
第15回
あれは、まちがいでした
あれは、まちがいでした
糸井 |
藤田さんは、後悔していることも含めて、 率直におっしゃるところがスゴいなぁと思います。 「まだ、痛みを忘れていないのだなぁ」と言うか。 |
藤田 |
あ、そうですか。 たとえば、ぼくが数失敗しているうちで 大きな失敗は、 中畑をファーストへまわして、 原をサードにまわしたこと‥‥。 これはいちばんの間違いでした。 性格やタイプからいって、 原がファーストタイプなんですよ。 中畑がサードタイプなんです。 あれは、ぼくがミスして逆にしちゃった。 もしも原をファーストで 中畑をサードに入れていたら、 もっと、チームが勝てていたと思います。 これだけはまだ本人たちに謝っていませんけども、 あれは、まちがいでした。 サードというのは、攻撃型の人でないと‥‥。 たとえば、長嶋とかね。 ファーストというのは、受け入れ型の、 今でいえば松井とかね、 そういう人がファーストをやればいいんです。 だから、そういう 性格とか技術が当てはまってる ポジションをきちんと見つけて、 打順にしても、きちんと当てはめていくと、 チームは、充分に、いい結果を出せますから。 |
糸井 |
適材適所って、 ものすごく大切なことなんですねぇ。 |
藤田 |
ええ。そうなるでしょうね。 |
糸井 |
台湾から来た選手だとか、 クロマティだとか、いろんな選手がいたけど、 どうとらえていいかわからないその人たちを、 藤田さんは、ぜんぶを ちゃんと見ているような気がしていました。 |
藤田 |
でも、キツイことも、やっているんですよ。 |
糸井 |
どんなことを、やったんですか。 |
藤田 |
今の台湾の選手なんかは、 「同じ失敗を2回するな」と言っていたのを 3回失敗したから、帰しちゃったんですよ。 |
糸井 |
あ‥‥そういうこともしている。 |
藤田 |
それから、西本(聖)なんかは、 ジャイアンツのエースでしたよね。 それを、キャッチャーの山倉が ナマクラになっちゃってどうしようもないから、 「山倉に、刺激を与えにゃいかん」 と、西本という、その時点のエースで、 トレードなんて考えもしていなかった人を、 ポンと、中日とトレードすることになったんです。 代わりに、中日のキャッチャーの中尾を入れました。 星野(中日監督)のところに会いにいって、 「代えてくれないか」と言ったら、星野はすぐ 「わかりました」と言うものだから代えました。 その時には、ちょっとした悶着がありましたね。 |
糸井 |
確かに、藤田さんは、 やるときは、デカく怒りますね。 |
藤田 |
その時は、背に腹は変えられないということで、 思いきった決断だったんです。 ところが、山倉が言ったのは、 「ぼくは、中尾さんにはかないません」と。 もう、ぼくはガーッと山倉をつかまえて‥‥。 そんなつもりで、こっちは 犠牲を払っているわけじゃないのに。 刺激を与えるための、重要なトレードだった。 「そういうつもりで言ったんじゃないです」 と、山倉は、あとで言いに来たんですけど、 そのときはもう遅いですよ、カッとしてるから。 「おまえのためにこんなに 犠牲を払ったのに、何て弱虫だ!」と。 |
糸井 |
藤田さん、「弱虫ギライ」ですね、だいたいが。 |
藤田 |
まぁ、弱虫嫌いといいますか、 「どんな状態でそうなったか」 というのを何も考えないで弱虫になるのが、 きらいなんですね。 ‥‥思い返すと、たくさんあるんですよ、 もうしわけないなぁと思うようなことは。 だけど、心ならずも、やらなきゃいけない。 鹿取(投手・現巨人コーチ)も、 熊本でテレンコテレンコやっていたから、 マウンドに行って 「てめえ、やめろ!」と言ったら、そのまま、 「わたしはもう、ジャイアンツに いたくないから、やめさせてくれ」 何回か話したんですけど、絶対にいやだと。 「困ったなぁ」と思ったんです。 鹿取、その時、家を建てたばっかりだったし。 ダイエーからは声がかかってるけど、 福岡に行くのじゃあ、建てた家がもったいない。 東京付近で、 鹿取のことを受けるところがないかなと、 森(西武監督)に頼んだら、 「じゃあ何とかしましょう」と言ってくれたけど。 |
糸井 |
それで西武なんですか。 |
藤田 |
そしたら、西武で意外にはたらいちゃったんです。 その時に代えたのが、西岡と大久保。 大久保を取ったら、これがえらい活躍をした。 |
糸井 |
一時、ものすごかったですよねぇ。 |
藤田 |
あの時は会社に行って、 「あいつは月給が安いから、 少しご褒美を出してくれ」と言いました。 でも、今も後悔しているのは‥‥ その時、払う額をいえばよかったんです。 せいぜい500万円ぐらいの褒賞金を 一時金として「よくやったな」と出してもらおう、 と考えていたのですが、会社側は、 「ワカりました」と2000万円出しちゃった。 そしたら、たとえば、当時の石毛だったら、 「同じようにはたらいていて、自分には何もない」 と思うでしょう? 大久保だけボーンと2000万円‥‥。 これはみんな、雰囲気悪くなりますよ。 チームじゅうで、雰囲気が悪いんです。 いや、これには、まいりました。 |
糸井 |
そういうことまで、監督は 考えてなきゃいけないんですね。 「500万円」って言えばよかったんだ。 失敗って、多くのことを学びます‥‥。 |
藤田 |
そうなんです。 あとで気がついても、遅いんだけどね。 フロントは、ぼくが直接伝えたものだから、 「めったな額じゃいけない」 と思ったんじゃないですか。 大久保は、その後もよくはたらいたから、 有頂天になっていたでしょう。 |
糸井 |
大久保さんは、いまでも 藤田さんのことをうれしそうに言いますね。 |
藤田 |
あいつから、やめる時に、 電話がかかってきたんですよ。 「いろいろお世話になりましたけど、 やめます。決まりました。 ところで‥‥ぼくにヤセろと言わなかった 監督は、藤田さんだけです」 それを聞いて、 「何を言っているんだろう」 とはじめは思ったんです。でも感謝をされていた。 本人はヤセたくてしようがないんですけど、 みんなから、ヤセろヤセろと言われるから、 無性に腹が立っていたらしいんですね。 ぼくは大久保には、いつも、 「おまえ、その体を保つのには うんと走らなきゃいかんなぁ」 と言っていました。 確かに、一言もヤセろとは言わなかった。 大久保にとっては、 「ヤセろ」といわれなかったのは うれしかったんですね。 ぼくは、走ればやせると思ったんですけど。 |
糸井 |
そうか、内容は同じなんだ(笑) |
藤田 |
ええ。 でも、大久保が、やめるあいさつのときに そう言ったものですから、ますます、 「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」 と感じましたよ、その時に。 だから、同じことを言うのでも、違う方向から、 傷つけない言いかたを、しなきゃいけない。 それが、だいじなことだとわかりましたよね。 |
糸井 |
ああ‥‥。 やっぱり、そこだけはいわれたくない、 というのが、みんなあるんですよね。 |
藤田 |
あったんですよね。 |
2015-05-02-SAT
タイトル
体温のある指導者。藤田元司。
対談者名 藤田元司、糸井重里
対談収録日 2002年10月
体温のある指導者。藤田元司。
対談者名 藤田元司、糸井重里
対談収録日 2002年10月
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