糸井重里
・いままでにあった歌、いまできている歌、
もちろん、ほとんどの歌をぼくは知らない。
だれかがつくって歌っている歌がたくさんある。
同じように、いままでにあったマンガ、
当然、ぼくはほとんどのマンガを読んでない。
だれかが描いたマンガが無数にある。
特に日本にはとんでもない質量のマンガがある。
だれかたちがつくった映画、これまでに合った映画、
いまつくっている映画、ぼくはほとんど観てない。
世界中にたいへんな数の映画が存在している。
歌だとか、マンガだとか、映画だとかで言ったら、
なんだかわかりそうな気もするけれど、
あらゆるものは、だれかさんがつくっている。
有名な橋も、歴史的な建築も、
名付けられてもいない橋も、ただの家も、
どれもみんなだれかや、だれかたちがつくっている。
そして、それは、つまり、
ほとんどすべてのものを、ぼくは知らないし、
それをぼくはつくってない。
世界は、ぼくじゃない人たちのつくったもので、
あふれているし、ぼくはそのことさえ知らない。
知らないことさえ知らないでいるうちにも、
世界はぼくじゃない人たちがつくっている。
いやいや、人がつくっているものばかりでなく。
もともと自然がつくっているもののほうが多い。
山も海も空も大地も月も星もゴミムシも、
人がつくったものでなく、そこにある。
じぶんの主観のなかにすべてがあるのだけれど、
ほんとは、じぶんなどいなくても、すべてがある。
じぶん以外のすべては、じぶんの主観の外にある。
だから、つまりだ、その、安心していいぞ、と。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにをいまさら思ったのだろう、思うままに書いてみたよ。
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