  | 
							
							
								| 糸井 | 
								赤瀬川さんは「食うに困った経験」のある世代‥‥ 
										ですか? 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								もちろん。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								そうですか。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								あの時代は、みんなそうだったですから。 
										学生になって東京に出てからも 
										まあ、金がないから‥‥イモ泥棒とかね。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 糸井 | 
								ああ、そうですか。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ともだちの米を盗んだこともあります。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								米とは、「飯」そのものですね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								小金井の下宿にいたんだけど、 
										となりの人の実家がね‥‥山形かどこかで、 
										米を「俵」で送ってくるんです。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								すごい。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								よく時代劇かなんかで、竹を半分に割ったものを 
										ブスっと刺すと 
										サラサラサラって出てくるじゃない、米が。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								ええ、ええ。ありますねぇ。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								あれ、けっこう難しいんだね。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 糸井 | 
								やったんですか(笑)。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								サラサラサラっとキレイに流れてこなくて、 
										穴の空いたところから、バラバラッと。 
										慌てちゃってね。‥‥忘れませんねぇ、あのことは。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								具体的にあったんだ、そういうことが。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ありましたね。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								そうやって貧乏なときほど、 
										ケチって言われるの、イヤかもしれませんね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								イヤだったでしょうねぇ。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 糸井 | 
								そんな気がしますよね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								だって、貧乏って「居直れない」から。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								ああ‥‥。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								‥‥でね、その家、お味噌も「樽」で来るんです。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								もしかして‥‥。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								中学からいっしょの雪野(恭弘・画家)と 
										大学も「ムサ美」(武蔵野美術大学)で同窓だったんだけど 
										ふたりとも、本物の貧乏だったからね。 
									 
										そのお味噌も‥‥ときどき失敬したりしました。 
								 | 
						  
							
								| 糸井 | 
								ははー‥‥。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ついにあるとき、そのとなりの人から 
										「味噌が少なくなってるんだよな」とか言われてね。 
										ヤバいなあと思って。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 糸井 | 
								知ってたんだ。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								そのときは、一応しらばっくれたんだけど、 
										その後はもう、やめましたね。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								具体的には、いつくらいの話ですか? 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ムサ美1年のときだから、50年代の半ば。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								とんでもなく昔じゃないですね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								じゃないです。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								ぼくが小学校の高学年くらいのときだから、 
										日本が、だんだん良くなってきてるころですよね。 
									 
										そのころまだ、具体的に食えなかったわけですか。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								食えなかったですねぇ。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								当時の収入源というのは「仕送り」ですか。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								はじめの2カ月だけ、仕送りがあったかな。 
										雪野のほうは1カ月だけ。 
										すぐ、路傍の身になってしまったわけ(笑)。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								早いですね(笑)。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								仕送りがなくなってからは、 
										サンドイッチマンのバイトをちょこちょこやって。 
									 
										でも逆に言うと、仕事もそれくらいしかないから、 
										もう「盗む」しかなかったんですよ。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								とくに「食べ物」についてですね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								そう、まず「食いつなぐ」ということですから。 
									 
										部屋代は、絵描きに理解のある大家だったから。 
										だいぶ、溜めてたけどなあ‥‥。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								「どうやったら、お金が入るんだろう」 
										ということについては、なにか考えてましたか? 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								いや‥‥あんまり、そっちのほうに 
										頭がはたらかないんですよね、当時から。 
									 
										まがりなりにも自活できるようになったのは、 
										「レタリング」の技術を覚えて、 
										装飾屋とか看板屋で 
										賃仕事をできるようになってからですから。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								レタリング。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ええ。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								そういう「非常に原則的な仕事」が 
										赤瀬川さんの最初の収入源だった‥‥というのも 
										おもしろいですよね。 
									 
										つまり「表現」とかじゃなくて 
										「あなたでも、あなたでも、あなたでもいいんだけど、 
										 あなた上手ねえ」 
										というような種類の仕事ですよね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								そうです、そうそう。技術の仕事です。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								ある意味では「誰でもできるようなこと」のほうが 
										「換金」という部分では、複雑じゃないですね。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								うん、それはそう。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								良し悪しだとか、 
										価値の高い低いがないところで仕事するほうが、 
										確実に「食える」時代があったんだ。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								イラストの仕事がだんだん増えていったのも、 
										そんなことをしているうちに、なんです。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								あの、吉本隆明さんがプロの作家になったのって 
										40歳を過ぎてからなんですね。 
									 
										で、それまでの飯のタネは何だったかっていうと、 
										特許事務所の「翻訳の仕事」だったんです。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								そうですか。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								つまり、どちらかというと技術の仕事ですよね。 
								 | 
							
							
								  | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								その期間が長いんですか。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								長いです。 
									 
										その翻訳の仕事と、評論なんかの原稿料とが、 
										「半々」になったところで 
										翻訳を辞めて、プロの作家になったんですって。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								ああ、なるほど。 
								 | 
							
							
								| 糸井 | 
								赤瀬川さんのケースと似てるなと思ったんですが、 
										わかりますか‥‥その感じ。 
								 | 
							
							
								| 赤瀬川 | 
								わかるなぁ。すごくよく、わかります。 
									 
										<つづきます!> |