方向を見失いそうです。

車に戻って、重装備を剥がしていき、
暖房も効きはじめてやっとひと心地。

がポツリと「いやぁ。よかったね」

氷上を歩く。
確かに、それだけの体験だったのだけれども。

湖上へと繋がるロープも一役買って
まるでちょっとした異世界に誘われたような、
各々が氷上でただただ少し不思議で
すごくいい時間を過ごせました。

その晩も、東京に戻ってからも。
ふとした時に思い出し、
よかったなぁとしみじみ。

また行きたい。
強く実感できる氷上体験でした。


ちなみにも最後にひとこと。
「以前、顔がもげるような思いをしたのは、
完全なる準備不足のせいだ。
ちゃんと装備をすると大丈夫だね」

なんたって夏は市内-10℃の避暑地ですから。
寒さに気を取られて、そこで過ごす時間に
集中できないのは、間違いなくもったいない!

うっかり油断した格好ではなく、
しっかり防寒し、車も人間も足下は冬仕様にし、
ぜひこの時期にしか味わえない
特別な時間を存分に満喫してください!



【冬のあかぎを楽しむために。】
◯ 冬の赤城山へ車でお越しの際は、
スタッドレスタイヤを必ず装着ください。
◯ 赤城大沼では、氷の劣化を防ぐため
ドーム(ワンタッチ)テントの使用が禁止されています。
必ず”かたつむりテント”をご使用ください。
赤城山 大沼氷上でのルール厳守のお願い
◯ 夏の大沼の様子は過去の記事へ 2024年10月2日
sanami.yoshino

赤城山頂駅記念館 サントリー
ビア・ハイランドホールの歴史

2024/12/20 11:00
ケーブルカーの駅舎としての役割を終えた、
旧赤城山鋼索鉄道の赤城山頂駅駅舎。

その後、建物は
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
(以下“旧山頂駅”)として営業してきました。

お父様と二代に渡って
旧山頂駅を長らく支えて来られたのが
有限会社大沼山荘の
塩原勲さんと、そのご家族です。

塩原さんは、赤城山で生まれ育ち、
高校進学のタイミングで山頂を離れるも、
社会人になって数年の後、
お父様の事業を支えるべく、
赤城山とまた深く関わるようになったとのこと。

今回、改めて塩原勲さんに、
旧山頂駅のこれまでと、
これからの期待についてお伺いしたので、
少しご紹介させていただきます。


ー 旧駅舎が今の姿になるまで。

赤城山でケーブルカーが運行していた時代から、
お父様やご親戚が赤城山頂エリアで
旅館や貸しボート、スキー場など
複数の事業を営まれていました。

1968年の廃線から約20年が経った80年代後半、
東武鉄道グループから廃線後の駅舎を
引き継いでいた民間事業者が
ここを手放すことになりました。
すばらしい眺望は資産であると考えていたお父様が
「新たに展望事業を」と、
旧駅舎を引き継ぐことを決意したそうです。

当時は、鋼索鉄道時代そのままの駅舎で、
「すごく重いシャッターが建物周囲を
覆っていたのを覚えています」と塩原さん。

新たな観光施設にするにあたり、
旧駅舎の北と西側の下屋を撤去し、
厨房や客席、大窓のある2階の展望室を
設ける形で増築。

現在の“旧山頂駅”の建物の形になったのが、
今から約30年前の1993年の頃です。

ー バーベキューホールの誕生。

当時は、山頂で食べられる食事といえば、
うどんや蕎麦が定番だった時代。

一方、せっかくの自然豊かな場所で
楽しみたい食事といえば、
バーベキューではないか、
とお父様と思案したそうです。

とはいえ、群馬県赤城といえば
「からっ風」「赤城おろし」と名物になるほど
ともかく風がつよい場所。

(真冬に鳥居峠を訪れたほぼ日のは、
あまりにも強く冷たい風に、
「首がもげるかと思った!」と評していました)

そんな風が強い環境で屋外バーベキューは
なかなかに厳しいので、
屋内で楽しめるバーベキューホール
という形態にたどり着いたようです。

ーサントリーとのご縁

サントリーは1980年代から
群馬に生産拠点があり、
赤城山水系は天然水仕込みの
水源のひとつでした。

鳥居峠から少し下がったところの湧水も
同じく赤城山水系の地下水であることから、
赤城山の恵みである天然水を
訪れる人にも楽しんでもらえるよう、
塩原さんらが企画を持ちかけ、
サントリーとコラボした
「サントリー ビア・バーベキューホール」
が誕生した経緯があるとお話しいただきました。

当時の利根川工場に視察も行ったそうで、
ビアバーベキューホールを盛り立てるべく、
色んなかたちでご協力いただいたので
あろうと推察される名残が、
旧山頂駅の店内そこかしこに見られます。

ー 時代の流れとこれからに向けて

山といえば蕎麦・うどんの時代に珍しかった
山頂のバーベキューホールは、
ファミリーやグループ利用で賑わっていましたが、
徐々に山頂を訪れる客層や
山で好まれる食事なども変化していきます。

もちろん、旧山頂駅への影響に限らず、
エリア一帯でも様々な変化、変遷が見られた中、
2010年頃に山頂エリアの住民を中心に、
「AKAGIやる気塾」を発足し、
赤城山全体の未来や足元の振興策について、
色んな議論を重ねてきたとのこと。

コロナ禍を契機に旧山頂駅は、
「バーベキューホール」から
「ハイランドホール」へ名称も新たに、
現在の旧山頂駅の業態に至ります。



ほぼ日がご縁あってあかぎに携わるようになり、
旧山頂駅はまた新たなフェーズに向かいます。

鳥居峠とそこに建つ旧駅舎が
訪れる人々にとってどんな場所であったのか。
この場所を守ってきた方々が
どのような想いや期待を込めて
時代に応じた工夫や変化を重ねてきたのか。
赤城山頂エリア全体が大きく変化する
ひとつのタイミングで、この場所から
どのように共にエリアを盛り上げていけるのか。

改めて先人の皆さまに敬意を抱くとともに、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
ここでの場づくりに取り組んでまいります。
sanami.yoshino

赤城山頂の「かつての駅舎」

2024/12/20 11:00
 「旧駅舎という場で、
ほぼ日はなにができるのか?」

ほぼ日は、あかぎで場つくりに挑戦中です。
そのはじめの一歩は、赤城山頂の鳥居峠から。

具体的には、鳥居峠にある、
「旧赤城山鋼索鉄道 赤城山頂駅駅舎」が
その舞台です。

はじめてこの構想を聞いたとき、
「かつての駅舎」という響きだけでも、
まだどんな場所か具体的に知らないうちから
なんだかワクワクしたのを覚えています。

「駅」ってことばを思い浮かべただけで
人によっては、ノスタルジーを感じたり、
旅立ちや別れ、出会いを思い出したり、
日常のワンシーンやお出かけの高揚感など。
きっと其々に思い浮かべる、
具体的な駅の映像とまつわるエピソードが
あるのではないでしょうか。

私の中でぱっと思い浮かぶ駅は、
小学生の頃、通学に使っていた駅でしょうか。

Herrliberg-Feldmeilen駅

スイスのチューリッヒ郊外にある
住宅街の小さなローカル感が漂う駅です。

隣町からスクールバスに乗るために、
数駅分の電車通学に利用していました。

日本の首都圏のように数分おきに
電車が来ることはなく、
また、時刻表もあまり正確ではありません。

家から駅までの坂道を下る途中で、
電車が近づいてくるのが眼下に見えたときには、
それはもう猛ダッシュです。

改札がないので階段を降りた
勢いそのままに電車に駆け込んでいました。
(注)皆さま危険なので駆け込み乗車は
決してしないでください。

逆に、人影がまばらなホームで待てど暮せど
電車が来ない、なんてことも。
ようやく構内放送がかかったと思ったら、

「運転士さんが寝坊をしたので、
次の電車は来ません」

「!!!」

もはやスクールバスに間に合うはずもないので、
下ってきた坂をこんどはダッシュで上り、
自宅に戻って親に頼み込んで
学校まで送ってもらったのも良き思い出です。

なんてことのない日常の一コマだったのですが、
坂を下って、コーナを曲がると、
見えてくる線路とホーム、その先の湖の景色は、
歳月が経ってもはっきりと映像として残っています。


‥‥と、駅にまつわるエピソードひとつで
だいぶ脱線していまいますね。
失礼致しました、本題は「赤城山頂駅」です。

あかぎのまど。でも何度かご紹介している通り、
赤城山にはかつて「赤城山鋼索鉄道」が通っていました。

東武鉄道グループの
赤城登山鉄道株式会社が運営し、
旧黒保根村(現桐生市)にある「利平茶屋駅」と
旧富士見村(現前橋市)の「赤城山頂駅」とを
結ぶケーブルカーでした。

浅草駅から群馬県内の
新大間々駅(後の赤城駅)の路線をもつ
東武鉄道株式会社が、赤城山の観光開発のため
首都圏と赤城山を結ぶ回遊ルートを計画したものです。

1956年建設、1957年開業、
1968年に全線廃止。
約10年という短い期間でしたが、
当時から四季を通じてたのしめる観光地として、
赤城大沼を中心に観光客で賑わったようです。

赤城登山鉄道の廃業後から少し時間があいた後、
1983年に「展望レストラン」が営業を開始、
1994年に「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・バーベキューホール」
と改称し、現在の
「赤城山頂駅記念館
サントリー ビア・ハイランドホール」
につながっていきます。

そして、「鋼索鉄道」という言葉。
聞き慣れない方が多いかもしれませんが、
鋼索(ケーブル)に繋がれた車両を
巻き上げ機により運行する鉄道で、
車両に動力は無く、運転手は駅舎等の建物内で
ケーブルの操作等を行い運転するものとのこと。

実際、現在の旧駅舎の地下空間では、
当時の巻き上げ機の名残を確認できます。

地下部分は倉庫として利用されていたため、
来館者が目にする機会は
これまでほとんどなかったのですが、
現地に通う中でこの名残を目にした
乗組員たちは思わずテンションがあがったので、
なにかしらの形で皆さまが、
ケーブルカーの歴史・名残を
見て、感じることのできる空間や
仕掛けにできたら、なんて話もしています。

「駅舎」という象徴的な空間を活かしながら、
どのようにほぼ日らしい場に転換できるのか。
日々、絶賛アイデアを巡らせ中です。

桐生市のホームページ上で、
ケーブルカーが運行していた当時の姿を
垣間見ることができるので、ぜひ、
これらの名残がどんな形で残っているのか、
想像していただけたらと思います。


また、よろしければ皆さまの
「駅」エピソードもぜひ教えてください!
sanami.yoshino

車で行ける、雲海スポット。

2024/11/29 11:00
鳥居峠で出会える絶景といえば
「雲海」が外せません。
6月から11月ごろにかけて、
鳥居峠から桐生市側を見たときに、
気象条件が揃えば見られる自然現象です。

雲海と言うと、めったに出会えないレアな現象、
あるいは見える場所まで行くのが少し大変、
という印象があるかもしれません。

ですが鳥居峠は、
市内から約1時間のドライブで
たどり着けるので、例えば、
「今日雲海出てるよー」
そんな情報見つけたら、
ぱっと車に乗って駆けつけると間に合うかも。

長く赤城山に通っている乗組員の一人
は、なんとつい先日、
ようやく初めての雲海に出会えたと
言っていましたが、
実は、私、雲海遭遇率は
結構高いかもしれません。

赤城山の麓から山頂エリアに向かう際、
雲の様子を観察していると、
榛名山の方角は晴れているのに、
赤城山はすっぽりと雲に覆われている。
そんな日はもしかしたら雲海が出ているかも、
と期待しながら峠道を上がっていきます。

‥‥と、運良くであえたりします。

朝方が出現確率が高く、
午後には消えてしまうことも多いようですが、
ここ最近は1日中、
雲海が出ていることもあります。

何度か遭遇していると、雲海も色々で、
桐生市側から雲がむくむくと湧き上がり、
すっぽりと市街地を覆い隠し、
すぐそこまで一面の雲海が広がる時もあれば、
山の稜線がうっすらと雲の合間から顔を出し、
まるで内海に浮かぶ多島美のような
景観を見せる時もあります。

3枚目の写真は、
別件で11月のある日に群馬に出かけた
乗組員一行のようす。
この日も見事な雲海!



鳥居峠初訪問の乗組員が多いのに、
いきなりの雲海遭遇!
そのときまだ雲海に出会えていなかった
イシザワは、ちょっと悔しそうでした。

----

そして、雲海の話とともに、
鳥居峠といえば‥‥ということで、
ほぼ日の赤城山での動きのことを
すこしご紹介させてください。

御神水をご紹介したときにも触れましたが、
鳥居峠では、かつて「赤城山鋼索鉄道」という
ケーブルカーが通っていました。
出発点が桐生市側の利平茶屋、
終着点が鳥居峠にある山頂駅です。

このケーブルカーが実際に活躍したのは
1957年(昭和32年)から約10年程度。
現在の赤城山に向かう主要な交通導線である
前橋─赤城山頂間の道路の改良が進むなど
いくつかの背景があり、その役目を終えたようです。

ですが、ケーブルカーの運営が終了した後も、
その山頂駅の駅舎は、その役割を変えて、
この場所に残っています。

実はほぼ日では、
この山頂駅の駅舎にご縁ができて、
この駅舎を起点にして
何か場づくりをできないかと、
赤城山に通いはじめています。
(だから通っている乗組員も多いのでした)

四季折々で魅力が溢れる自然豊かな赤城山。
地域の方に昔から愛され、
信仰の対象にもなってきた場所でもあります。

一方で、群馬県が主導となった
赤城公園の活性化」の動きもあり、
ある意味で、
山頂エリアが少しずつ変化しはじめている
タイミングで始まった、
ほぼ日と赤城山のご縁です。
「この場所でなにができるかな?」
の、ワクワクする第一歩。

「あかぎのまど。」では引き続き、
いろんな話をご紹介していきたいと
思っていますので、
一緒に見守って頂けると嬉しいです。

あらためまして、
どうぞよろしくお願いいたします!
sanami.yoshino

絶景のパノラマ、鳥居峠。

2024/11/29 11:00
赤城山の山頂エリアを
ぐるっと巡ってご紹介してきましたが、
今回ご紹介するのは、「鳥居峠」です。

実はこここそ、いろんな方に
知ってもらえたらいいな、
と思っている場所。

大沼の湖畔にある大同地区や赤城神社、
覚満淵から少し上がると、
赤城公園のビジターセンターがあります。
その前を通って、
さらに道のほぼ突き当たりまで進むと、
かつての駅舎が出迎える、
鳥居峠に到着します。

少し高台に位置する鳥居峠は、
山頂エリアでも有数の絶景ポイント。
ですが、実は山頂エリアに遊びに来ても、
鳥居峠を知らず、
ここまで上がって来ずに峠道を戻る方も
いらっしゃるとのこと。

鳥居峠に到着し、大沼の方に視線を向けると、
手前から覚満淵、その奥に大沼、
右手には駒ヶ岳から黒檜の
赤城山の稜線がのびる
180度以上のパノラマの景観が広がります。

山頂エリアの全体が見渡せるので、
「あそこでさっきお昼食べてたね」
「ボート乗ったのはそこだね」
「木道を歩いたのはあのあたりかなぁ。」
そんな感じで、山頂エリアを巡ってきた
振り返りもできちゃいます。

ここから見える景色は、
季節によって本当に表情が変わります。

春先から夏にかけては、訪れるごとに、
山の緑がどんどんと濃くなります。
真っ青な空の下、青々とした木々の中に
ぽっかりと大沼や覚満淵の形が浮かび上がり、
何重にも織り成す、青と緑のコントラストが
とても美しい景観を見せてくれます。

季節も進み秋になると、
山全体で徐々に紅葉が進み、
鳥居峠から見渡すと、
手前にはススキがわさわさと揺れ、その奥に、
赤や黄色の色鮮やかな景観が広がります。

個人的にはタイミングを逃してしまい、
今年は紅葉真っ盛りの景色には
出会えなかったのですが、
来年こそは、と狙っています。

紅葉が過ぎて、葉が落ちる頃になると、
覚満淵の辺りがベージュっぽい色合いを見せ、
そこに赤城山一体の木々の枝ぶりが
黒いシルエットのように浮かび上がってきます。

11月にもなると、一気に山の気温が下がり、
黒檜などの山頂の方では霧氷と呼ばれる
空気中の霧や水蒸気などの水分が
樹枝に着氷し凍りつく現象が見られるため、
日が差すと山全体がキラキラとしています。

さらに季節が進み、雪が降りしきる冬場は
一面真っ白な世界で、
大沼が全面結氷する頃には、ワカサギ釣りの
ドームが点在する様子も見て取れます。

1つの角度からの景観なのに季節によって、
ここまでも表情が変わるのは、
改めて四季がある日本ならではの
光景だなぁと、何度も実感しています。

どの季節に行っても素敵な景色を
見せてくれるので、ぜひ時期を変えて
鳥居峠まで足を伸ばしてみてください!

そろそろ雪が舞い始める季節ですので、
天候や山頂エリアの観光協会や
事業者の方々が発信される情報なども頼りに、
絶景を見に訪れてみてはいかがでしょうか。

※峠道、且つ麓と気温・天気が異なりますので、
くれぐれも季節にあった装備でどうぞ安全に。
sanami.yoshino

大沼のほとり、赤城神社。

2024/11/14 11:00
黒檜山(赤城山の最高峰)入口の
登山口から、おのこ駐車場まで戻る途中、
湖側に現れる場所。

山頂からも、大沼の湖上からも、
自然の風景の中でもぱっと目に留まるのが、
朱塗りの美しい、
大沼湖畔に佇む赤城神社です。

少し高い地点から見るとよくわかるのですが、
ぽこっと湖に半島のように
出っ張った箇所に建っています。

赤城山と湖の神様である
「赤城大明神」を主祭神とし、
赤城山を神体山として
お祀りしている神社です。

山頂エリアを巡っているときに、
神社の朱色が遠くから
目に留まるのも印象的ですが、
神社の入口から手水舎あたりまで
歩を進めたときの景色が、
個人的には、わぁ、となります。

湖畔に面して大げさな手すりなどもなく、
まるで湖とそのまま一体であるかのような
美しい風景がぱっとひらけます。
人工物が殆ど目に入らず、
まさに「赤城山と湖の神社」という感じ。
おそらく昔から変わらぬ
景観なんだろうなぁ、と思います。

本来であればこの神社のある
半島に向かって、湖畔の道から
朱色の橋がのびているのですが、
現在この「啄木鳥橋(きつつきばし)」は
架替作業が続いています。
工期は令和7年2月までの予定とのこと、
橋の全貌があらわれたときの景観が
楽しみです。

ちなみに、ホームページによれば
登山口8箇所に鳥居が設けられており、
前橋方面から赤城山に向かう
4号線の途中に、大鳥居が建っています。
1784年(天明4年)に建立された
「一之鳥居」があった地に
1965年(昭和40年)の道路拡張時に
新たに建設されたのが現在の大鳥居とのこと。

何度か通ううちに、車でこの鳥居をくぐると、
「あ、赤城にやってきたな」と
実感するようになりました。
まさに赤城山の登り口といった感じです。

前橋方面から赤城山に訪れる際には、
ぜひ4号線の大鳥居をくぐって、
山頂を目指してみてください!
sanami.yoshino

ケーブルカー跡を歩いて、
鳥居峠の御神水まで。

2024/11/14 10:59
「峠(とうげ)」という漢字の
成り立ちは、
山の上りと下りの境になるところ。
これをまさに体感してきました。

駒ケ岳・黒檜山を登った4人は、
翌朝さらに歩きました。
は、下から。
は、上から。
とある場所での合流を目指して出発します。

出発地点は、
下から組が、利平茶屋森林公園。
上から組が、赤城山頂駅記念館
サントリービア・ハイランドホール。
合流地点は、
鳥居峠の御神水が湧くところ。

鳥居峠ではかつて
「赤城山鋼索鉄道」という
ケーブルカーが運行されていました。
始点が、桐生市側の利平茶屋駅。
終着点が、赤城山山頂駅でした。

かつてケーブルカーが登っていた斜面を、
足でアプローチしよう!という試みです。

利平茶屋で下から組の
二人の出発を見送ってから、
車で山頂駅へ向かいます。
赤城山の東側をぐるっと周って移動しました。

山頂駅に着いたら、そこから約300m、
ケーブルカー跡に残る階段を頼りに、
恐る恐るくだります。
おおよそ800段とも言われますが、
正確なところは確認できていません。

一方の下から組は、
キャンプ場内のケーブルカー跡の
階段をのぼりはじめたところ、
その先が繋がっていないことが発覚(!)。
仕切り直して、少し下ったところにある、
鳥居峠に向かう登山口を見つけて
再出発したそうです。


一足先に合流地点に到着したのは、
われわれ上から組。
目的地である御神水は、
工事現場にあるような足場階段をわたり、
ちょっとした岩場を下った先にありました。

「美人の水」「智慧の水」「御神水」
と書かれた3本の水。

まずは手で受け止めながら
ゴクゴクと飲みます。
手ぬぐいを濡らして首に当て、
持参した水筒にあらためて水を汲んで、
腰掛ける場所を見つけて、
ホッと一息。

木漏れ日が落ち、
苔むした岩と、水の音。
「人心地つく」とは
まさにこのことか、と。

そうしているうちに、
なにやら楽しそうな笑い声が
聞こえてきました。
下から組も到着したようです。

「おーい!」と呼びかけるも、
こちらの声は水でかき消された様子。

お互いの姿が見えて、ようやく
「おつかれさまでーす」「ついたー!」
と言葉を交わし、
各自思い思いにその場所で落ち着きます。

しかし実はあまりゆっくりもできず。
実はさんたちと
山頂駅で合流予定の時間が迫っていました。

息を整えたら、山頂駅を目指して再出発です。
約800段が待っています。

「この階段、下りと上り、
どっちのほうが怖いか?」なんて
会話をしながら、
ときたま振り返ると圧倒されます。

足元に注意しながら、
最後のほうはかなり黙々と
一歩ずつ歩みを進め、無事到着!

糸井さんたちに「おまたせしましたー」
と合流したのはいいものの、
4人共まるでお風呂上がりのごとく
頭の先から服に至るまで、汗がぽたぽた。

糸井さんと一緒に出迎えてくれた
乗組員の表情たるや‥‥。
これはまずい、と挨拶もそこそこに、
とりあえず車からタオルと着替えを拾って
トイレに駆け込んだのでした。

<おまけ>
前橋BookFesに家族で遊びに来た
(写真4枚目)。
朝、鳥居峠から御神水まで行ってからの
前橋での本探し、というつわもの。
「下りは20分くらいだったかな」と
軽快に報告してくれました。
うーん、良い笑顔!
sanami.yoshino

はじめての赤城山 登山。

2024/10/31 11:00
山頂エリアを巡っていますが、
ここはやはり一度は自分の足で登らねば。

ということで、おさらいになりますが、
日本百名山にして、上毛三山のひとつ。
黒檜山(標高1,828m)を最高峰に、
駒ケ岳、地蔵岳、鍋割山などから
成る連峰、赤城山。

ほぼ日の山登り名人・やすなを頼りに、
登山計画をたて、この4人で登ってきました。
(左から登山経験値順)


東京を朝に出発し、新幹線で高崎駅へ。
寄り道してお昼ごはんを調達したりしながら、
車で向かい、昼前からアタック開始です。

おのこ駐車場に駐車し、駒ケ岳入口から出発。
平場 > 駒ケ岳山頂 > 大ダルミ >
黒檜山山頂 > 猫岩 > 黒檜山入口
そこからは赤城神社の横を通りながら道路沿いに
駐車場まで戻ってくるルートです。

距離にして約5.0km、高低差572mに挑戦する、
登山の経験値も体力もバラバラな一行。
お天気に恵まれるなか、やすみやすみで、
4時間半くらいかけての登山でした。

私が一番、足を引っ張る形ですが、
それでも少しでも楽な登り方を指南してもらい、
一歩一歩と踏み出し続けることで、
気がつけば次のポイントにちゃんと到達。

「人間の足ってすごい」
とみんなで噛み締めていました。

夏の低山は暑いねと言いながら、
汗だくになりながらも、周りの緑や、
ぱっと眼前が開けたときの風景に感動。
いつもなら今頃はPCに向かっているときか、と
なんだか不思議な感覚になりながらも、
戻ってきたときの達成感は心地よいものでした。


最後のほうのだいぶ疲れが溜まってきた頃に、
少々勾配にきつい下りの岩場があるのですが、
逆ルートでサクサクとそこを登ってくる
人生の先輩方とすれ違ったときには、
ただただ尊敬の念を禁じ得ません。


いわく、
赤城山は実は雪山デビューにぴったりとのこと。

登山慣れしていない身としては、
雪山登山は少しハードルが高そうですが、
スノーシューデビューはしてみたいかも、
と思えたはじめての赤城山登山でした。
sanami.yoshino

晴れても霧でもイチオシ。

2024/10/31 11:00
「天空の水たまり」

山頂エリアをさらに奥に進んだ
“小沼(この)”。
地蔵岳の寄生火山が噴火した際の
爆裂火口に水が溜まってできた
火口湖で、一周約1キロ。

空気の流れや光の加減など、
心地よいと感じる環境が似ている
と私の、
赤城山頂エリアでのイチオシスポットです。

ひと足先に小沼に出会っていた私たち。

「小沼がすごい良かったんです!!
ぜひみんなで一緒に行きましょう!」

と前のめりな私たちに対して、
幼少期から赤城に慣れ親しむ糸井さんは、
「いやいや。行ってもいいけど、
正直大したことなかったような。
わざわざね‥‥」
と少し後ろ向きな感じながらやってきました。


ポツリと「いいねぇ」

着いた時の一行の反応に思わず、
ほら、いいでしょう、
とにんまりしてしまいます。

何が良いって、地元の人が
ゆったり思い思いに過ごしているところ。

観光客は立ち寄るだけの方も多いですが、
地元の方はここで過ごすことを
目的にやってきていて、
それぞれにすっと場に馴染んでいる様子が
何とも心地よく感じられました。


私たちがはじめて訪れたのは、
7月の晴れた小沼。

地蔵岳への登山口の駐車場から道を渡り、
段幅大きめの階段をタンと降りていくと、
おっきな犬が、浸かっていたのが見えた。

水遊びではなく、完全に浸かっており、
さながら温泉を楽しむカピバラのように
何ともいえず気持ちよさそう。

聞けば沼田市から車で小一時間、
よく遊びに来るのだそう。
そして浸かったまま、まったりとするのも
いつもの過ごし方とのこと。


糸井さんたちと来た8月の頭は、
大沼は晴れているのに、小沼は一面の霧。
「まるで摩周湖みたいだね」
なんて言いながら、
幻想的な風景をたのしみました。

夏休みということで、人も犬も増えて、
前回よりも賑わいがある様子。

奥の方では大型の黒い子が2匹、
親子だろうか? 兄弟だろうか?
いつぞやの温泉に浸かる子とは打って変わって、
こちらはジャブジャブと水飛沫をあげて、
興奮を抑えられず、
思いっきり水と戯れているのが、
遠くからでもよくわかります。

手前ではのんびりとお散歩されるご夫婦や、
シートを広げてお弁当を食べるご家族も。

何人かの方に伺ってみると、
前橋市からです、桐生市からです、
渋川市からです、と。
まさに赤城山の麓、四方から、皆さん
ここを目指してやってきているようです。


いつも赤城山に来ると
何かと慌ただしく過ごしてしまうけど
のんびり小沼で過ごす時間も作りたいものです。

ちなみにこの小沼は、大沼(おの)や
覚満淵より少し標高が高い1470m。
駒ヶ岳、黒檜山登山をしていると、
まるで空にぽっかり浮いて見えます。

その様子も何とも不思議で、
まさに天空に突如現れた水たまりのようでした。