あなたは今日、ここに勉強しにきたんでしょう？
はじめてのお店でどのようにふるまえばいいのか。
このお店の人たちの知識と経験をかりながら、
ステキな時間をおいしい料理とたのしむために
来ているんだから、
自分で答えを出すのは今日はやめにしましょう。
何か疑問に思ったら、質問しましょう。
ステキに質問すれば、ステキなヒントや答えがもらえる。
おいしい勉強になるでしょう‥‥、と。

そう母に言われて、
なるほどたしかにそれもそうだと自然体。
気持ちが楽になると、不思議と笑顔になるものです。
「あら、あなた。やっぱり食卓には笑顔が似合うわ！」
と母に言われて、ますます顔がほころんでくる。

それにしても魅力的なメニューの数々。
どれも食べてみたいと思うモノばかりで、
なかなか注文が決まらない。
あれもいいわね、これもいいわねと、
ニコニコしながら悩んでいたら、
お店の人がやってきます。

何かご質問がございましたら‥‥、と、
そっとボクらのかたわらに立つ。

ご迷惑でなければ、もう少し、
悩ませていただきたいと思うのですけど‥‥、
と母は給仕係にいいながら、
何かに気づいて、いたずらっぽく続けます。

もし、今、食べたいものがないわ、と思ったら
ココで席をたっても失礼にはならないのかしら？‥‥、と。

質問しながら勉強をしましょう‥‥、と
それが今晩の趣旨ではあるけど、
いきなり、なんという質問をするんだろう。
それも笑顔で、ニコニコと。
ボクはちょっとハラハラしながら、
彼はどう答えるんだろうとかたずをのんだ。

まことに、さようでございます。
私共も、あまり長い間、
迷われているお客様がいらっしゃると、
当店のコトをお気に召して
いただけなかったのかもしれないと、
心配になってしまうモノです。
ときおり、急に用事を思い出したからと、
お席を立たれる方もたしかにいらっしゃいます。
そういい、ニッコリ。
「サカキ様は、当店のコトを気に入ってくださった上で、
　悩んでいらっしゃるとお見受けいたしますけれど」
‥‥、と。

ええ、その通り。
もう、好きすぎちゃってどうにもこうにも悩んでいる‥‥、
って、そういう気持ちをお伝えするには、
どうすればいいのかしら。‥‥、と再び質問。

シャンパーニュなどをお召し上がりになりながら、
お悩みいただけますれば、
私共も安心してこのテーブルを眺めさせていただけますが。

たしかに、おっしゃるとおりですわねと、
ボクらはグラスでシャンパーニュをもらうことにした。
もしよろしければ、今日のおすすめの
水牛のモツァレラチーズと生ハムを泡のお供にほんの少々、
お持ちいたしましょうか‥‥、とすすめる。
あら、それをいただけば
悩みのひとつがスッキリしますわ‥‥、と、
そのおすすめにのることにした。

「ボクらはこれでペルセポネだね」と、ボクはボソリと。
ペルセポネって一体、どういう意味‥‥、
と母が聞くのでひとくさり。
ギリシャ神話の冥府の女神。
黄泉の国の食べ物を食べたものは
地上に戻ることがゆるされなくなる。
そんな掟があるにもかかわらず、
１２粒あるざくろの４粒を食べてしまったペルセポネは、
その食べた分。１年１２ヶ月のうち４ヶ月間を
黄泉の国で過ごさなくてはならなくなった。
その間、作物は成長を止めてしまうんだよ‥‥、って。
小さな頃から神話が大好きだったボクは得意になって、
ひとくさり。
話がちょうど終わった頃に、
シャンパーニュで満たされたグラスが２つと、
小さなお皿がやってくる。

グラスの底から細かな泡が湧き上がる。
お皿の上にはモツァレラチーズを芯にして、
くるんだ生ハムを楊枝でとめた
一口大の小さな料理が二個ずつ並ぶ。
ナイフやフォークを使わずつまんで味わえる。

「つまり、これを食べたらもう帰れないっていうことネ」。

そう母がいう、そこだけ聞いて
給仕係はさぞかしビックリしたのでしょう。
まだ、ナイフもフォークも汚れてはおりませんので、
シャンパーニュのお代だけで
お帰りいただくことも自由でございます。
そういいながら、後ろ向きに
ゆっくりテーブルから離れていった。

もうちょっとだけ悩みましょうか。
シャンパン片手に、また来週。