・じぶんのことだから、あんまりびっくりもしないのだが、
今日11月10日で、ぼくは77歳になった。
ゾロ目である、喜寿である、アイ ガッタ キジュである。
なかなか1年や2年でできることじゃないよ、77年かかる。
飛び級みたいに飛び喜寿はないからね。
「ほぼ日」って、ぼくより年上の先輩方も読んでるし、
働き盛りの皆さんも、たくさんの若い人たちも、
高校生や小中学生も読んでいるということがわかったので、
なにか書いても、受け取り方もいろいろだろうとは思う。
「老いと死」のことをずっと取り上げてもいるが、
それを中学生が読んでくれているなんて、
ねぇ、とてもいいことのような気がしている。
わかろうがわかるまいが、共感しようが関心なかろうが、
他人の話すことが耳に入ってくるって、大事なんだよね。
13歳の子どもからしたら、77歳の人の喜寿なんて、
遠すぎる景色みたいなものだろうけれど、
そういうものが交わっている場って、なかなかないよ。
逆にね、幼いくらい若い人たちが集めているシールとか、
喜寿のぼくだって欲しがったりしてるしね。
一般的に、あれとこれが対立しているとか、
こんな分断が進んでいるとかいうことばかり言われるけど、
ぬるりゆらりと混じりあっていることも多いし、
そっちのほうをこそ、ぼくらは望んでいる。
水と油は混じり合わないものの喩えとして言われてるが、
ドレッシングは、ビネガーとオイルがちゃんと混じってる。
外国の人たちも、翻訳のアプリが発達してきたので、
「ほぼ日」がいままでより親しい存在になっているらしい。
なんて、思いつくままに機嫌よく書いてます。
年の数は増えたけど、ぼくは元気です。
このごろ、じぶんを果樹園のおやじみたいに思っている。
四半世紀以上も、せっせと苗木を植えてたら、
花が咲いたり実がなったりしはじめているなぁ、とかね。
新しい果物も植えたいし、ジュースや加工にも興味がある。
まだやりかけのことばかりだし、やりたいこともあるので、
喜寿で引っ込んでるわけにもいかないんだよね。
ただ、ちょっと忙しすぎるような気もしているけど。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いつも読んでくれて遊んでくれて、ほんとうにうれしいです。