|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ── | 当時、新宿のスナック「ジャックと豆の木」では 山下さんが発見した「九州の伝説の男」として 話題だったんですよね、タモリさんは? |
||
| 高平 | うん、店のお客さんみんなで 新幹線代を出しあってさ、 タモリを「ジャックの豆の木」に呼んだという話だよ。 そのころ、僕はまだ参加していなかった。 赤塚(不二夫)さんなんか、 赤塚さんが「どこに泊まるつもりだ」って聞いたら |
||
| ── | で、赤塚さんご自身は 下落合の仕事場で寝泊まりしてらっしゃったと(笑)。 |
||
| 高平 | 冬物の格好までは覚えてるから、 おそらく翌年の2月か3月ぐらいまでは いたんじゃないかなぁ。 |
||
|
|||
| ── | 中洲産業大学の教授ネタも 「ジャックの豆の木」でうまれたんですか? |
||
| 高平 | 中洲産業大学そのものは まだなかったような気がするけど、 NHKアナウンサー風の「昼のいこい」ネタだとか、 モリタ教授の「陶器の変遷」、 「ジャズの変遷」みたいなネタは、初期からあったね。 |
||
|
|||
| ── | そのときはまだ、扮装とかもせずに。 | ||
| 高平 | うん、日テレの『今夜は最高!』でやった 「中洲産業大学」くらいから あのボサボサのカツラにしたんじゃなかったかな。 |
||
| ── | いつも「ジャックの豆の木」には どんな人たちが遊びに来てたんですか? |
||
| 高平 | ジャックは、もともと山下(洋輔)さんの 初代マネージャーの柏原卓さんが母親とやっていて、 その後、別れたカミさんに 任せてた店だったって聞いた、たしか。 だから、山下さんとか、 奥成達(詩人・ジャズ評論家)さん、 漫画家の長谷邦夫さん、 『同棲時代』作者の岡崎英生さんとか 上村一夫さん‥‥そんな連中が集まってきたんだよ。 |
||
| ── | なるほど‥‥すごい面々ですね。 | ||
| 高平 | 店をたたむってときには、バス旅行に行ったりさ。 そのあと、なんとなく 四谷の飲み屋「ホワイト」に移ってったんだ。 新宿二丁目に「ひとみ寿司」って寿司屋があって、 そこには、赤塚さんとかタモリとか滝大作(演出家)、 それに所ジョージとか、小松政夫さんとか、 団しん也さんとか‥‥そういう人たちが集まってきて。 で、山下さんが「ホワイト」によくいるっていうんで、 だんだん、そっちへ流れていったんだよね。 |
||
| ── | 高平さん、赤塚さん、タモリさん、滝大作さんで 「面白グループ」という集団をつくってましたよね。 本を出版されたり、 『下落合焼とりムービー』って映画の構想を練ったり‥‥。 |
||
| 高平 | うん、そうそう。
赤塚さんが「名前は面白グループだ」って言い出して。 ひとみのころは、まだヒマだったんだろうね、みんな。 ‥‥でも、そのころにはもう、タモリは 『うわさのチャンネル』のレギュラーになってた。 |
||
| <続きます> | |||

