糸井重里
・だいたい、人は40を過ぎたころから、
想像もしてなかった老いの兆候について語りはじめる。
男の場合はちょっとした病気の予兆などを語る。
小便の出に勢いがなくなった、徹夜のあとがつらい、
あれこれやったら息が切れる、細かい文字が見えにくい。
そういうことを、なにか少々自慢そうに語りたがる。
あれは、思えば、一種の見栄だったのだと思う。
もっと若いときのじぶんや、若い人たちに向けて、
「人生の先輩ぶりたい」という気持ちがあるのだ。
「いいなぁ、若い人は」と言いながら、
ちょっと「ほんとうの大人」みたいなつもりである。
40代での老い語りは、まぁそんなものだ。
50を過ぎると、実際に、「できなくなった」ではなく、
「できなくなっている」ことを計算に入れながら生きる。
細かい文字が見えなくなっていたなら、
もう静かに老眼鏡を買ったりもしているし、
定期検診で見つかった慢性病の対策に、
控える食物は控えるようにしているし、
冗談じゃなく無茶をしないようになってくる。
「人生の折り返しを過ぎたかな」ということを、
思いたくなくても考えざるを得なくなる。
60が来ると、もう見栄なんかじゃない。
ぼくははっきり覚えていることばがある。
ぼくより10年ほど先に60になった先輩が言った。
「60を過ぎてモテちゃったみたいなことがあったら、
それは同情だからね、50代とは大ちがいなんだ」
50になったばかりのぼくに向けて吹かせた先輩風だった。
昨日、ぼくはインプラントの口内工事をやった。
2時間半、ぼくも歯科医の先生もがんばった。
30年も前に「これは30年も持ちます」と言われて、
インプラントの手術をしたのだが、期限が来てしまった。
周囲の環境的な部分にガタがきていたのである。
この新工事を完成させると、あと30年大丈夫なのだ。
しかし、その施主であるぼくはあと30年、どうだろう?
新工事完成がむだになるかもしれないが、やるんだね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
しかし、昨日も今日も、つくった思い出はふえていくよね。
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