004 やさしさの生存戦略。

糸井 ねたむことは、脳の活動であり人間である。
そのことを排除して
「こうせねばならない」
「ふざけてるんじゃないか」
と、立派なことを言ってしまうことがあります。
自分もそうなのに、という棚のあげ方は
ちょっとなぁ‥‥って、思います。
池谷 本能的なこと、リビドーを押し殺して
理性を成立させるというのは、
たぶん、学校の先生が教えるやり方だと
思うんですが、
汚いリビドーも全部含めて、
本能的なものというのは
本来は押し殺せないわけだから、
人は、ほんとうは、それらと
共存しないといけないと思っているはずです。
ここをどう認めるかということです。
上大岡 うん、うん。
池谷 隠すことは重要かもしれないけど、
あることを認めないといけないと
僕は思うんです。
糸井 しかも、そのリビドーは、
優先順位からすると、
かなり高いわけでしょう。
上大岡 人を追いやったり押しのけることは
生きるために必要だったりしますもんね。
糸井 そうやって
食い物に走ったわけですからね。
だけど‥‥その優先順位を
きっちり守った人がいる一方で、
そうでないこともありますよね。

タイタニック号が沈むときに
「どうぞ、先に行って」と
助かる道を譲った人がいるという話がありますが、
それはウソじゃない、
ほんとうのことだと思うんです。
そのことを聞いて「いいな」という心も
人間にはあります。
「いいな」と思えるのも、もしかしたら
大きい意味での生存戦略じゃないかな、と
思うんですが。
池谷 うん‥‥その問題は、
美徳感がどこから生まれるのか、
ということですよね。
糸井 池谷さんが、売れ残った犬を
飼うことになった、というお話も‥‥。
池谷 美徳として飼うことになったという
認識はまったくないですが、
言われてみれば、
悪いことした気分じゃないですよね。
まぁ、どちらかというと、
いいことしたような感じになりますね、
ええ(笑)。
糸井 これはほかでもよくしゃべってる
ことなんですが、
グルメも極まると、
自分だけが「これはうまいな」と
思ってるのではつまらなくなって、
北大路魯山人のように、
食べさせる側になったりします。
お母さんは、自分がひとりで食べるより
子どもに食べさせているときのほうが
おいしかったりするでしょう。
上大岡 そうですね。
たぶん、そういう衝動がある
ということですよね。
糸井 うん。
ほんとうの、いちばん豊かな喜びって
そういう方向にいくんじゃないかという
感覚があります。

汚いことをするのも人間です、
というのと同じように、
人間はきれいなことも
しちゃうんじゃないでしょうか。
誰かがどこかに落っこちそうなとき
「危ない!」と言って飛び込んでいくこと、
長い人生の中では、
ちょっとぐらいそういうことが出る時期って
あるのかもしれない。
上大岡 人が喜んでくれることを、
骨身を削ってやっているなんていうのも、
ちょっと怪しいですね。
糸井 そう。自分がいちばん気持ちよく
そのことを思ってたりするじゃないですか。
池谷 それはつまり、自己陶酔ですね。
そうすることで
自分にご褒美をやっているんだと思います。
基本的にそれも脳の報酬系の活動ですから。
さらに、報酬系は、
また同じものを求める傾向を生みます。
つまり、癖になるんです。
上大岡 美徳依存症。
一同 (笑)
上大岡 でもそれは、逆に
人の不幸がうれしくって、
それが癖になるということでも
あるんですよね。
糸井 ひがみ依存症というか。
池谷 そうでしょうね。
糸井 自分はいい人だとか悪いとか、
そういうことが結局は
ご褒美系の快楽につながってるということを
はっきり知っておいたほうが
いいのかもしれませんね。
そうでないと、
単なる「嫌ないい人」になってしまうから。
上大岡 そうですね。
嫌ないい人って、快楽であることを知らずに
相手を責めたりしますから。
(つづきます)
2009-04-02-THU
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