老いる声。届かぬ声。

糸井重里

・年齢と老化は関係なくはない、たしかにある。
 しかし、なにかこう正比例するような関係ではない。
 もちろん、その人なりの流れで老いは深度を増していく。
 ぼく自身も、ちょっとずつ緩やかに老いは進んでいる。
 そのあれこれを言い立てても、おもしろくないのだが、
 これだけは残念だと思っていることがある。

 それは、声である。
 声帯の筋肉も弾力を失っていくわけだから、
 声を出すための楽器が古くなっているのはたしかだ。
 しかし、ぼくはずっと自然に声の大きい人だった。
 あんまり意識しなくても、遠くまで届く声だったし、
 いわばよく鳴っていたということになる。
 おかげで、コミュニケーションにおいて、
 ずいぶん助かっていたという自覚はあった。
 そんなにがんばらなくても、声が届く、伝わるんだもの。
 言い回しだとか、ことばの組み立てに苦労する前に、
 その声を近くや遠くに届けるということに、
 なんの苦労も要らなかったのだ、これは安楽なのだ。

 しかし、いつごろからかなぁ、届きにくい声になってきた。
 出てくる音の量も、その質も、言いたいことより弱いのだ。
 強くなりすぎなら、下げてコントロールすることもできる。
 だが、音質も音量も音色も頼りないのが、じぶんでわかる。
 ここでもう、なけなしの自信が、ちょっと減っているのだ。
 調子のいい日と、よくない日があるにはある。
 しかし、全体的に、もう遠くに届くような気がしない。
 
 さまざまな老化現象に比べ、あまり語られてはいないが、
 声の音質と音量が衰えるというのは、さみしいものだよ。
 目にはメガネが、耳には補聴器があるけれど、
 声を出したいからといって拡声器というわけにはいかない。
 でかい声を出したいわけではないのである。
 大きくよく通る声を、小さめに出せるというのが理想だ。
 近々カラオケの予定もあるので、そんなことを考えている。
 
◆今日の質問はno.084「思うようにいかないことは?」
 思い出して、よろしかったらメールで送ってください。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
発声練習は、低い声でやったほうがいいような気がします。