・歳をとることを、なにかえらいもののように語ることと、
歳をとることを、どうにも悲しいように語ることと、
できるならば、そのどちらもしたくないと思っている。
ただ、だれでもかならず歳をとるわけで、
それを穏やかに観察するように語れたら、
おもしろいにちがいないとは考えてきた。
幼い子どもの、いかにも幼い子どもらしさを
じっと見ているのがおもしろいように、
歳をとるとこういうことがあるんだよというのは、
ちょっと伝えてみたいようには思っている。
昨日、池袋サンシャイン劇場で
サンドウィッチマンの漫才とコントのライブがあった。
「お見事!」と言いたくなるおもしろさで、
感心したり笑ったりあきれたりしてたのしんだ。
同行していたのは、「ほぼ日」のY下さんだった。
池袋の駅まで歩いて、ふたりで山手線に乗った。
大いに混んでいる電車をひとつやり過ごしたら、
次の電車で、運よく隣りどうしで座れることになった。
ぼくはもちろんだが、Y下さんもそれなりに年寄りだ。
座った位置から、向こう側の窓の外の景色が見える。
年季の入ったビル群の間に、ときどき西の空が覗ける。
きれいだなぁと言えるような色でもなかったけれど、
ぼんやりと赤みのある西日が沈んでいくところだった。
男の年寄りが、山手線の電車に隣り合わせに座って、
日の沈む西の空を見ているというのは、
美しくはないけれど、柿渋のような絵ではあった。
「おれたちが若者だったら、まったくちがう絵だよね」。
いや、10年前であっても、ちがった絵になるだろう。
「この先、Y下さんと池袋から山手線に乗って、
西向きの窓にはんぱな夕焼けを見ることは、
たぶん、もうないんだろうね」とぼくは言った。
いや、しかし、そうか、そればっかりじゃなく、
あらゆる「そのときの絵」は、二度とないのである。
ただ、こういう当たり前のことに感じ入ったりするのは、
若いときにはできないことだったなぁとも思うのだった。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
えらくもないし、悲しくもないが、今日も歳をとっている。