昔、ボクの両親は飲食店を経営してた。
鰻割烹からスタートして、
まだファミリーレストランという言葉が無かった頃に
「家族連れで気軽に利用できる飲食店を作ろう」と、
和風のファミリーレストランのようなモノを営業していた。
田舎のコトで、だからテレビコマーシャルも頻繁に。
「パパは鰻で、ママは寿司、ボクは釜飯」
というのが当時のうちのキャッチフレーズで、
それまで「大人の男のモノ」であった外食を、
家族でたのしめる場所にしようと‥‥。
かなり進んだ考え方。
だから、かなりの人気を博し、
お店は拡大路線に向かって行ったのです。
ボクが中学生の頃には瀬戸内海を取り囲むエリアに
30店舗ほどありましたか。
父は「青年実業家」とかと呼ばれて毎日忙しく。
母は何百人もいた従業員のココロのケアをしながら、
上得意のお客様とのお付き合いに忙しく。
家族団らんの機会がかなり少なくて、
特に年末どきは飲食店のかきいれどき。
さすがに両親が現場に立って仕事をすることは
無かったけれど、家にいてもおそらく
心休まるコトもなかったのでしょう。
ピリピリしていた。
おせち料理をやってましたから、配送の不手際。
料理のクレーム。
あるいは配達をする社員の事故。
そうした不幸を伝える電話がならぬか、
父も母も緊張してて、子供ながらに
「年を終えるってなんて大変なコトだろう」
とずっと思ってた。
年があけると一転、のどか。
今のように「正月から商売、商売」というような
世知辛い世の中でなく、正月3日は休みがとれた。
一日目はボンヤリ、のんびり。
二日目にはいろんな人が年賀の挨拶にやってきて、
子供のボクらはお年玉がもらえてもう有頂天。
そして三日目。
事始め。
父と母、そしてサカキ家の長男である
ボクの3人がひとつ作業をする習わし。
秘伝のタレというのがあって、それを親子で炊くのです。
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