糸井重里
・ぼくは、エビやカニのアレルギーなので、
そのどちらも食べないで生きている。
ごくごくたまに料理に混じったもの口に入れて、
ちょっと噛んでしまうこともある。
そういうときには、秒速で対処する。
アレルギーの薬を持っている場合には、すぐそれを飲む。
ただ、おかしいのは、その「エビやカニを食べた!」と
感じたときのぼくの最初の反応である。
「なんだこのうまいものは?!エビだ!」と言う。
アレルギーで食べられないのだけれど、
その味については大好きであるらしいのだ。
大好きらしいものが食べられなくて、
つらいか、といえば、ぜんぜんそんなことはなくて。
エビもカニもシャコも、周囲にいる人たちが
どんなにうまそうに食べていていても、
別にうらやましくはないし、いやだとも思わないのである。
それどころか、みんなうまそうに食べててよかったな、と。
心優しい隣人として微笑みさえ浮かべている。
ほんとうです、そういうものなのです。
同じようなことが酒にも言えて、
ぼくはアルコール類はたしなみませんのですが、
これについても、実はあんまり残念でもない。
いらないからいらないというだけのことで、
社交辞令的に「こんなとき酒が飲めたらいいな」と、
酒の肴に向いてそうな料理を前にしたとき、
言ったおぼえもなくはないが、切実に思ってはいない。
ほんとに、どっちでもいいのだ。
酒を飲めないなんてもったいない、とか、
人生の快楽の大きな一部分が欠落しているとか、
言いたがる人に会ったこともあるけれど、
じぶんではそう思わないので、なんにも感じない。
冷たいわけでも酒の価値を認めないわけでもない。
ぼくはぼくで、これでかまわないのだ。
いままで要らなかったものについては、
わざわざ要るようになることもないだろうと思っている。
ほしいと思えば、ほしいなりにほしがってもいるのだし。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほしいものが、ほしいわ」という気分は、いつもあるし。







