『君の後ろ姿』 槇原敬之 2008年(平成20年) アルバム『Personal Soundtracks』 d収録曲
恋だったらいいなと 思い続けた自分の気持ちは、 本当に恋でした。 (ちろ)
君の後ろ姿を見送るときだけ 君に恋してる 僕でいられる
自分自身のほんとうの気持ちを、 夢が教えてくれたんですね。 しかもそれが、うれしかった。 不思議で特別な体験のようにも思えますが、 よくよく考えれば、 そういうことはあるかも、という気もしてきました。 わかっているつもりでも、 自分のことってあんがい自分でわかっていませんものね。 「ここで、この決断をするのか自分!」 というような経験は何度かあります。恋に限らず。
最後、相手の幸福を願うところにジンとします。 強く、長く、保ち続けた想いは、 幸せを願う気持ちへと変化していった‥‥。 きれいごとを言うわけでなく、 それはとても純粋な (ちろ)さんの本心であることがわかります。
気持ちをちゃんと伝えたことが、 現在そう思えている、おおきなポイントですよね。
また、すばらしい投稿をいただきました。 何度も読み返してしまいそうです。
「恋だったらいいなと 思い続けた自分の気持ちは、 本当に恋でした。」
これだけで、なにかの作品が いくつもできてしまいそうなほど、 大切な「気持ちの種」が ぎゅっと詰まっている文章だと思います。
そして、最後の、 しぼりだすような「祈り」。 このようにありたいと思う、 素敵な姿勢だと感じました。 どうもありがとうございました。
『君の後ろ姿』。片思いを歌った たくさんの曲のなかでも、 突出した名曲だと個人的に思っています。 どんな事情かは描かれていないけれど、 自分の恋心を気付かれてはならない主人公。 でも、その「恋」とちゃんと向き合える時間を とても大事に思っている。 それが、「君の後ろ姿」を見送る時なんですよね。
ぼくは、夢に、片思いの相手が出てきて、 ひざまくらをしてくれたことがあります。 ものすごく幸せな時間でした。 そして、目覚めたときに、何かが変わっていた。 「もういいや。長かったけど、あきらめよう」 と思えたのでした。
自分で気づいていないことを 夢がありありと代弁することが、 私もこれまで何度かありました。 目ざめてしばらくして、 あの夢はなんだったんだろうな、 どうしてあの人が出てきたのかな‥‥と振り返ると もしかして、私はこう思ってる? などと気づき、ものすごく驚いてしまう。 思っている以上に、自分は 自分のことをわかっていないのですよね。
相手を思いやって 自分の気持ちをしまいこむことも やさしさかもしれないけれども、 私は、すごく自覚的に 自分のために生きたいと思っている人が好きです。 だから、ご自身の気持ちを伝えたうえで きちんと納得いくところに おさめようする投稿に心打たれました。 ああ、いつ、この 「恋歌くちずさみ委員会」は終わるんだろう! でもまだ、すばらしい投稿はたくさんあるようです。 次回も水曜日にお目にかかります。
2014-12-20-SAT