糸井 |
ねたむことは、脳の活動であり人間である。
そのことを排除して
「こうせねばならない」
「ふざけてるんじゃないか」
と、立派なことを言ってしまうことがあります。
自分もそうなのに、という棚のあげ方は
ちょっとなぁ‥‥って、思います。 |
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池谷 |
本能的なこと、リビドーを押し殺して
理性を成立させるというのは、
たぶん、学校の先生が教えるやり方だと
思うんですが、
汚いリビドーも全部含めて、
本能的なものというのは
本来は押し殺せないわけだから、
人は、ほんとうは、それらと
共存しないといけないと思っているはずです。
ここをどう認めるかということです。 |
上大岡 |
うん、うん。 |
池谷 |
隠すことは重要かもしれないけど、
あることを認めないといけないと
僕は思うんです。 |
糸井 |
しかも、そのリビドーは、
優先順位からすると、
かなり高いわけでしょう。 |
上大岡 |
人を追いやったり押しのけることは
生きるために必要だったりしますもんね。 |
糸井 |
そうやって
食い物に走ったわけですからね。
だけど‥‥その優先順位を
きっちり守った人がいる一方で、
そうでないこともありますよね。
タイタニック号が沈むときに
「どうぞ、先に行って」と
助かる道を譲った人がいるという話がありますが、
それはウソじゃない、
ほんとうのことだと思うんです。
そのことを聞いて「いいな」という心も
人間にはあります。
「いいな」と思えるのも、もしかしたら
大きい意味での生存戦略じゃないかな、と
思うんですが。 |
池谷 |
うん‥‥その問題は、
美徳感がどこから生まれるのか、
ということですよね。 |
糸井 |
池谷さんが、売れ残った犬を
飼うことになった、というお話も‥‥。 |
池谷 |
美徳として飼うことになったという
認識はまったくないですが、
言われてみれば、
悪いことした気分じゃないですよね。
まぁ、どちらかというと、
いいことしたような感じになりますね、
ええ(笑)。 |
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糸井 |
これはほかでもよくしゃべってる
ことなんですが、
グルメも極まると、
自分だけが「これはうまいな」と
思ってるのではつまらなくなって、
北大路魯山人のように、
食べさせる側になったりします。
お母さんは、自分がひとりで食べるより
子どもに食べさせているときのほうが
おいしかったりするでしょう。 |
上大岡 |
そうですね。
たぶん、そういう衝動がある
ということですよね。 |
糸井 |
うん。
ほんとうの、いちばん豊かな喜びって
そういう方向にいくんじゃないかという
感覚があります。
汚いことをするのも人間です、
というのと同じように、
人間はきれいなことも
しちゃうんじゃないでしょうか。
誰かがどこかに落っこちそうなとき
「危ない!」と言って飛び込んでいくこと、
長い人生の中では、
ちょっとぐらいそういうことが出る時期って
あるのかもしれない。 |
上大岡 |
人が喜んでくれることを、
骨身を削ってやっているなんていうのも、
ちょっと怪しいですね。 |
糸井 |
そう。自分がいちばん気持ちよく
そのことを思ってたりするじゃないですか。 |
池谷 |
それはつまり、自己陶酔ですね。
そうすることで
自分にご褒美をやっているんだと思います。
基本的にそれも脳の報酬系の活動ですから。
さらに、報酬系は、
また同じものを求める傾向を生みます。
つまり、癖になるんです。 |
上大岡 |
美徳依存症。 |
一同 |
(笑) |
上大岡 |
でもそれは、逆に
人の不幸がうれしくって、
それが癖になるということでも
あるんですよね。 |
糸井 |
ひがみ依存症というか。 |
池谷 |
そうでしょうね。 |
糸井 |
自分はいい人だとか悪いとか、
そういうことが結局は
ご褒美系の快楽につながってるということを
はっきり知っておいたほうが
いいのかもしれませんね。
そうでないと、
単なる「嫌ないい人」になってしまうから。 |
上大岡 |
そうですね。
嫌ないい人って、快楽であることを知らずに
相手を責めたりしますから。 |
(つづきます) |
2009-04-02-THU |