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| タモリ | ま、いろいろパクリはするんだけれども 大胆なこともやってんです、ドビュッシーって人は。 |
| 山下 | あっはは(笑) |
| 糸井 | ドビュッシー、お好きなんじゃないですか? |
| タモリ | 好きですよ。大胆にパクるところとか。 |
| 糸井 | それだけ、どん欲だったってことでしょうね。 |
| タモリ | でも、こういう時代を経て、 ジャズも大きく変わっていったんです。 ドミソの和音のベースになる音っつったら 「ド」なんですが、 ピアノじゃ、これすら弾かなくなっちゃう。 |
| 山下 | ベーシストに任せるようになるんですね。 |
| タモリ | で、余った指で‥‥。 |
| 山下 | そう、おもしろい音を。 |
| タモリ | ナインスだとかイレブンスだとかいう音を、 余った指で探しはじめて、 本当に「オタク化」していくんですよ。 |
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| 糸井 | あの‥‥理論的なことは よくわからずに聞いてるんですけど、 楽しそうですね、それ。 ああ、遊んでるんだな‥‥っていうか。 なんだか、鉄道マニアの話のようで(笑)。 |
| タモリ | あー‥‥。 |
| 糸井 | あの鉄橋がどうした、とか語ってる タモリさんを見るのは、嫌いじゃないですから。 それに今、だんだん近づいてる(笑)。 |
| タモリ | 鉄道はおもしろいです。 |
| 山下 | あっはは(笑)。 |
| タモリ | 200系のコンプレッサー音が‥‥とかね。 |
| 糸井 | わかります、その気持ち。 言ってることは、よくわかんないけど(笑)。 |
| タモリ | だから、ドミソ以外の音を探すことによって、 アドリブなんかも、 さらに自由度が高くなっていくわけですよ。 |
| 糸井 | これもアリだぜ、が増えてくる。 |
| タモリ | そう、そうなんです。 |
| 山下 | で、そういう即興演奏のウデを競うために ミュージシャンたちが集まってきたのが、 ニューヨークの「ミントンズ・プレイハウス」っていう ジャズクラブだったんですよね。 |
| タモリ | 毎晩毎晩、ライブが終ったあと、 その「ミントンズ・プレイハウス」に集まって、 みんなで技術を磨いていった結果、 「ビバップ」というジャズが生まれてくる。 |
| 糸井 | ははあ‥‥でも、彼らプレイヤーにしてみたら タイヘンな時代が来ちゃったってことですよね? |
| タモリ | ええ、テーマというより、アドリブ中心ですから。 |
| 山下 | そういうところは、あるよなぁ。 |
| 糸井 | ああ‥‥でもそれって、 音楽が、もともと持っていた楽しさだとも 言えなくはないですよね。 |
| タモリ | そう。バッハなんかの時代は ぜんぶ、アドリブでやってたわけですし。 |
| 山下 | モリタ教授が言ってたように‥‥。 |
| タモリ | ベートーベンが悪いんですよ! 音楽に深刻なものを持ち込んだんです。 |
| 山下 | もっとも、バッハもモーツァルトも、 楽譜はとうぜん書いているわけですけど、 アドリブは、できたからね。 アドリブ大会みたいなものに出場して、 相手をやっつけたりしてたんだから。 |
| 糸井 | テーマとかっていうものは 保存したり運搬したりするためには 便利ですけど、 たとえなくても、音楽はやれますもんね。 |
| 山下 | そう、アドリブの考えさえ持ってれば。 |
| 糸井 | その中心が、ニューヨークだった。 |
| 山下 | ニューオーリンズからシカゴ、 そしてニューヨークへとね、移っていったんです。 |
| 糸井 | アメリカの歴史自体と、並行してるみたいですね。 |
| タモリ | 重工業から、商業に移っていったとも言える。 |
| 糸井 | なるほど、だから第三次産業の中心点である‥‥。 |
| タモリ | ニューヨークに、移っていった。 それが、モダンジャズというものなんです。 |
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| <つづきます> | |




