いま、ぼくの目の前で話す笠井さんは、
ほぼ日で生産管理や工場との交渉を
ばりばり進めていたときと何も変わらない。
77歳。たしかにご高齢だ。
この老人ホームに入ったときは76歳。
入所したときは、この老人ホームのなかで
もっとも若かったそうだ。
今日、お話をうかがって、
笠井さんがご自分の老後について、
若いころから考えてきたということはわかった。
そのための準備もしてきて、
最新の専門的な知識も吸収されていた。
しかし、どうして、
このタイミングだったんだろう?
まだまだ元気な笠井さんが、
そこをパチンと切り替えた理由を知りたかった。
笠井さんには、きっとはっきりした
理由があるはずだとぼくは思った。
「まず、娘たちに負担はかけたくないと思った。
会いに来てほしいし、会いに行きたいけど、
金銭的な負担と、物理的な負担はかけたくない。
さっきも言ったように、掃除とか料理とか、
身のまわりのことは問題なく自分でできてる。
でもね、5年先、10年先はわからない。
たぶん、いずれは施設に入ると思った。
でも、ちゃんと自分のやりたいことが、
制限されずにできるところに入りたい。
テイラー・スウィフトがドームに来るなら行きたい。
孫たちをどこかに連れて行きたい。
そういうことを許してもらえる、
自由度が高い施設がいい。
だったら、いま、探せるうちに探したほうがいい。
そんなことを考えているときにね、
たまたまこんなことがあった。
俺が住んでた家って、建売住宅だったんだけど、
4軒並んでて、同時に売り出した物件だった。
だから、同じ時期に、同じような世代が買った。
そして、同じように住民が歳をとっていった。
俺がひとりになって、施設のことを考えていたとき、
その4軒のうちの1軒に、救急車が来た。
夜中、その家の人が心臓を悪くして、
救急車で運ばれて行った。
これは、俺も、いつ来るかわからないな、と思った。
明日起こってもぜんぜん不思議じゃない。
そうなったとき、娘たちに面倒もかけたくない。
だったらやっぱり真剣に考えざるを得ない」
‥‥なるほど。でも、とぼくは思う。
頭ではわかっていても、
住み慣れた家に不自由なく暮らしているのだから、
なかなかそれを変えたくないというのが、
ふつうなんじゃないんだろうか。
そんなぼくの雰囲気から察したのか、
笠井さんはより明確で現実的な背景を話しはじめた。
「ひとつ、はっきりしていることがあった。
自分が満足いく施設に入ろうとしたとき、
最初に払うお金と、月々に払うお金を考えたら、
いまいる家を売ることが必須だった。
娘たちはふたりとも自分でマンションを買っていた。
当たり前だけど、俺が施設に入るなら、家はいらない」
うん、たしかに。
「それで俺は家を売ることを考えはじめた。
家には、土地と、ウワモノ(上物)があるよね。
永田さん、これ、見事なもんでね、
土地の価格って、どこが査定しても一緒です。
A社に売っても、B社に売っても、C社に売っても、
土地の値段ってほとんど変わらない。
ところが、ウワモノは話が変わってくる。
どこの会社にいつ売るかで価格は違うんだ」
ああ、そうか、とぼくは思う。
またしてもこれは、お金の話だ。
「まず、一般的に、よっぽどいい物件じゃない限り、
家、ウワモノは、20年経ったら査定はゼロになる。
実際、俺の家を査定してもらったところ、
いくつかの会社は査定ゼロでした。
ところが、ある会社は、ウワモノに
400万円くらいの値段をつけてきた。
これがなぜかというと、俺は家を建て替えてたの。
そのとき、きちんとした会社に頼んでいて、
建て替えの程度もよかったので、
これはお金がちゃんとつきますよ、ということだった。
ただ、そうはいっても20年くらい経っている。
それで、値段をつけてくれた担当者が言うには、
1年経つごとに、50万づずくらい減っていきます、と。
下手したら、1年で100万くらい評価額が下がります、と。
いずれにせよ家は売らなきゃいけない。
持っている必要も、残す必要もない。
しかも、その価格が1年ごとに下がっていく。
だとしたら、俺がその家に
あと何年か住む理由って、
もう、まったく消滅しちゃうんだよ」
ああ、たしかに、そのとおりだ。
笠井さんは理由というより事実を積み上げていく。
「それと、うっすらあったのは健康のことだね。
俺、4年前かな、人間ドックで引っかかって、
すい臓がんの疑いがあるって言われた。
それで、大きな病院であらゆる検査をした。
もちろんCTもやって、MRIもやって、
それからPETっていう検査があるんだけどそれもやって、
けっきょく、最後に大丈夫だって言われた。
ただね、すい臓がんの疑いがあるって言われたとき、
もしそうなら先は長くないなって覚悟した。
たとえば何回か手術したら、たぶん、
いまみたいに自由に行動することはできなくなるよね。
そしたら、この老人ホームは、
『自立して歩行できること』が入る条件だから、
俺は入りたくても入れないことになる」
ひと息ついて、笠井さんはまとめる。
「いまなら、自分が入る場所を選べる。
早ければ早いほど家の価格は下がらない。
そして、5年後なのか、10年後なのか、わからないけど、
いずれこういう施設に自分は移る。
もっというと、『その日』は、いつか来る。
明日、来るかもわからない。
だったらもう、いまのうちに移っちゃおう。
うん。そういうことですね」
つぎつぎに現実が提示されて、
ぼくはいちいちうなずくしかない。
ひょっとしたらぼくは、
この取材を通して、
もっともっとふわっとした、
概念とか哲学とか価値観のようなものを
聞かされることを期待していたのかもしれない。
笠井さんという職場の大先輩が、
「歳を取るというのはこういうことだよ」と、
いまの自分よりひと回り大きな
心構えのようなものを示してくれて、
ああ、そういうことを意識すればいいんだなと
都合よく勉強させてもらうようなつもりで
ここに取材しに来たのかもしれない。
しかし、笠井さんはただただ現実の話をして、
ぼくの楽観的なビジョンは、
ひとつひとつ重りをつけられて地面に降ろされる。
そうだ。
老いることも、死ぬことも、現実だ。
実際にあることだ。
対応も選択も判断も、事実なのだ。
応接室の大きな窓から入る明るい光。
大きなテーブル。清潔なコップ。
それらは、笠井さんが現実的に選んだもので、
笠井さんのお金と健康と計画がなければ、
いまぼくが見ているこの風景はない。
大げさにいえば、
人生は連なる事実であるということを、
ぼくは明るい応接室で
笠井さんの話を聞きながら、
あらためて噛み締めていた。