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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-11-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・こっちにいる人たちが、あっちに移っていく。
 知ってる人で、あっちに引っ越しする人がだんだん増える。

谷川俊太郎さんと、「死」については何度も話したなぁ。
 ある程度の高い年齢の人で、「死」ということを
 じぶんのことを混ぜて話してくれる人は、ありがたかった。
 ぼくも、そういう生き方をしたいと思っている。
 たぶん、谷川さんは「じぶんの死」についても、
 たくさん考えたりもしていたし、想像もしていたろう。

・たとえば「じぶんが死ぬ」というその日については、
 おそらくとても少ない人だけが知ることになっていて、
 それが何日か経って発表されるということも知っていた。
 そんな例をたくさん見聞きしていたはずだし、
 たぶんじぶんもそうなるだろうと想像していたと思う。
 11月13日に亡くなったと発表されていたから、
 ほんとうは、その日からこの世に谷川さんはいない。
 しかし、ぼくらが、いや世界がそれを知るのは
 11月19日だったので、それまでの一週間ほどは、
 みんな谷川さんのこの世への不在を知らないので、
 さみしがってもいないし悲しんでもいなかった。
 「谷川俊太郎がいないことを知らない時間」は、
 なにか特別に書かれた詩のように、ぼくには思える。

・みんなが必ず経験するという意味で、死は平凡です。
 そしてその平凡な死を前にして、
 さみしいと思う気持ちもとてもありふれたものです。
 でも、何度も感じたことのあるこのさみしさは、
 とても新鮮なものでもあります。

・「大した詩人」ということじゃなくて、
 「谷川さん、いないのはさみしいです」と言われたら、
 たぶん「そう?それはありがと」と笑ってくれそうだ。
 「いっそ、もうこっちに来たら」と気軽に言われそうで、
 ぼくとしては「はい。へへへ」と答えるのかな。

吉本隆明、谷川俊太郎、橋本治
 「日本の三大安売り王」と言ったことがある。
 三人とも、それを言われてよろこんでくれた。
 思えば、ひとりもいなくなってしまった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
別れとさみしいの練習はもうさんざんしてきましたけどね。


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