鍋でご飯を炊くのはひさしぶりだから、
もしかしたら「ほっちんご飯」に
なっているかもしれないけれど‥‥、と母が言う。
「ほっちんご飯」。
広島出身のボクのばぁやさんが使っていた言葉。
水加減を間違って、芯を残して炊けてしまった
ご飯のコトを呼ぶ方言。
ずっとそれが標準語だと思って育ったボクが
東京の大学に来て、知らずに使って笑われた。
それで人前では恥ずかしくって使うことがなくなった。
家ではそれでも使ってて、けれど一人暮らしをはじめると
スッカリ使う機会もなくて半ば忘れていた言葉。
それをニューヨークという遠くの街で聞けて
気持ちがジーンとしてくる。
砂糖と塩で甘く作った卵焼き。
アメリカの玉子って、日本の玉子と違うのネ。
黄身が明るいレモン色。
コシが弱くて溶いているとすぐに泡がたってくる。
だからキレイにクルンと巻けないのよね‥‥、
長細いオムレツみたいになっちゃった。
と、そういう卵焼きはそれでも甘くて
弁当箱に思わず詰めたくなるような、昔懐かしい母の味。
バターをたっぷり含ませてオムレツを作ったら
上手に焼けるに違いない。
スフレもこんな玉子だったら、
フワッと空気と馴染んで
軽く仕上がってくれるだろうなぁ‥‥、って、
料理しながら思ったわ。
アメリカ人が、茶碗蒸しとか出汁巻き卵のような料理を
発明しなかった。
日本人がオムレツやスフレのような料理を
作らなかった理由は
それぞれの国の玉子が違っていたからかもしれないわね。
たしかに料理は食材次第。
けれど同時に、それぞれの国や地方の食文化が
食材自体の味や性質を決めることもある。
例えば鮭。
日本の人は鮭に対して「肉のうま味」を期待する。
だから塩で水気や脂を事前にはきださせ、
サックリとした歯ごたえにして食べたがる。
一方、アメリカの人は鮭の「脂」が大好き。
脂ののった分厚い切り身を
バターの力をかりながらフックラと焼く。
だから今日の焼き鮭も、
まるでサーモンステーキみたいになっちゃうもんね‥‥、
と、二人はちょっとした、
にわか評論家気分で料理を評する。
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