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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-04-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「日本のコンビニのサンドイッチがおいしい」と、
 外国から来た人たちに言われているのは、とてもうれしい。
 サンドイッチばかりでなく、おにぎりやらなにやらも、
 スナック菓子も、お店にあるものが全体においしいと。
 お世辞で言われているのではないかという疑いは、
 もう、ぼくはまったく持っていない。
 おそらく実際に、おいしいのだ。

 もっと前は、パン類にしても、おにぎりにしても、
 もうちょっとおいしくなかったと思う。
 で、ずっと日本で暮らしているぼくらも、
 それくらいの「おいしさとおいしくなさ」に慣れていた。
 「どうせ、安直に買って食べるものだし」と思っていた。

 この「どうせ」がものすごい曲者だったと思う。

 ほめる必要もないし、ほめられようともしてない。
 それを望んだり望まれたりする「ほどのものじゃない」。
 そういう分類のなかにいるものは、ずっとそこにとどまる。
 それなりに、そのままで世の中も回っているのだしね。
 おそらく、たとえばコンビニのサンドイッチも、
 もともとは「どうせ」と思われていた商品だった。
 それは外国でも、ある時代までの日本でも。
 もっとおいしくするには、原価をどうする保存はどうする、
 輸送はどうする、値段はどうする、人手はどうする? 
 できない理由だらけ、事情だらけだったから、
 「しょうがないんですよ」と考えられていたのだろう。
 それでも、「どうせ」のなかでもやれることはある、と。
 そう考えて、それを実行してきた人たちのおかげで、
 コンビニのサンドイッチは、そこから抜け出した。

 思えばさー、じぶんの経験でいっても、
 広告の世界もかなり「どうせ」だったよ。
 「どうせ広告だろ?」と言われるのが「広告」だ。
 そこから、どうしたらいいのか考えることは、
 とてもおもしろかったし、やりがいもあった。
 無料のホームページも「どうせ」だったなぁと思うよ。
 はじめられるのは、たいてい「どうせ」の領域なのだ。
 「どうせ」の世界で、「どうせ」と本気で思っていても、
 それはそれでひとつの生き方だから、「しょうがない」。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんのことは「どうせ」と思ってちゃいけないかもねー。


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