005 一般の人のための学問。

糸井 昔の哲学者が言っていることって、
けっこう脳に合っているんじゃないかな、
と思うんです。
自分を棚に上げて立派なことを言ったり、
いいことも悪いことも
同じ快感からやってくるという話は、
ソクラテスが「汝自身を知れ」という言葉で
とっくに言ってることだったりするし。
上大岡 脳科学の切り口は心理学かな、
ということも多いですよね。
池谷 ええ、そうですね。
最近やっと、脳という視点から
心理学の領域について
科学的にアプローチできるようになったんです。
哲学も同じだと思います。
哲学って、すごく難しいことを
やっているように思えるけど、
結局あれは、
一般の人のための学問だと思うんです。
糸井 そうですよね。
池谷 おそらくサイエンスも
ほんとうはそうあるべきです。
だとしたら脳科学は、
科学のなかでも、もっとも
そこに近いのかもしれない。
ここはぜったいやんないといけないな、と
実は思っているんです。
上大岡 それは、脳科学のみなさんが
思っていることですか?
池谷 脳科学は、サイエンスの中で
ひとつの形になっているから‥‥
どう言ったらいいんでしょう、
むしろ孤立していたほうが、孤高で美しい、
と考える人もいるかもしれません。
そうするとやっぱり、
日常的なことを説明しようという部分は、
ちょっと外れてしまう雰囲気が、
なくはないんです。
糸井 池谷さんは、そこに近づいていく
勇気のある方だと思うんですが、
それはきっと、サイエンスの分野で
きちんとやっていく土台のようなものを
身につけているからなのでしょうね。
池谷 自分はサイエンスの分野の人間であって、
その作法を知っていて、守るということを
自分の中ではひとつの砦にしているんです。
サイエンスの考え方とか理論の作り方とか、
そういうことです。
上大岡 具体的には、どういう考え方なんですか?
池谷 たくさんあるんですが、
いちばんシンプルなことを挙げるとすると、
因果関係を盲信しないことでしょうか。
因果関係はサイエンスではわからない、
ということです。
その点ははっきりしないといけないんです。

例えば、コップに入っている水をこぼしたら、
水がこぼれるのはあたりまえです。
だけど「こぼしたからこぼれた」というのは
サイエンスとしてはダメなんです。

解熱剤を飲んだら熱が下がりますが、
でも、薬をのんだから下がった、
といったらダメなんです。

なぜなら、薬を飲んだから熱がさめたのか、
放っておいてもさめたのかは、わからないからです。
そこを厳密に詰めていかなきゃいけないんです。
論理的に詰めていく段階で、
いろいろややこしい話が出てきて、
結局、因果関係は絶対に
サイエンスではわからないということになります。
上大岡 事実がわからないということですか?
池谷 事実と事実の関連がわからないんです。
サイエンスは、
仮説を否定することはできるんですが、
仮説を証明することはできないんです。
反証可能性というんですが、
これが難しいところなんです。
糸井 池谷さんは、そうやってサイエンスを守るし、
サイエンスの世界にいる人たちを
守っているんですね。
サイエンスが危ないところに行く可能性は
いくらでもあるわけですから
そこを、いろんな見方から疑っていこうとする
積み重ねの考え方は、
その次の研究の土台を作っていく、
ということになるのだと思います。

でも、池谷さんは、
ふたつの文体を持っているんじゃないかなと
僕は思っているんですが。
池谷 はい、まったくそうなんです。
基本的には僕は、ほとんどの時間を
サイエンスに割いているので、
ふだんはサイエンスの文体です。
これからあとも大学に戻って仕事するんですが、
そうするともう、話し方までもが変わってしまう。
だけど、みなさんも、
家に帰って奥さんや旦那さんの前で
話すときは、仕事場とは違いますよね?
糸井 僕は違わないけど。
一同 (笑)
上大岡 だけど、池谷さんは、
よく切り替えて、
私たちのほうに近づいてきてくださいます。
池谷 いや、僕は‥‥、たぶん、
こういうの、好きなんです。
サイエンスも好きだけど‥‥自然界が(笑)。
糸井 池谷さんは、
「ホーム」と呼べる場所が、きっといいところに
あるんじゃないでしょうか。
「どこにいるんですか?」
「ここです」
といえる場所が、
心の中にあるんでしょう。
池谷 そうですね、いい場所もあると思うし、
もうひとつ、飽きっぽいというのも
あると思います。
研究室にいたいと思ったら、
そこがホームだし、
自宅に帰りたいと思ったら、そうじゃなくなる。
ずーっと同じことをくり返すのは、
自分の性格に合わないんだと思います。
(つづきます)
2009-04-03-FRI
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