糸井重里
・「人間らしくやりたいな」というCMソングがあった。
いまは昔、1961年のテレビ広告だったらしい。
コピーライターは、あの、作家の開高健さんだ。
ウイスキーを飲んで、「人間らしくやりたいな」と。
ラテン音楽の歌手アイ・ジョージさんが、
歌いながら軽やかにステップを踏んでいた。
1960年代といえば、まさしく日本の高度成長期だ。
そのときにも「人間らしくやりたいな」が共感を集めた。
いやいや思えば、ずうっといつでも、どんな時代だって、
人間は「人間らしくやりたいな」と思うものなのだろう。
それにしても、いま、2025年のいま、
「人間らしくやりたいな」とつくづく思うのだ。
ほんとのことを言えば、「人間らしくやりたいな」って、
あんまり説明できるものではない。
「人間」のやるいいことはいっぱいある。
でも、「人間」のやらかす悲しい面だってたっぷりある。
「人間」っぽくていいやつは、あちこちにいるさ。
わるいことするのも「人間」らしくはないか。
ずるいこと、汚いことも含めて「人間」らしさだと、
いままで描かれてきた多くの物語は教えてくれる。
「いいこと」ばかり選んでやっていこうとする「人間」が、
その「いいこと」をやるために、
他の「人間」の命を奪ったりもしてきている。
「人間らしく」ということばの届く範囲は、
あまりにも広くて、ある意味、とてもとても豊かである。
点けっぱなしのテレビから漏れ流れ出ているものは、
すべて「人間」が伝えている「人間」のやっていることだ。
「くっだらない」と吐き捨てるように言うのも「人間」だし
「すべて滅亡してしまえ」などと叫ぶのも「人間」だ。
そういうことまるごとを、呑み込んだうえで、
「人間らしくやりたいな」と歌ってみたり踊ってみる。
ウイスキーを飲むのも、ひとつの方法かもしれないし、
好きな人の横顔をみたりするのも、いいかもしれない。
生成AIも、もしかしたら「人間らしくやりたいな」と、
仕事の最中にバグのように思ったりしているかな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間らしくの象徴のような「家の中の谷川俊太郎」でしたね。