春は別れの芋ようかん

桜の開花予想のころになると、
今年ももう終わりだなぁ。。。と
思うのです。

芋ようかんです。

最近は焼き芋も一年中、食べられますし、
芋菓子も季節を選ばない印象はありますよね。
でも、高輪の松島屋さんの芋ようかんは
旬限定なので、春の声を聞く頃には
あぁ、また来年までのお別れかぁと思うわけです。

このドーンとした重圧感。
芋のうまみがぎっしり詰まってて
実際にかなり重いです。

ゴロッとした芋のかけらと、練った芋のなめらかさの
頃合いが絶妙です。
芋そのものを食べてるようなホクホクした甘さと
芋以上においしく変身してるようなねっとり感が
太い羊羹の胴体のなかに同居してるような。

そもそも、芋のつぶし具合は大切ですよね。
ポテトサラダを作る時も、
この点は重要ポイントじゃないかと感じるのですが、
いかがでしょうか?
マヨネーズの量とか、
胡瓜をちょっと塩でしんなりさせるとか
ポイントはいろいろあれど、
どのくらい芋そのものをごろっと
残すかは、そのポテトサラダを
決定づけてしまうのではないか?
そんな気合いで毎回、
ポテサラと対峙している一主婦のワタクシです。

すみません。
芋は芋でも例えが結構、飛んだ気がしますが、
この芋ようかんのゴロッと感と、ねっとり具合、
それから柔らか過ぎないところは
さすがだなぁ。。。。。と感じ入ってしまう逸品なのです。

と、書きながらも
覚悟しております。。。
そんなにおいしいなら、出始めの頃に書け!
と思いますよね。
わたしも思います。

でもね、わがままを言うと
あぁ、終わっちゃうなぁ。。。という郷愁を
共有していただきたかったんですよね。
芋ようかんの出始めの時期、何となくバタバタしてるうちに
書き損ねたという勝手な事情はあるのですけれど、
いざ今年も終わりとなると、この淋しさを分け合いたい
なんて想いがフツフツと。

嬉しい時も報告したいけれど、
淋しい時の方がわかってほしい。。。
そんな逆らいがたい感覚なのですよね、
身勝手なんですけれども。

一年なんて経てばすぐみたいに感じますが、
されど一年。
これからって時は、はてしなく長い道のりに思えることも。

野菜を含め、植物はすごいですよね。
とても有効に誠実に丁寧に、1年という時間をつかって、
芽吹き、茂り、咲き、実り、散るという循環をきちんと
繰り返していくのですものね。
ヘンな言い方ですけれど、見習いたいなぁと感じます。
植物も、動物たちも、その生き方というか過ごし方を。
(↑正確にはヒト以外の動物でした)

芋の収穫期は、晩秋あたりと聞きます。
でも、収穫したあとに貯蔵することで余分な水分が失われて
よりおいしくなるんだとか。
だから食べごろという意味で、旬は冬になるわけですねぇ。

今時分、葉書や雑貨やコーヒーカップやペットボトルにも
桜模様が踊って、なんとなく春めいたうきうきした色合いが
空気中にも漂うなかで、
あぁ、今年も芋が終わった。。。と
一抹の淋しさに身をゆだねてる自分は、
相当ぽつねんとしてる自覚はあります。
でもねぇ、終わっちゃいましたからねぇ。

来期の芋という、また先の楽しみがあることを胸に
もうすぐ始まる新年度も、佳い一年となりますように!
うららかな春をお迎えくださいね。

 

2016-03-23-WED