糸井重里

・友人とのLINEのおしゃべりで、ふと、
 「思えばさ、ユーモアっていうのは
 まちがったことを言うことなんだよね。」
 と思いついて、言った。
 ちょっとしたおもしろい話、たとえば、こんな例を。

 気取ったご婦人たちが、何人かでランチのテーブルにいた。
 それぞれが口々に、その料理がどれくらい気に入らないか、
 嫌そうな顔でさかんに述べ合っていた。
 味が濃いだの薄いだの、材料のレベルが低いだの、
 料理人の味覚が信じられないだの、言いたい放題。
 その悪口の輪に、ちょっと出遅れた婦人が、 
 口をもぐもぐさせながら、あわてて参加した。
 「そうよね、それに、こんなちょっぴり!」

 いや、そんなに爆笑というものではないが、
 ぼくはけっこう好きで憶えている話だ。
 たしか、ウッディ・アレンの本にあったのだと思う。 
 この最後の婦人のことばが、「まちがっている」わけだ。
 話の流れでは、お仲間が「まずい」と言ってるのだから、
 そんなまずいものの量が多くてもしょうがない。
 なのに、彼女は「少ない」と文句を言ってるわけで、
 その場の口うるさいご婦人方からしたら、
 あってはならないセリフだったということになる。
 などと解説じみたことを書くのも、野暮なことだが。
 「まちがっている」けれど、彼女はそう思っていたのだ。
 そのハズレ方が、漫才的には「ボケ」ということだし、
 その場にいる悪口ばかり言ってる御婦人たちへの、
 ある意味での「批評」になっているというわけだ。

 そういうことなんじゃないかなと思いついたけど、
 だとしたら、いまの時代だと認められにくいよなぁ。
 ことばがまるで数学の記号みたいに定義されたり、
 いちいち正しい意味とやらを問われたり、
 揚げ足を取ったり取られたり、
 武器や部品みたいに扱われてるもの。
 「正しい」は、「まちがい」と共存しているものだし、
 「まちがい」があらたに「正しい」を生み出すこともある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ユーモア」って古臭いことばのようだけど、大事なんだよ。

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