・若い人に「わたしはなにをやったらいいでしょうか?」
と質問されたら、ぼくは答えられるだろうか。
このことについて、しばらくうろうろと考えている。
思えば、ぼく自身は、そういう質問をしたことがなかった。
まぁ、もともとは、生きのびられるかどうか、
ぐらいのことしか考えてなかった。
いわゆる「幸せになる」ということも、
なんだか似合わない高望みのように思っていた。
ああ、その時代は、あんまり心配性でもなかった。
しかし、じぶんのことはさておき、だ。
若い人が、「じぶんはなにをやったらいいのか?」
なんとか知りたいと思う気持ちは、わからないではない。
「それがわかったら、がんばるつもりはある」からだろう。
「問題をください、一所懸命に解きます」
ということであるだろう。
ほんとはね、その問題を見つけることこそが問題で、
その問題の答えとは、解くべき問題が見つかるということ
だけど、そんなことは、まったく一生の問題なので、
言ってもしょうがないのである。
ぼくは、じぶんのためにも考えたいと思う。
いま、若い人たちは「なにをやったらいいだろう?」と。
記憶をたどってみると、ぼくにとっての先達の皆さんは、
けっこう同じことを言っていたぞ。
「古典を読みなさい」だった。
それは、ある種の決まり文句だったかもしれない。
「たくさん失恋しなさい」というのもあった。
考えようによっては、当たり障りのない教えではある。
しかし、これが、現在に近いある時代にあったような
「MBAを取りたまえ」だとか「人脈をつくれ」だとか、
「コンピューターを学べ」だとか、
いかにも実用になりそうな指導に比べて、
少しも劣っているようには思えない。
「古典を読みなさい」も、「失恋しなさい」も、
どちらも「人間を知ろうとしなさい」ではあるような。
まぁ、ぼくとしても、さらに考え続けてみますね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「なにやったらいいか?」は、大人でも老人でも考えます。