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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-01-19

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・思えば、じぶんでも「孤独のグルメ」みたいに
 ひとりで食事をすることはよくある。
 入りやすいのはカウンターのある店だけれど、
 大きいテーブルで相席という「孤独のグルメ」もよくある。
 どちらにしても、あんまり気を入れずに、
 調理場やら店のあちこちをぼんやり眺めたりしている。 
 他の客のことは、なるべく目に入れないようにする。
 しかし、目のほうは無関係のままでいられるが、
 耳はふさぐことはできないので、会話は聞こえてくる。
 それも、できるだけ聞かないようにはしている。
 でもね、聞こえてきちゃうんだよ、目の前にいるから。
 で、これは最近気付いたのだが、
 男性どうしの会話が、おもしろかったためしがない。
 そりゃそうだよ、しょうがないよ、
 おもしろがらせようとしてる話じゃないんだから。
 若い男も、おやじも、だいたい男の話はつまらん、なのだ。
 これ、じぶんも男だし、おやじだし、どうなんだろう。
 おもしろいときもあるかもしれないけど、
 他人に聞かせるつもりのないときには、
 あんまりおもしろくないかもしれないなぁ。
 そう考えていくと、老若男女を問わず、
 知り合いどうしが食事をしているときの会話なんて、
 他人が聞いておもしろいものじゃないのだな、きっと。

・テレビとかラジオとかで、おもしろい話をしている人は、
 人に聞かれているという前提で、話しているんだよね。
 それが結果的に、つまらなかったとしても、
 「聞かれている」という「外」が意識されている。
 ドラマの脚本に、「つまらない会話」が入っていたとしたら、
 それは「つまらない会話」を聞かせたいという表現なのだ。
 つまり、現実の日常の会話は、いわば「すっぴん」だ。
 テレビやラジオの会話は、「メイク」をしているのだ。
 テレビの画面のなかには、実はほんとの日常はない。
 きれいな人やらおもしろい人が「メイク」をして、
 きれいそうでおもしろそうな世界を創作しているのである。
 そう考えると、明石家さんまさんみたいに、
 ひっきりなしにおもしろいことを言ってる人って、
 「笑い神」が地上につかわせた人なのかもしれない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 
「365日24時間矢沢永吉」と、実の娘が表現した人もいる。 


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