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吉本隆明さんという人は
難しいことをいっぱい考える、
怖い人なのかなと思っていたけれど
「ほぼ日」の「親鸞」のコンテンツで
イトイさんと話していることは
なんだか面白い、と興味が沸いて
講演会をやります! の声に
講演会なんて初めてだけど、
ちょっと、行ってみたい‥‥と
どきどきしながらチケットを押さえました。
(ケイコ)
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吉本さんが、終戦から話を始められたことは、
全く絶妙でした。
何年経とうが、問題意識の原点から始められ、
あ、吉本隆明の原像はここだったのだと、
うろうろしていたこちらを
あらためて目覚めさせてくれたように思いました。
(石)
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終戦のショックで、
「世界のつかみ方を考えないことには
生きていけない気がした」
という出だし。
「それに5、6年かかりました。
その5、6年は勉強しました」。
そして、太宰治の小説の筋を紹介するときの
「私のような凡俗な者にはうまくいえないんですが」
という言葉。
僕からすると、吉本さんというのは
「すごい人」なので、
「オレの考えたことを聞かせてやるぜ」というふうに
話すのかなあと思っていたら、そうではなくって、
ああ、この人はとにかく
「一生懸命に考えている人」なんだなあというのが、
一番、感じたことです。
同じフレーズが何度も繰り返され、
順序もかなりバラバラになったお話。
僕はそれなりに小説も読んでいるので
まあついていけるけどさ、
これってみんなついていけるのか?
と、生意気なことを考えておりました。
そしたら。
みんな3時間ずっと耳をすませているし、
ところどころに出てきた細かいおかしみの場所では
すぐに笑い声が起きるし。
うわあ。
「オレはけっこう本読んでるからまあわかるけどよう」
と、生意気なことを
感じていたけど、そうか、いまこの話は、
ここにいるみんなに伝わってるんだよなあ、
そうかそうか、すげえなあ‥‥というのもまた、
驚きだったのです。
(h)
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「言語を2つに分けるとわかりやすい」というお話には
すごい驚かされました。
考えた事もなかったから。
スーッと身体の中にその理論が入ってきました。
なんだろ、霧が晴れたみたいな感じ?
(TULIP)
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私は本好きでよく小説を読むのですが、
ほとんどエンターテイメント小説を好んで読み
純文学は読書力向上のために時々、
という読み方をしていました。
純文学にも面白みを感じることはあるけれど、
どうしても敷居の高いイメージがつきまとっていました。
今回の講演で純文学の楽しみを
発見できて嬉しかったです。
(さら)
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今回のお客さんは「ほぼ日」のファンが
多勢ということで、奇妙な焦りを感じました。
私は手持ちの知識で本で
読んでいる部分で補完しましたが、
この大勢の女性の方々は大丈夫だろうか、と。
(b)
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吉本さんの講演を聴きに行くことは、
山口県に住む私には、
そんなに簡単なことではなったのですが、
私にとっては必然で、そうしている自分がおりました。
その大きな決め手となったのは、
吉本さんのコンテンツの中の「日本のこども」でした。
そこで耳にしたことが、
私の本来やるべきことへと繋がる
糸口のようなものになったのです。
そして、今回、その根底に「沈黙」がある、
という所へ、繋がっていきました。
(マ)
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ステージに現れた
一見なんてことのない普通のおじいさんを見て
糸井さんがおっしゃる吉本さんの素晴らしさは
半信半疑の中、講演がスタートしたのですが、
‥‥正直びっくりしました。
私が小さい頃から「なんとなくこんな感じがする」と
感覚では気付いていても
モヤモヤして言葉にできなかったことを、
的確な言葉ではっきり言い切って下さいました。
(mo)
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吉本さん、構成表もほとんど見ずに、
糸井さんのタオルが入るまで3時間ぶっ続け、
あのまま行けば何回戦まで
ボクシング続いたでしょうか。
83歳ですよ。
あの迫力ある声は
内臓から来る自己表出の持続そのもの。
吉本さんは沈黙のなかにある
自己表出の重さ、重要性を
コミュニケーションのことばとの対比、差異として
語ったと思うのですが、
その差異は吉本さんの語りの持続そのものが
いちばん語っていたという気がします。
沈黙のなかにある
コミュニケーションにならないことばの
価値の領域の豊富さを目指せということ、
それを第二の言語として
コミュニケーションのことばに
対置させていくということ、
安易な指示表出に向かうなということ、
それをエンドレスボクシングで伝えてくれたと思います。
『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』
『心的現象論』は、類のない本質論で、
ヘーゲルやマルクスを超えた
新しい概念を提出していると思います。
吉本さんはそれを持続的に展開され、
今もさまざまな示唆を与えてくれていると確信しました。
貨幣はコミュニケーションとなってしまった
「価値」の幻影ではないか、
それを世界が、経済がたしかだと思う
拠りどころにしている、そんなことをふと思いました。
今後も「ほぼ日」が現在と未来について
吉本さんの発言を届けてくれるのを楽しみにしています。
(藤)
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糸井さんの敬意と親しみのある応対、
全霊で伝えようと言葉を紡ぐ吉本さん、
そしてなにより驚いたのが、幅広い年齢層の観客!
人気アーティストのコンサートかと
思うくらいでした。
(P子)
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身体のあちらこちらに不具合がある状態でありながら、
微塵もあきらめず、ご自分の言葉で伝えようとされる姿。
自分は医師として働いているので、
つい気になって手の動きや御姿勢などをみてしまうのですが、
肉体としては老いを否定できないけれども
魂は老いていない。
あきらめてしまっている若者にくらべ、
どれだけ若いのか、と思いました。
(のり)
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いつの間にか、ちゃぶ台をはさんで、
「もっと聞かせておじいちゃん」と言っている
孫のような気持ちになってしまいました。
「ほぼ日」をみていなかったら、
吉本先生への私の知識は
「よしもとばななさんのお父さん」で終わっていました。
(食いしん坊日和)
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吉本さんが書かれた本を読む事で、
吉本さんの考えていらっしゃることを知ることはでき、
文体からも吉本さんの声を想像することはできます。
しかし、実際にお話を聞いて、
やはり生の声や表情、身体全体からくる表現を
体験することは
その場所、その時間でしか
できないものなのだなとつくづく思いました。
いかにも楽しそうに話されている姿を見ていて、
本当にあの場にいられる幸せを感じていました。
(和子)
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恥ずかしながら、吉本さんを知ったのは、
「ほぼ日」からでした。
講演というのもほとんど聞いたことがない身でした。
働きだして、興味を持ったことに
自分のお金で参加できるようになり、
本州地方に就職で引っ越し住みついて2年目の年に、
この企画が催され、参加できた偶然に、感謝しています。
吉本さんを知るのはこれからな私ですが、
スタートとして、
吉本さんの言葉を吉本さん自身から聞けた幸運に、
はじめての挑戦のような、
わくわくする気持ちを抱いています。
(ちびぃ)
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講演会の、あの場に自分がいる事が
とてもうれしかったです。
吉本さんの手が、色んなことを語ってるなと思いました。
なにかを思い出す時の掴むような仕草、頭を掻くとき、
ほんとに引き込まれました。
糸井さんが「自分だけじゃもったいない」と
言われた気持ちがわかる気がします。
ほんとに、こんな先生に出会いたかったです。
(くらこ)
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あのお年でなおも着地点を考えず、進み、見つけ、
それらを私たちにも確実に、
熱心に伝えようとする姿に
たびたび涙してしまった私でした。
(ト)
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私には、どちらかといえば、
非常に難解な講演でありましたが、
手渡されたパンフレットに助けられ、
生涯におそらく忘れることの無い
貴重な体験になりました。ありがとうございました。
大変なことは承知の上で、続編といいますか、
「ほぼ日」上での補講の実施を切に希望します。
(ちいこのママ)
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当代の思想家が一般の人に
分かりやすく語りかけようと
こころを尽くしてくれるのを
会場の全員が一所懸命に受け止めて
何かを感じ取ろうとしているのが
とても温かくて、
豊かな時間を過ごしたのだなあと思っています。
席に着くと、
紙の袋に入っていた甘いものと飲み物に
気持ちが和みましたし、
冊子のレジュメはとてもわかりやすくて
講演の理解を助けてくれました。
会場全体がとても気持ちのよい雰囲気に包まれていて
吉本隆明さんや糸井重里さんやスタッフのみなさん相互の
信頼と尊敬に満ちていたように思いました。
(ほぼ日のファン)
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拝聴していて
「ぜんぜん時間が足りないなぁ」とも思いました。
この時間が「足りない」のは、
吉本さんのお歳のよる滑舌の悪さと
伝達能力の低下にも多分起因するんでしょうけど、
言いたいことが多過ぎるんだと感じました。
83歳にして、まだそれほどまでに
言いたいことがあるんですか?
と、私は不覚にも涙ぐんでしまいました。
会場には、
随分と若い人たちが多かったように思います。
(H)
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中国から飛んで行きましたが、
予想通り素晴しい講演会でした。
吉本さんの本をここ3〜4年読んできた
新しい読者として
思想的な影響を受けることを予想していましたが、
本を読むのとは全く違う
吉本さん自身のやさしさ、
近づきやすさのようなものが感じられ、
予想とは違った意味でも、本当に行ってよかったです。
(S)
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「早く終わっちゃうのは残念だけど、
遅くなる分にはいいよね!」
と、始まる前に言い合っていました。
1時間半では終わらないだろうなぁ、
という気持ちでいましたが‥‥そしてそうなったわけですが。
「半世紀考えていたことを1時間半では話しきれない」
それはそうだよな〜!!
私も友人も、周りのひともうなづいておりました。
(26歳OL あんこ)
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漠然と感じたのは
「自分はどこかでこういった話を聞きたかったんだな」
ということです。
今回のように、
「誰かが自分の中でしっかりと考えた話を
腰を据えて聞いてみる機会」
をどこかで持ちたかったんだと。
誰か信頼のおける方の話を
丸ごとしっかりと
聞いてみたい気持ちがあったみたいです。
これが今後どのように
自分の暮らしの中に沁みてくるかはまだ解りませんが、
じわじわと何かが来るのではと密かに思っております。
それにしてもやっぱり解らない部分もありました。
もう少し聞いてみたい部分もありました。
特に幹と根っこの辺りはもっと聞いて見たいです。
でも後々にイトイさんが
その後のお伺いをして頂けるとのことで、
その辺も期待しておりますので
よろしくお願いいたします。
(bata)
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きっとあの講演は
いつまでも忘れられないものになると思います。
あんなに話しているひとがなにを大切に思って、
なにを伝えようとしているのか
必死で聴こうとした講演会は初めてだった気がします。
最後に糸井さんが
「わからなかったこととかをまた訊きに行きます、
それをまたみなさんに伝えます」
って約束してくれたときは嬉しかったです。
わかったふりをしたくない、
わからなかったことを忘れたくない、
もっともっと知りたい、
っていう、聴いてるひとたちの気持ちを
受け止めてくれたんだと思いました。
今「ふたつの目」を読むと、
吉本さん本人が話されているのを
聴く前と聴いた後では
ぜんぜん理解の質が違うことがわかります。
それに今感激しています。
(y)
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感動しました。何なんでしょう、
特に詳しく存じあげている方ではないのに。
でも、「ありがたい」という気持ちに
近い感覚はありました。
途中、言葉を口から紡ぎ出す前の、
慎重になっているが故のその沈黙の時間が、
その目をつぶって
必死に次の言葉を導き出そうとしているその表情が、
僕にはたまらなくゼイタクでした。
(まっちゃん 男 38歳)
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糸井さんが
最初の予定などどうでもいいんだというふうで
吉本さんに目一杯時間を使わせようとされたことに
感謝します。
(猫おじさん)
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今後の自分の人生の中で、
あの3時間が大きな意味をもってくると思います。
(しらしら)
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吉本さんが退場される時、期せずして、
スタンディングオベーションみたいな形になった場面、
ヤンキースタジアムにいるみたいでした。
(ミッセイ)
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「世界を知る(把握する)方法」
それを探して世界中を旅する冒険家が、
冒険談を話している姿に見えました。
(ちあき)
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とっても不思議なんですけど、
日が経つごとに、吉本さんの存在が増すのです。
より正確に言えば、
あれは本当に現実のものだったのかなぁ、
という気持ちになるのです。
映画を見終わって、いい映画だったねぇ、と
言える映画もあれば、
日が経つごとにストーリーではなく
あるシーンが朧気に浮かぶ映画もありますよね。
うまくいえませんが、
あの日の吉本さんの虚空を見つめる目、
手の表情(?)は、一生、
私の脳裏に残るのだろうなぁ、
と今では思っています。
(h)
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