007 脳をからだに分散させる。

池谷 数年前、グランドキャニオン行ったとき、
ものすごーく、広大な景色が見えました。
向こう岸までは数十キロあって、
渓谷の左右は何百キロ見えてます、と
説明されたんです。

そう言われても、
自分のからだを超えすぎてしまっていて、
僕にはその距離が
ぜんぜんわかりませんでした。
つまり、東京から名古屋くらいまでが、
今まさに、一気に見渡せているわけですが、
でも、そんなの実感がわかないんです。
われわれの目にわかる距離って、
せいぜい1キロとか、そのぐらいでしょう。
それを超えちゃったら、みんな同じ。
感覚的によくわからなくなってしまうのでは
ないでしょうか。
人数も同じことで、
山岸先生がおっしゃった「150人」は、
ちょうどいい数字かもしれません。
糸井 小さい単位で
ものを考えていくことをしなかったら、
人間は地球上に
分布しなかったとさえ思います。
池谷 ああ、なるほど、そうですね。
糸井 人間は、地球に
同心円的に拡大していったんじゃなくて、
分布していったわけですから。
そのたびに、
「俺、ここに残るわ」
というやつがいたんです。
しかも、ものすごい早さの
分布だったんですよね。
アフリカから出発して、アジア側に行った人、
インドネシアのほうに行った人、
ヨーロッパに行って、
シベリアから日本のほうに来た人、
アメリカに渡って、最後に
チリの最先端で終わった。
「終わった‥‥」(笑)
池谷 しかも、移動する人数は、いつも少人数。
大移動じゃないんですよね。
‥‥僕は、自分の研究で
こだわっていることがありまして、
それについては世界最高記録を持っているんです。
上大岡 記録保持者?
池谷 そうなんです(笑)。
なんの記録かというと、
神経の活動をできるだけ高速に
レーザー顕微鏡で画像化することです。
世界最高速の1秒間に2千枚です。
そして、高速というだけでなく、
僕がもうひとつこだわりたかったのは、
画像におさめるニューロンの数です。
だいたい数十個撮ると
すごいと言われる業界ですが、
これまでの世界最高レベルは、1,000個でした。
僕も1,000個は撮ることができていましたから、
世界最高レベルです(笑)。
でも、それでは飽きたらず、
これを、もう1桁増やしたいと思いまして‥‥
上大岡 できました?
池谷 はい、先月、10,000個を達成しました。
もうここまで行くと、
しばらく誰も勝てないと思います(笑)。
そこまで行っちゃって、
一応は満足したんですが、
それでわかったことがあります。

たくさんの写真を撮れば
たくさん情報が入ってくるだろう、
だからたくさんの発見ができるだろう、
と思っていましたが、実際は、違いました。
ニューロンのグループ単位って、
おそらく100個とか、
あるいは多くても1,000個くらいなんです。
だから、10,000個撮ってわかったことは、
たくさんのグループがいっぱいあった、
ということだけでした。
神経局所回路の研究をしたいんだったら、
1,000個くらいの規模で十分だった、
ということがわかったんです。

だから、大規模化って、意味があまりない‥‥
やってみてわかったんです(笑)。
糸井 そこに行ってみたいという若者の心が
そうさせた(笑)。
池谷 そうなんです。
チリまで行ったら
「ああ、もうそこはおしまいだった」みたいな、
そういう雰囲気がいま、
僕の中にありまして(笑)、
まぁ、がっかりしました。

なかよしグループみたいなニューロンがあって、
それがモザイク状になっている、というのが
脳なんです。
上大岡 脳がそうできてるんだから、
私たちの人間関係も
そうなっておかしくないですね。
それぞれのところが少しつながって
活動しているだけで、
全体的な操作は、実はない。
糸井 ちょっと前まで、いろんなスポーツで
「データ主義」のようなことが
言われていましたよね。
首脳陣が相手の弱点を分析して、サインを出して
それをひたすら破らなければ勝つ、
という発想です。
つまり、選手を身体と考えて、
監督なりコーチなりを脳とする発想です。
池谷 中枢思考主義的なやり方ですね。
糸井 ええ。ところが、野球でいうと、
去年田口壮さんがいたフィリーズの
マニエル監督は、
ほとんどサインを出さなかったらしいです。
盗塁は、自由だった。
上大岡 すごいですね、考えらんない。
池谷 草野球みたいですね。
糸井 盗塁の材料はひとつだけ。
ピッチャーが投球のモーションに入ってから
キャッチャーが球を受けるまでのタイムです。
それを、ストップウォッチを持っている
1塁コーチが選手に教えてあげるんです。
ただ、それだけ。
選手は、練習で山ほど走っているわけだから、
自分が何秒でセカンドへ到達できるかを
知っているんです。
そこから計算して、自由に走っていいんです。
上大岡 そこで走れという指示じゃなくて、
自分の判断で走れということですよね。
糸井 そう。全体の中で、
「ここは走るべきかどうか」と考えるより、
一塁走者が「いまは有利だ」と思ったときには
そうに決まっている(笑)。
そうすると、反射神経型の人体のような
チームができていくんですね。
上大岡 それで優勝したんですものねぇ。
糸井 スポーツだけじゃない、いろんな組織にも
同じようなことが言えると思います。
中枢神経だけが命令を出していると、
伝達ロスがありますし、
中枢の人たちがわからない情報を、
現場がものすごく持っているわけですから。

極端に言うと、僕は最近
脳よりも皮膚に興味が出てきてるんです。
皮膚って、まさしく
外界とのインターフェースでしょう。
池谷 そういう意味で言うと、昆虫は
からだじゅうに脳を分散していますよ。
ハエとか、ああいう虫はそうです。
上大岡 え? ああ見えて‥‥。
糸井 (笑)ハエはああ見えて、
上大岡 脳がいっぱい。
一同 (笑)
池谷 心や脳は、頭だけじゃなくて、
むしろ身体あるいは環境全体に
分散しているんです。
皮膚ってけっこう、
僕たちにわからない、いろんなことを
知っているみたいです。

自分の意識がわかってないだけで、
からだのほうがよく知っていることがある、
という現象が、いろんな実験でわかっています。
緊張したりリスクがあるときに
手に汗を握ってしまいますが、
「あ、これはリスクだな」というふうに
僕らが気づく前に、
もうすでに手は汗ばんでいるんですよ。

例えばAとBという、ふたつの選択肢があって、
Aは危ない、Bは大丈夫、
ということがわかるまでは、
何度かトライすることになります。
だけど、Aがまずいとわかる
ずいぶん前の選択で、
Aを選ぶときには
皮膚が汗をかいているんです。
一方、僕らは、しばらくしてから
「あ、Aって危険なんだ」ということが
意識としてわかります。

そういう実験結果を見ると、
私たちの脳は、
「皮膚が汗をかいているな」という状態を見て
危険を理解しているんじゃないかとさえ思います。
上大岡 皮膚って、
内臓のサインを出すとも言われますよね。
見えないところの影響が
最初に出てくる。
池谷 そうそう。
ですから、触診ができる名医というのは
ほんとうにいるんですね。
最近は、そういう名医が減っちゃいましたが‥‥。
(つづきます)
2009-04-07-TUE
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