糸井重里
・この1年くらい、マンガの可能性について考えている。
狭い意味でも、広い意味でも、マンガはすごい。
近いうちに、なにかはじめるつもりではあるけれど、
とにかく大事なのは、あんまり頭を固くしないことだな。
「マンガとはなにか?」みたいなことを探求したり、
あらゆるマンガに通じようとしたくなったら、危ないな。
もっと「わかんないけど、おもしろい」という興味で、
トライの環境をつくっていくことが大事だと思っている。
「ほぼ日」も、そういうあいまいさから出発したのだし。
それにしても、手塚治虫という巨人の存在はとんでもない。
絶対に無視できない虫だけに、とか言ってる場合じゃない。
最近でも、やなせたかしさんをモデルにした朝のドラマで、
手塚治虫をモデルにした人物が仕事の依頼にやってきた。
当時からマンガ界では天才、巨人のような存在だった。
他の人の物語のなかに、巨人として登場している人なのだ。
亡くなった谷川俊太郎さんが語られるときにも、
代表作のように「鉄腕アトム」の主題歌があげられる。
谷川さんご自身も、「いちばん知られたぼくの詩」として、
まるで他人ごとのように語っていた。
あの主題歌を依頼したプロデューサー役も、
「鉄腕アトム」の作者である手塚治虫さんだったという。
谷川俊太郎物語のなかでも、手塚治虫は重要な人物だった。
そして、もちろん、手塚治虫というマンガ家が、
どれだけの「感動」や「よろこび」をもたらしたか、
それは数量でも、みんなの思い出でも、どちらでも表せる。
手塚治虫のマンガで育った人であるぼくは、生意気にも、
あんまり「押しも押されもせぬ偉人」のようになっていた
手塚治虫という人から、やや距離を置くようにしていた。
「すごいに決まってる」というところだけが、欠点だった。
だが、じぶんがある程度の年齢になってから、あらためて、
手塚治虫の「ほんとにすごい」がわかるようになっていた。
あれだけ画がかけて、構想力があって、発明があって、
時間をかけずに量産もできて、もう、いわゆる「神」だよ。
特に、今回は「手塚治虫展」で原画を見てしまったので、
そこにこめられた「いのち」にあらためて驚いている。
おかげで、いま、マンガはこんなにすごいことになってる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「すごいに決まってる」に反発するのも、若さというもの。
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