/
ほぼ日手帳

糸井重里

・このごろ、なにかと「主観」ということを考える。
 先日、「好きな食べもの」について問いかけたのも、
 それは「主観」を思い切り出していい答えだからだ。
 いまの社会では、なにかについて訊かれたときに、
 どうしても「ああでもあるし、こうでもある」と
 「客観風の整理」を答えがちになる。

 やや冗談のように言えば、こういうことである。
 「雨が降り続いていやだ」というのは「主観」である。
 しかし、雨がいやだと言っているその「主観」は、
 水源のダムが渇水して困っている地域の人が聞いたら、
 嫌な感じになるのではないか、という感想も呼び寄せる。
 あえて他人に嫌がられてまで、
 雨降りのことを言いたいわけでもないので、
 「雨がいやだ」という「主観」は出さないことにする。
 かくして、「雨が降り続いているが、
 これについてやまないかなぁと思っている人もいるし、
 雨が降らなくて困っている人たちもいる」というような
 「主観」を取り除いたことを書くようになる。
 こういうことを何度も続けているうちに、だんだんと、
 「主観」を出さずにものを言うことが習慣になり、
 さらには「主観」を持たないように生きていくようになる。
 「おれは元気だ、めしがうまい」とかも、
 「元気がだせなくて、食欲がない人が傷つく」としたら、
 言わないほうがいいかと自制してしまうかもしれない。
 だれだって傷つきたくないし、傷つけたくないからね。
 「主観」をどんどん消すような練習をしているわけだ
 (これは、正直に言うけど、ぼくもそうなってますよ)。

 しかし、「主観」は大事なのだ、という以上に、
 「主観」がその人なのだし、生きることとは
 「主観」の積み重なりなのだと、ぼくは思ってもいる。
 有名な、夏目漱石の『草枕』の冒頭の一節。
 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」。
 「主観」が角を立て、流され、窮屈になっているわけだ。
 「主観」は、ぶつかるし、迷うし、困りもする。
 いまは、黙って「主観」を手帳にでも書いておこうか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日手帳」の宣伝として書いた文ではございませんが。

昨日のコラムを読み逃した方はこちら。

ほぼ日の人気コンテンツ

動画・配信

おでかけ

ほぼ日が企画・運営する、リアルな場所でのイベントやショップ情報はこちらから!
ほぼ日が企画・運営する、リアルな場所でのイベントやショップ情報はこちらから!
  • ほぼ日曜日

    渋谷PARCO8階にあるイベントスペースです。絵、写真、音楽、食、お笑いなど、様々なテーマの「ライブ」をほぼ日主催でお届けします。
    公式ページへ
  • TOBICHI東京

    ほぼ日グッズを販売する「店舗」であり、展示やイベントを開催する「ギャラリー」です。
    公式ページへ
  • TOBICHI京都

    ちいさな空間をフルに使って、ほぼ日グッズの販売や、イベントを開催しています。
    公式ページへ
  • ほぼ日GO

    あっちこっちの地域×ほぼ日のコンテンツが集まるページ。「読みもの」も「イベント」も。
    公式ページへ

毎日更新!

ただいま募集中!