── |
このことを知って本当に驚いたんですが、
琢磨さんが
レーシングドライバーの世界へ飛び込んだのは
20歳を過ぎてからなんですよね。
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琢磨 |
レーシングカートは19歳から始めましたが、
そのころはまだ自転車の世界にもいました。
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── |
ポールポジションどころではない、
レーサーとしては
遅すぎるチャレンジだと思うのですが。
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琢磨 |
最後列です(苦笑)。
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── |
でも、はじめてから5年ぐらいで
憧れのF1ドライバーになってしまった、と。
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琢磨 |
運も良かったんです。
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── |
レーシングドライバーの道を志す人って、
早ければ3~4歳とか
本当にちっちゃなころから英才教育を受けて、
ドライバーとしてのキャリアを
スタートするそうですが、
たった5年って‥‥すごすぎないでしょうか。
なんというか‥‥「向いてた」んですか。
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琢磨 |
まぁ、何をするにしても
多少の「向き不向き」はあると思いますが(笑)、
ぼくの場合、
たしかに自動車をはじめた時期は
遅かったんですが、
心に思い続けたものが、大きくて。
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── |
その思いって、はじめてF1を直に観て、
アイルトン・セナを知った
「1987年、鈴鹿」以来、ですよね。
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琢磨 |
ええ、レースをやれる環境には
なかったんですが
その日から
気持ちだけは誰にも負けてないと
思い続けていたので。
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── |
「20歳からはじめるなんて、遅すぎる」
とか
「途中からじゃ難しい」
とか、言われたりしたと思うんですが。
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琢磨 |
一般的には、そうかもしれませんね。
でも、最初っからムリだと決めつけられるのは
嫌だったんですね、ぼくは。 |
── |
なるほど。
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琢磨 |
やってみなきゃ、わからないから。
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── |
やってみなきゃ、わからないって
本当にやった人から聞くと
なんだか、ものすごい言葉ですね。
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琢磨 |
ずっとずーっと
自動車レースをやりたかったんだけど、
できなかった。
自転車に打ち込んでいたのも
「自動車をやりたい、でもできない」
という気持ちを、
唯一、代わりに表現してくれたから。
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── |
ええ、ええ。
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琢磨 |
もちろん、自転車も大好きですよ。
だって、誰でも気軽に乗れて、
エンジンは自分だけど
なにしろ車輪がついてるし‥‥みたいな(笑)。
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── |
「車輪がついてるし」って、いいですね(笑)。
‥‥でも、そうですよね、好きじゃなかったら
インターハイ制覇とか
大学選手権優勝なんてタイトル獲れませんよね。
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琢磨 |
自転車競技も、やると決めたらとことんやっていました。
でも、ずーーーっと心に残っていたのは
10歳のとき
鈴鹿ではじめて観た、F1だったんです。
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── |
なるほど。
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琢磨 |
あの日、ぼくは、F1レースというものが
どういうものかも知らずに
鈴鹿サーキットへ、連れていってもらった。
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── |
ええ。
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琢磨 |
そこで、F1とアイルトン・セナを
見たんです。
あのときの衝撃を
ずっと忘れられないまま、今日まで来た感じです。
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── |
どんな「衝撃」だったんですか?
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琢磨 |
圧倒的なスピード、轟音、迫力。
ぼくは最終コーナーで観ていたんですけど、
鈴鹿の最終コーナーの手前って
車のスピードが、すごく落ちるんですね。
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── |
へぇ。
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琢磨 |
シケイン(半径の小さなカーブ)から
立ち上がって
車が一気に加速していくんですけど‥‥
何て言ったらいいんだろう、
最終コーナーの直前は
丘のようになっているので
こちらからは見えないんですよ、車が。
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── |
ええ、ええ。
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2006年の日本GP、シケインを駆け下りる琢磨選手。
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琢磨 |
でも、車の姿は見えないのに
とんでもない音が聞こえてきたんです。
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── |
はー‥‥。
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琢磨 |
「え、どんなのが来るんだろう!?」って
ドキドキしていたら、
スッとあらわれたF1マシンが
想像してたよりも、ずっと大きくて‥‥。
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── |
ははー‥‥。
|
琢磨 |
その巨大なF1マシンは、
最終コーナーを下りながらどんどん加速していきました。
あれほど凄まじく「加速している」感がある物体を
はじめて見たんですけど、
何て言ったらいいのかな、マシンの音が‥‥
つまり、とんでもない勢いで加速してる車と
エンジン音が、シンクロしてなかったんです。
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── |
なるほど。
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琢磨 |
音が置いてかれてる‥‥というか。
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 |
── |
さっきのコーナリングの話と同じで
物理現象として
「おかしい感じ」だったわけですか。
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琢磨 |
現在のF1やインディカーの場合は
高性能のギアボックスを載っけてるんで、
シフト時間がほとんどゼロなんです。
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── |
はぁ。
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琢磨 |
ようするに
無段階変速のオートマチック車みたいに
すーっと加速していくので、
シフトチェンジのショック、揺れがない。
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── |
えーと‥‥はい。
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琢磨 |
でも、1987年当時はまだ
マニュアルのギアボックスだったんで
シフトアップのたびに
ドライバーが
カックンカックン揺れてたんです。
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── |
なるほど、細かい部分の理解はともかく、
当時は
「車が加速するたびに
ドライバーがカックンカックン揺れてた」と。
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琢磨 |
そうです。そのカックンカックンの揺れと
エンジンの音が
ぜんぜん、合ってなかったんですよ。
車が、ものすごい勢いで加速していくので。
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── |
それで「音が置いていかれる」みたいに
感じたというわけですね。
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琢磨 |
ぼくはまだ10歳の子どもでしたし、
専門的なことはわかっていませんでしたけど、
これはとんでもないな、
ということだけは、肌でわかったんです。
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── |
ええ。
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琢磨 |
とんでもないスピード、とんでもない加速、
とんでもなく‥‥すさまじい音。
身体全体に、その衝撃が伝わってきて‥‥。
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── |
ええ、ええ。
|
琢磨 |
スゴい! カッコいい! スゴい!
あれを運転してる人って何なの!?
‥‥という感じで(笑)、
「レーシングドライバー」というものに
とてつもない魅力を感じたんです。
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── |
でも、実際、モータースポーツをやるとなると
活動資金をはじめ、
そのための環境が必要だった‥‥と。
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琢磨 |
そうなんです。
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── |
それで、20歳を過ぎるまで‥‥。
|
琢磨 |
あの衝撃的な日以来、
「F1レーサーになりたい!」と
強く思い続けながら
自転車競技に打ち込んでいました。
で、大学に入学してからも
素晴らしい環境で、自転車をやらせていただいて。
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── |
はい。
|
琢磨 |
でも、ついに大学1年生のときの冬、
講義を聞きながら、
こう、思ってしまったんですよね。
何でオレは
ここに座ってるんだろう‥‥と。
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── |
おお‥‥。
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琢磨 |
本当にやりたいことはコレなの?
そう自問自答を繰り返しました。
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── |
なるほど。
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琢磨 |
かたや、レースの専門誌を見ると、
ヨーロッパのほうでは
18歳、19歳の同年代の人たちが
次々と、
F3でプロデビューしていってる。
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── |
ええ、ええ。
|
琢磨 |
自分と同い年の人たちが
プロのレーサーとして活躍してんのに‥‥自分は?
ここに座って、講義を聴いてる?
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── |
‥‥はい。
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琢磨 |
自転車競技は
思いっ切りやらせてもらっているけれど、
本当に自転車が
100%、
いちばんやりたいことかって聞かれたら
答えはノーで。
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── |
はー‥‥。
|
琢磨 |
そんなときに、
専門誌にレーシングスクールの特集記事が
載っていたんです。
鈴鹿サーキットでみっちりと走り込む
画期的なスクール。
そして成績最優秀者にはスカラシップが与えられ、
上位カテゴリーに進出できる‥‥。
そして年齢制限は20歳まで、だったんです。
もう「これしかない!」と思いました。
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 |
── |
そのスクールに入るのにも
選抜試験がありますよね、当然。
|
琢磨 |
当時はね、書類審査だけだったんです。
|
── |
つまり「実績」が必要なわけですね。
どこどこの選手権で優勝した、とか。
|
琢磨 |
しかも、70名を超える応募があって
そのうちの7名しか、入校できないという。
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── |
ものすごい難関‥‥。
|
琢磨 |
説明会の最後、
「質問はありますか」と言われたので、
ぼくは、聞いたんです。
「このなかから
どうやって7名を決めるんですか?」と。
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── |
ええ、ええ。
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琢磨 |
そしたら「書類審査です」と言われて‥‥。
もう、「ええーっ!」って感じでした。
このままでは100%、落ちると。
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── |
‥‥はい。
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琢磨 |
だって、まわりの応募者たちは
みんな10代で、
カートの全日本チャンピオンから
ヨーロッパ選手権や
世界選手権に出場している
エリート選手ばっかりだったんです。
どう転んだって
レーシングカート歴たったの数ヶ月で、
ひとりだけ
年齢が20歳になろうとしてる僕が
選ばれるわけがない。 |
── |
たしかに。
|
琢磨 |
それで
「1分でもいいです。面接してください!」
と発言しました、みんなの前で。
そうしたら、協議の結果、
その場で希望者は面接できることになった。
結局、70名全員面接になったんですが(笑)。 |
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── |
‥‥つまり審査方法を変えちゃったってこと?
|
琢磨 |
それ以前にも、
スクールの事務局に自分の想いをつづった作文を
送り付けていたりして‥‥。
募集要項にはなかったんですけど。 ははははは。
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── |
ものすごい熱意ですね‥‥。
|
琢磨 |
面接官がそのことを覚えてくれていたのは
うれしかったですね。
あとひとつ、おもしろかったのは、
面接を終えたとき
面接官の隣にいたアシスタントのかたに
「なんでそんなに
熱くなれるんですか?」なんて
逆に質問されちゃったこと(笑)。
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── |
いや、聞きたくもなりますよ‥‥。
|
琢磨 |
ぼくとしては実技オーディションがないのに、
書類だけで判断されて
チャンスを摘み取られるのは
絶対に、納得がいかなかったんです。
そういう意味では
入校するまでが、いちばんの難関でした。
でもアタックした結果、道が開けた。 |
 |
── |
いや、ものすごい話だと思うんですけど‥‥
不安とか、ありませんでしたか?
|
琢磨 |
それは‥‥はあまりなかったですね。
むしろ若気のいたりで、自信満々でした(笑)。
それよりも、その世界に入れたことが、
心の底からうれしかったし、楽しんでましたね。
|
── |
へぇー‥‥。
|
琢磨 |
それに、F1を目指そうとしているのに、
レーシングスクールの入り口で負けてたら、
世界になんか出ていけるわけがない。
ダメならダメで、
むしろ、いさぎよく、諦めがつくわけです。
挑戦せずして諦めちゃったら
あとには後悔しか残らないでしょう?
それだけは、絶対に、イヤだったんです。
|
── |
いや、ものすごい話だなぁ‥‥。
|
琢磨 |
20歳からF1なんて遅すぎるとか
まわりが何と言おうと、
そのときのぼくは、絶対やるって決めていた。
当然、うまくいかないことだらけでしたが、
そのたびに挑戦をし続けて、
「前に進むしかないんだ」って決めて‥‥
そんなふうにして、今までやってきました。
|

2006年、日本GPでチェッカーを受ける琢磨選手と、喜びのチームメイト。
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── |
2004年のアメリカGP、インディアナポリス。
そこまで憧れ続けたF1の舞台で
ついに第3位として
表彰台に上がったときは‥‥どんな思いでした?
|
琢磨 |
めっちゃ嬉しかったですよ。
でも「あと2段あるんだ」と思いました。
ずっと、トップしか見なかったから。
|
── |
へぇー‥‥。
|
琢磨 |
あっちのほうがいいなぁと。 |
── |
そのとき優勝したのは‥‥。
|
琢磨 |
ミハエル・シューマッハです。
|
── |
F1のことをあんまり知らない人でも
名前くらいは聞いたことあるであろう
史上最高のドライバーと、
同じ表彰台に上がったんですよ?
「世界で3番目に速い人」として。
|
琢磨 |
あのレースは予選も3番で
いい位置からスタートしてるんですが、
波乱があって、
いちど、ぼくは11番手まで落ちてるんです。
そこから
抜いて抜いて抜いて抜いて‥‥。
|
── |
ものすごい抜きましたね(笑)。
|
琢磨 |
‥‥抜きまくって、3位に戻った。
本当にドラマチックな展開でしたから、
ぼくのなかでも
忘れられないレースのひとつですね。
|

優勝したシューマッハ(中央)とともに、表彰台へ上がる琢磨選手。
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── |
‥‥ベストではない?
|
琢磨 |
そうですね‥‥難しいですけれど、
たぶん、順位がすべてではないんです。
ベストとして、1戦だけを挙げるのは難しい。
でも、いちばん心に残ったレースのひとつとして
どれかを選ぶとしたら、それは
2002年、
デビューした年の鈴鹿かもしれない。
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── |
なぜです?
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琢磨 |
その大会、ぼくは予選7位・決勝5位でした。
インディアナポリスの
3位表彰台よりも順位は低いんですけど、
はじめての母国レースで‥‥。
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── |
ええ。
|
琢磨 |
デビューした年だったこともあって、
それまで、
なかなかうまく行かなかったんです。
でも、はじめて思いどおりの走りができた。
そして会場の一体感がものすごかった。
16万人以上の人が
応援してくれているのが伝わってきて‥‥。
もう、感激でした。
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2005年の日本GPに出現した、琢磨選手の大応援旗。
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── |
それって、どのようにわかるんですか?
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琢磨 |
コースの条件によっては
客席のお客さんと
目が合う瞬間とかありますし‥‥。
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── |
あの猛スピードの中で? へぇー!
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琢磨 |
なにより、52周、すべてのコーナーで
ぼくが行くたびに
みんなが立ち上がってくれて、
旗を振ってくれて、
そして、飛び跳ねてくれたんです。
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── |
ははー‥‥。
|
琢磨 |
それが、本当にうれしくて、うれしくて。
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── |
16万人ぶんの歓声って、
ものすごいものなんでしょうね。
|
琢磨 |
F1は全戦がスペシャル、特別なんです。
でも、夢だったF1レーサーになれた年に
全17戦、世界中を回ってきて、
最終戦の日本GPで
はじめて自分の国のファンの前で走ったら‥‥
それまでのすべてのレースが
かすんでしまうほどの感動をもらえた。
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── |
はい。
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琢磨 |
あの日のファンのみなさんの応援は、
もう、一生、忘れることができない。 |

2005年の日本GP、第2コーナーの琢磨選手応援席で日の丸が揺れる。
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<つづきます> |