不易と流行。温故で知新。

糸井重里

・変わるものは、変わる。
 変わらないほうがいいと思ってても、変わるときは変わる。
 無理に止めようとしても、変わるものは変わる。
 ときには、じぶんから変わろうとすることも多々あるし。

 一方で、変わらないモノは、変わらない。
 変わればいいのにと思ってても、変わらないものはある。
 変わらないでほしいものが変わらない、ということもある。
 
 なにか大きな事件とか、出来事があったりすると、
 なにもかもが変わってしまうように思いがちだが、
 うん、そうだね、変わることもたくさんありそうだ。
 でも、そしてね、変わらないこともたくさんある。
 
 変わる変わると言い立てたほうが、
 人の注目も浴びるし、聞いてもらえることは多そうだ。
 だから、人は騒ぐんだよね、変わる変わると。
 しかし、やがてそのうち、
 熱が下がるようにもとに戻っていくことも多い。
 大きな震災のすぐあととか、世界的な感染症の流行とか、
 インターネットやら、いまだとAIのことだとか、
 選挙の結果についての興奮も、しだいに冷めていくだろう。
 で、もちろん、変わるところは変わる、よくも悪くも。
 そして、ぜんぶまるごとが変わるようなことはない。
 
 おれ、ずいぶん当たり前のことを言ってるだろ?
 じぶんでも、書きながら思うくらい当たり前のことだよ。
 変わるし、変わらないしという現象について、
 なにかいいネーミングはないかなぁと考えてみたら、
 「不易流行」「温故知新」と、すごい名作があったよ。
 こんなことばが大昔からあって、その時代その時代の人に、
 「そうだよなぁ」と思わせていた事実も、
 変わらないといえば、まったく変わらないよなぁ。
 「不易と流行があるよ」と「温故して知新しろよ」と、
 どっちかだけじゃないんだよと、ずっと人間は言っている。
 人ってものは、あわててたり、頑固になってると、
 どっちかだけに偏ってしまうものなんだよね。
 そういうようなことについても、いいことばを探すなら、
 つまりそれこそが「おちつけ」ってことなのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんでも対立的にとらえるクセは、直したほうがいいよね。