この週末に気仙沼で行われた
「立川志の輔独演会」に、
乗組員30名ほどで行ってきました!
会場に着くと、
気仙沼つばき会や気仙沼のみなさんが
「おかえりなさい」と大漁旗で出迎えてくれます。
ああ、この景色は何度見てもうれしい。
気仙沼に来たんだな、と思います。
ほぼ日の乗組員がたくさん来るということで、
気仙沼のおかみさんのはからいで、落語会の前に
「さんま寄席のはじまりのはなし リレートーク」という、
落語会の第一回の様子や今にいたるまでを
5人の方々がリレー形式でお話くださいました。
気仙沼市の菅原市長、
気仙沼さんま寄席実行委員会会長の松井さん、
アンカーコーヒーのやっちさんと紀子さん、
そして斉吉商店の和枝さんです。
少しばかり、トークの様子をお伝えしますね。
第一回「気仙沼さんま寄席」は、2012年の3月25日。
「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなる、
そんな落語会を開いて、みんなで働いて、
さんま代をかせぎましょう」と糸井が声をかけ、
1,000人のお客さんが全国からやってきました。
当時の状況を菅原市長が振り返ります。
「気仙沼はまだ仮設住宅が3,500戸ある状況で、
慰問としてコンサートをしてくださることがほとんど。
気仙沼の人は市民会館でお金を払ったことがなかったんです。
なので、志の輔師匠の落語会をここでして、
お金を払ってくれる人がいるのだろうか心配でした。
そしたら『心配しなくていいです』と糸井さんはおっしゃいました。
お客さんはよそからやってくると。
泊まる場所も、食べれる場所もほとんどないですが、
これだけの規模で実現するには
志の輔師匠でなければならないことを肌で感じました」。
松井会長も志の輔師匠の落語があってこそ、
続いている会だと話します。
やっちさんも第一回の落語に、
15年間感動し続けているそう。
「中村仲蔵で市民会館にいる人全員が、
師匠の一挙手一投足に集中して
グッと入り込んでいました。
人生でものすごい体験をしたと思います。
未だに忘れられないですね」。
同時に思い出すのは、
東京からやってきた乗組員の姿。
「東京からやってきたイケた感じの人たちが(笑)、
寒いなか街角に立って、車の誘導をしているんですよ。
そういう一生懸命やっている姿を思い出して‥‥
まだ感動しますね」。
当時の苦労ははかりしれませんが、
「1,000人のお客さんがよそからやってくる」
ことに対するあ然とした様子は、
それぞれのお話からよく伝わってきました。
ですが、誰ひとりとして「できない」とは言っていなかった。
「やってみっぺ」と、
いろんな制約がある中でできることをする、
それが今につながっているのだと感じます。
「当時は制約もたくさんあったけれど、
『できることをしよう』でやらせてもらったんです。
師匠の落語がすばらしかったおかげで、
気仙沼で師匠の落語を聞きたいと思ってもらえた。
おもてなしについて学ばせてもらえたことで、
私たちができることはなんだろうと日々考えながら
続けてきた寄席だなと思います」と紀子さん。
その言葉に中ホールで拍手が起こります。
寄席の翌日、和枝さんも「なんとかしてやろう」と
思っていた当時のことを話してくださいました。
「私たちはあのときのさんま寄席が、
おもてなしのお手本なんです。
『できることをしよう』という本の通りですけど、
『ここまでならできる』と答えたことに
『こうしたらおもしろくなる』と
ほぼ日の方々がカバーしてくださった。
覚悟して今まで続けてこれているのは、
第一回のさんま寄席があったからです」。
今年の気仙沼での志の輔師匠の落語も、
いっぱい笑って、しみじみ心打たれました。
気仙沼で、志の輔師匠の落語を聞く。
ふたつがセットであることのよろこびを
体いっぱいで感じて、
こちらこそ気仙沼のみなさんのおもてなしに
学ぶことがたくさんありました。
迎えてくださってありがとうございました。
もう、来年が楽しみです!
「立川志の輔独演会」に、
乗組員30名ほどで行ってきました!
会場に着くと、
気仙沼つばき会や気仙沼のみなさんが
「おかえりなさい」と大漁旗で出迎えてくれます。
ああ、この景色は何度見てもうれしい。
気仙沼に来たんだな、と思います。
ほぼ日の乗組員がたくさん来るということで、
気仙沼のおかみさんのはからいで、落語会の前に
「さんま寄席のはじまりのはなし リレートーク」という、
落語会の第一回の様子や今にいたるまでを
5人の方々がリレー形式でお話くださいました。
気仙沼市の菅原市長、
気仙沼さんま寄席実行委員会会長の松井さん、
アンカーコーヒーのやっちさんと紀子さん、
そして斉吉商店の和枝さんです。
少しばかり、トークの様子をお伝えしますね。
第一回「気仙沼さんま寄席」は、2012年の3月25日。
「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなる、
そんな落語会を開いて、みんなで働いて、
さんま代をかせぎましょう」と糸井が声をかけ、
1,000人のお客さんが全国からやってきました。
当時の状況を菅原市長が振り返ります。
「気仙沼はまだ仮設住宅が3,500戸ある状況で、
慰問としてコンサートをしてくださることがほとんど。
気仙沼の人は市民会館でお金を払ったことがなかったんです。
なので、志の輔師匠の落語会をここでして、
お金を払ってくれる人がいるのだろうか心配でした。
そしたら『心配しなくていいです』と糸井さんはおっしゃいました。
お客さんはよそからやってくると。
泊まる場所も、食べれる場所もほとんどないですが、
これだけの規模で実現するには
志の輔師匠でなければならないことを肌で感じました」。
松井会長も志の輔師匠の落語があってこそ、
続いている会だと話します。
やっちさんも第一回の落語に、
15年間感動し続けているそう。
「中村仲蔵で市民会館にいる人全員が、
師匠の一挙手一投足に集中して
グッと入り込んでいました。
人生でものすごい体験をしたと思います。
未だに忘れられないですね」。
同時に思い出すのは、
東京からやってきた乗組員の姿。
「東京からやってきたイケた感じの人たちが(笑)、
寒いなか街角に立って、車の誘導をしているんですよ。
そういう一生懸命やっている姿を思い出して‥‥
まだ感動しますね」。
当時の苦労ははかりしれませんが、
「1,000人のお客さんがよそからやってくる」
ことに対するあ然とした様子は、
それぞれのお話からよく伝わってきました。
ですが、誰ひとりとして「できない」とは言っていなかった。
「やってみっぺ」と、
いろんな制約がある中でできることをする、
それが今につながっているのだと感じます。
「当時は制約もたくさんあったけれど、
『できることをしよう』でやらせてもらったんです。
師匠の落語がすばらしかったおかげで、
気仙沼で師匠の落語を聞きたいと思ってもらえた。
おもてなしについて学ばせてもらえたことで、
私たちができることはなんだろうと日々考えながら
続けてきた寄席だなと思います」と紀子さん。
その言葉に中ホールで拍手が起こります。
寄席の翌日、和枝さんも「なんとかしてやろう」と
思っていた当時のことを話してくださいました。
「私たちはあのときのさんま寄席が、
おもてなしのお手本なんです。
『できることをしよう』という本の通りですけど、
『ここまでならできる』と答えたことに
『こうしたらおもしろくなる』と
ほぼ日の方々がカバーしてくださった。
覚悟して今まで続けてこれているのは、
第一回のさんま寄席があったからです」。
今年の気仙沼での志の輔師匠の落語も、
いっぱい笑って、しみじみ心打たれました。
気仙沼で、志の輔師匠の落語を聞く。
ふたつがセットであることのよろこびを
体いっぱいで感じて、
こちらこそ気仙沼のみなさんのおもてなしに
学ぶことがたくさんありました。
迎えてくださってありがとうございました。
もう、来年が楽しみです!