
第9回
ワルの転機
ワルの転機
糸井 |
終戦になって、 「何かをやろうか!」という感じが、 そのまま、野球をやることにつながったんですか? |
藤田 |
そうですね。 終戦になってから、 戦前に野球をやっていた人が、 ある日、グラブを持ってきたんです。 いまでも忘れませんが、 アメリカ製のマクレガーのグラブ。 それが、ものすごく、光って見えたわけです。 皮の、アメ色でテカテカのそのグラブを見て、 ぼくはびっくりしちゃいました。 そのうちに、白と黒の糸で縫った サインボールを持ってくる子がいたり、 バットの折れてるやつに針金を巻いて、 使えるようにしたのを持ってきたり‥‥。 で、集まってきたわけです。 グラウンドは、石ころだらけで もう、グラウンドでさえないんですけれど、 それも、自分たちで石を拾って、いちおう グラウンドらしくして、はじめたんですよね。 |
糸井 |
石を拾うようなところから、はじめたんですね。 |
藤田 |
そうですよ。 だってその頃の校庭は、 ぜんぶカボチャ畑とか畑になってましたから。 それに対しても、ぼくは時々腹を立てて。 カボチャをぜんぶ割って職員室に座らされたり、 そういうことも、ありました。 |
糸井 |
だいたい、腹を立てていたんですね(笑) |
藤田 |
当時は、食いものが最優先ですから、 運動場なんて要らない、とされていたんですね。 すべてが、ジャガイモ畑とか、サツマイモ畑‥‥。 |
糸井 |
戦争が終わった時の藤田さんは、何年生でしたか? |
藤田 |
中学2年。 |
糸井 |
それよりも、後に、野球を覚えたんですか? |
藤田 |
そうです。 それまでは三角ベースです。 投げたボールを手で打ってね。そんなものでした。 |
糸井 |
だけどそこから野球を覚えたら、 才能があったわけですよね? |
藤田 |
やり出したら、不思議と肩が強かったんです。 最初は「サードをやれ!」というので サードをやったけれど、投げるボールが、 すべてファーストのはるか上を行くわけです。 ファーストの裏には講堂があって、 暴投続きのぼくは毎回ガラスを割るものだから、 守備として、よそにまわされて‥‥。 暴投をしても影響のないキャッチャーをやっても、 ワンバウンドが来ると逃げるような人間ですから、 「オマエはもう、ピッチャーだ」 行くところがなくて、ピッチャーになったわけです。 |
糸井 |
え? ご自分では、ほんとうは、 ピッチャーのつもりは、なかったのですか? |
藤田 |
「どこをやろう」という意識って、 はじめは、まったくなかったです。 ボールをただ投げて受けて 打っていればよかったわけですし、 野球のルールとかそういうものは、 まず、知らなかった。 |
糸井 |
野球をされているときには、 もう、ワルじゃなかったんですか? |
藤田 |
いや、ワルをやりながら野球をやっていて‥‥。 |
糸井 |
ワルと野球の、両方やっていたんですね。 |
藤田 |
両立していたんですよ。 |
糸井 |
勉強はぜんぜん関係なく過ごしていましたか? |
藤田 |
高校での勉強は、 ぼくはよぶんに2年やっています。 1年は、ワルだったから 3学期の試験を受けさせてもらえなくて、 それで落第させられまして、 とてもこの学校にはいられないというので、 転校する時に、また1年下がって。 |
糸井 |
高校生活を5年やっているんですか。 |
藤田 |
やってるんです。 |
糸井 |
野球をはじめる前に、 もうすでに、1回挫折してますね。 |
藤田 |
ええ。 それでも野球は一応、評判になってきましてね。 西条へ転校するときには、西条高校からの、 「あんなワルを、取っちゃいけない」 という猛反発がありましたが、野球部長の先生が、 「いや、そういうワルこそ、見込みがある」 ということで、1人でかばってくれたんです。 そのうちに、どういうわけか、 人が「あいつは野球がうまいよ」という目で 見てくれるようになったら、立ち直ってきました。 |
糸井 |
千代大海の話みたいですね(笑) |
藤田 |
人に認められるというのは、 人間が立ち直るいい機会になりますね。 それからは、 「あ、このままじゃいけないんだな」 ということで、だんだんだんだん静かになった。 |
糸井 |
悪い悪いといっても、 やっていることは、別に盗みをしたとか そういうことじゃないんですよね。 |
藤田 |
やんちゃです。 |
糸井 |
要するにケンカばっかりしていたんですか。 |
藤田 |
ケンカばっかりですね。 隣の学校へ乗りこんでいったり。 |
糸井 |
わざわざ出かけていくんですか。殴りに。 |
藤田 |
1人で行って、やられるかと思ったら、 みんな出てこなかったからよかったんですけどね。 そういうのが、何というのか、 その時の‥‥生きがい、でしたから。 |
糸井 |
自分では、そのほうがかっこいいというか、 正義感みたいなものがあるんですかね。 |
藤田 |
そういうものを、意識してやるんじゃなくて、 何となくいろいろ腹が立つんですよね、何かと。 |
糸井 |
わけもなく(笑) |
藤田 |
わけもなく腹が立つ。 それで、エイヤッとやっちゃうんですよね。 |
糸井 |
それが野球で認められたら沈静化した。 |
藤田 |
不思議ですね、あれ。 人に認めてもらうと沈静化していくんだなぁ。 ですから、ぼくは指導者になってからも、 自分だってそういう経験がありますから、 選手たちが、いくらワルいことをしていても 驚かないんですよ。 「あいつ、俺が通ってきた道を行ってるな」 というようなものでね。 そういうときにポツンポツンと、 「おまえほどのヤツが、 そんなことをやってるのは ちょっとおかしいんじゃないか」 なんていう言い方をすると、静まるんですよ。 |
糸井 |
‥‥あぁ、 ワルいことをしているヤツの気持ちを わかっている言葉を、自分もやってるからこそ、 投げることができるんですね。 |
藤田 |
だから悪い経験じゃなかったです。 |
糸井 |
それがなかったら、思えば、 藤田さんの監督としての道って、 なかったかもしれないというぐらい 大きい経験ですねぇ、きっと‥‥。 |
藤田 |
そうかもしれない。 このへん、背中あたり、 入れ墨が入っていたかもわからないですね。 そういう環境でしたから、まわりは‥‥。 |
2015-05-02-SAT
タイトル
体温のある指導者。藤田元司。
対談者名 藤田元司、糸井重里
対談収録日 2002年10月
体温のある指導者。藤田元司。
対談者名 藤田元司、糸井重里
対談収録日 2002年10月
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