エ☆ミリー吉元
						マンガ原稿のある暮らし

偉大なマンガ家を父に持つ
エ☆ミリー吉元さんによるルポマンガです。
おうちにある約3万枚の
マンガ原稿を未来に遺すため、
いろんな関係者に取材をしながら、
自分なりの方法を探していきます。
家族とマンガと原画保存にまつわる
ノンフィクション・ファンタジー。
かわいい仲間たちと一緒におとどけします。

古谷三敏の生原稿

登場キャラクター

※キャラクターを
クリックすると
詳細がみられます。

  • エ☆ミリー吉元
  • エホッシー
  • ケーネンレッカー
  • 今回のスペシャルゲスト 陸さん

おしえてエ☆ミリーさん!
					古谷三敏先生について。

1936年、旧満州・奉天生まれ(私の父と同郷です)。
1955年、『みかんの花咲く丘』でデビュー。
手塚治虫先生のアシスタントを経て、
1963年には赤塚不二夫先生のアシスタントとなり、
『天才バカボン』『おそ松くん』等に
多くのアイデアを提供。
その後は1970年から「週刊少年サンデー」で
ギャグ漫画『ダメおやじ』を連載開始し瞬く間にヒット。
テレビアニメや実写映画化され、
連載は1982年まで続くこととなりました。

古谷先生といえば、その変わらぬ人気ゆえの長期連載。
うんちく漫画の元祖『BARレモン・ハート』は、
1985年「別冊漫画アクション」で連載がスタートし、
2021年に古谷先生がお亡くなりになるまで、
37年間のロングセラーとなりました。
同作は私が初めて読んだ古谷作品でもあり、
「早く大人になって、お酒を飲みたい、
そして知りたい!」と、
酒類文化の奥深さを羨望の眼差しで
拝読していた思い出があります。

じつはその前に、
古谷先生のお人柄に触れる機会がありました。
私が9歳の頃、パシフィコ横浜で開催された
「小・中学生によるラクガキコンクール」があり、
審査員のおひとりを古谷先生が務められていました。
学校に馴染めず、とにかくひとりで
絵を描く日々を送っていた私は、
超内気な性格を乗り越えコンクールに出場。
ステージ上でコチコチになりながら
自分の描いた「ラクガキ」を見せたところ、
古谷先生がとても優しく、穏やかに、
大いに褒めてくださった。
その体験は大きな糧となり、
いまでも制作をつづけることができています。

エ☆ミリー吉元の
						ちょっとこぼれ話。

古谷先生のマンガの中で、一番長く続いた作品は、
毎日新聞日曜版で連載された『ぐうたらママ』。
その年数たるや、なんと45年! 
ほぼ半世紀つづいた、驚異的な長寿マンガです。

「連載が長すぎて、話の順番が分からないんですよ」

長期連載ならではのお悩みを
そのように吐露する陸さん。
1話ごとに完結する構成、
かつ、掲載紙面が手元にないことから、
話の順番を調べるだけでも、
相当な手間がかかるとのことでした。

また、テキストは写植ではなく、
すべて古谷先生が手書きされているのですが、
たまにまちがった文字があると、
連載時は新聞社のほうで修正。
でも原画は未修正のままなので、
手元に遺された原画だけでは、
訂正すべき箇所がスムーズにわからない。
1話ずつ読んで、陸さんや編集者が
その都度判断するしかない状況であるという
特殊なご苦労もお聞きしました。

『ぐうたらママ』はフルカラー作品であることも、
大きな特徴として挙げられます。
カラー原稿は着彩された色が
どのくらい褪せているかがわかるので、
モノクロ原稿に比べて、
劣化の具合が確認しやすかったりします。

「でも俺やエミリーさんは、
描かれた当時の色味を、
そもそも知らないじゃないっすか」

そんな陸さんのお言葉を聞いて、
首が痛くなるほど頷いてしまいました。
そうなんです、その原稿が描かれてから、
だいぶ後に生まれた私たちは、
初めて見た時から、
その原稿はすでに色褪せていたんです! 
調査のために掲載された
当時の新聞や雑誌を見たところで、
その掲載誌がもはや劣化しているんです! 
そして作者自身も、
当時どのような色合いだったかなんて、
記憶に残っていません。

私の場合、そういったカラー原稿は、
スキャンした後、
色の塗られていない紙の余白部分が
どれだけ黄ばんでいるかを参考にしながら、
おそらく当時はこういう色だったんだろうな‥‥
という勘を頼りに、PCでレタッチを行なっています。

陸さんは小さな頃から、
工作などものづくりは好きだったとのことですが、
それを仕事にしようと
思ったことはなかったそうです。

幼少期から古谷先生と生活を共にされていた陸さん。
マンガを執筆される古谷先生のお姿を、
物心ついたうちから近くでご覧になり、
マンガ家という仕事自体、とても身近な存在でしたが、
「ここまで絵がうまく描けるようになるには、
おじいちゃんと同じ歳になるまで
やらなきゃいけないんだ‥‥しんどいな‥‥」
とそう思ったことが、
描き手にはならなかった理由とのこと。

そんな古谷先生は、
陸さんが生まれたタイミングで、
孫の可愛さを理由に仕事をセーブ。
なんと毎日のご飯をつくられていたとのこと。
仕事をセーブとはいえ、連載を複数抱え、
十分お忙しい日々を送られていたのにも関わらず、
もともと凝った料理を
おつくりになるのが好きだったこともあり、
執筆のかたわら料理番組を観ては、
「今日はこれに挑戦してみよう」といった具合で、
日々、多様なお料理が食卓を彩っていたと
取材の中でもおうかがいしました。

陸さんがマスターをされている
「BARレモン・ハート」では、
とてもおいしいフードメニューもいただけるのですが、
陸さんの料理センスの背景には、
古谷先生の味が活きているのだなと、
非常に感慨深く思いました。

2025-06-23-MON

エ☆ミリー吉元の
					おしらせごと。

画俠伝カバー

筆致も劣化も生原稿の質感そのまま!
60年の画業を圧倒的なボリュームで

バロン吉元 画俠伝 
Baron Yoshimoto Artwork Archives
(バロン吉元/著・山田参助/編、リイド社刊)

バロン吉元初の画集。
マンガ家の山田参助先生と共に、
父の画業から珠玉の絵をセレクトして収録。
制作にあたり、実は個人的な裏コンセプトがありました。
それは父の生原稿が今どのような状態にあるか、
レタッチは極力行わず、発掘時の見た目そのまま、
ほとばしる筆致も、進行した劣化も、どちらも生かして、
まさに「生原稿」という字があらわすように、
原稿は生きていることを、この本を通して伝えたかった。
先行世代にとっては懐かしく、
若年層にとっては全く新しい、
バロン吉元の「技」と「美」を伝えると共に、
生原稿への思いもこめて制作した一冊です。
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