糸井重里

・冗談のように買ったものなのだけれど、
 ぼくは冗談のように「通期パス」を買った人間だが、
 おそらくじぶんが大阪の近くに住んでいたら、
 ほんとうに複数回通うにちがいないと思う。
 先日の1泊2日の「祭り見物」もたのしかったが、
 ほとんどの「出し物(コンテンツ)」は見ていない。
 もちろん評判の高いパビリオンにも行ってないし、
 あれは必見ですねと言われるようなところにも寄ってない。
 ふらふらと歩いて目に入るところ、
 必死にならなくても入場できるところ、
 休んだりトイレに行ったりするところなどは、
 ほんとうに気まぐれに寄って、機嫌よく過ごしていた。
 たぶん、ぼく自身は複数回行くようなことはないが、
 何度も行こうとしている人には、それはいいねと言いたい。

 だって、あの万博会場には、
 「これがいいと思ってるんだ」という未来への希望と、
 「こういうので感心してくれ」という見栄と、
 「こういうことできるんだけど」という自慢と、
 「こんなことでいかがでしょう?」という心配と、
 「これしかできまへんねん」という開き直りと、
 「これなら許してもらえますか」という言い訳と、
 そういうすべてが、集まっているんだよ。
 いまの時代に、世界中のそういうものが集められて、
 同じ場所で一気に競ったり協力したりしているのだ。
 「これからの時代どうなるんでしょうなぁ」なんて、
 みんなあちこちで考えたり話し合ったりしてるよ。
 でも、「こういうことじゃないですかね?」と、
 提案できるような「場」がそんなにあるわけじゃないんだ。
 だいたい、そんな「提案の場」を自前で建てたとしても、
 お客さん(見る人)を呼ぶだけで大変なことだ。
 でも、それが、万博という条件が整えば、やれちゃうのだ。
 やる方も、いちおうにしても「本気」にならざるを得ない。
 へたでも、とんちんかんでも、やると決めてやってること。
 それを一気に見られる場所が、あの万博会場なのだから、
 「さすがだ、そうか!」と感心したり参考にするにしても、
 「こんなのだめだよねー」と批判的に感じるにしても、
 受ける側としては、お得なことに決まっているのだ。

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