『もう恋なんてしない』
 槇原敬之

 
1992年(平成4年)

走り始めたのは
それからです。
(杉並スワローズ)

こんなにいっぱいの君のぬけがら集めて
ムダなものに囲まれて
暮らすのも幸せと知った

好きだったのは、学年で一番足の速い女の子。
20年前の話です。
僕らは小学5年のクラスメートで、
給食の時間には、放送係がマッキーの
『もう恋なんてしない』を流していました。

彼女は運動会のリレーの選手に毎年必ず選ばれて、
放課後は校庭で練習。
颯爽と走り抜ける姿を、僕は遠くを眺めるふりをして、
教室の窓から目で追いかけました。
僕はといえば、野球部の万年補欠。
リレーの選手なんてとんでもなく。
だから、運動神経抜群の彼女はまぶしかった。
クラスでは彼女に冗談を言ったり、
からかったりしたけれど、内心では、
とても釣り合わないよなって、劣等感でいっぱい。
気持ちを伝えようなんて、思いつきもしなかった。

小6の夏、僕は親の都合で
アメリカへ引っ越すことになりました。
しばらくして、彼女から手紙が届きました。
信じられない事だけれど、
そこには「好きです」って書いてあって。
恥ずかしくてちゃんとした返事も
書けなかったけれど(あとで後悔)、
帰国するまでの2年間、
僕は彼女の言葉をお守りのように持ち続けました。

でも、時間は確実に流れていました。
日本に戻った中学2年の夏。
彼女は、学年で一番足の速い男子とつきあっていました。
友達からその話を聞いて、
僕はなぜか、小学校の教室で聞いた
『もう恋なんてしない』を思い出しました。
マッキーが歌うのは、同棲を解消した男の心象。
だけど、「こんなにいっぱいの君のぬけがら集めて」
という歌詞の持つ空白が、
とっくのとうに抜け殻になっていた彼女の言葉を、
後生大事に握りしめていた
まぬけな自分に重なって、かなしかった。

走り始めたのは、それからです。
陸上部に入り、放課後は1500メートルを何本も走り込み、
夜は家の近くの川べりを、
心肺が悲鳴をあげるまで駆け続けました。
頭にあったのは、秋の全校マラソン大会。
そこで上位に食い込めば、もう一度、彼女の視界に入れる。
そんな根拠のない理論が、放っておくと
ばらばらになってしまいそうな僕をつなぎとめていました。

今も忘れない、マラソン大会の日。
彼女は大方の予想通り女子の学年1位、
彼氏も下馬評通りぶっちぎりの男子1位でした。
番狂わせは僕で、最後は意識もうろうながら、
周囲も驚く4位でゴール。
荒い息でその場に倒れ込み、見上げた秋の空は青かった。

でも結局、何も起こりませんでした。
彼女はその彼氏とは別れたけれど、
僕らもマッキーが流れていた頃には戻らないまま、
卒業して離ればなれになりました。

中学では最後までクラスも別々で、ろくに話もできなかった。
けれど、走っているときは幸せでした。
彼女は、走ることが心底好きだったから、
走っていれば、僕も彼女と同じ何かを共有できているような、
そんな気がしました。

まだ、今も、走っているのかな。

(杉並スワローズ)

ブラボー、ブラボー。
すばらしい投稿に、立ち上がって拍手します。

「恋歌くちずさみ委員会」では、
掲載する投稿を選ぶとき、
会議室にみんなで集まって、
プリントアウトした投稿を囲んで
わいわいと選考会をやるんですけど、
あまりに素晴らしい投稿は
その場で「朗読」をするんですね。
(ちなみに朗読は武井の担当)

この投稿は、もちろん武井が朗読し、
委員会のメンバー一同、
さわやかに心を震わせたのでした。

うーーん、部分を取りあげるのが野暮なほど、
全体がいいですよねー。
事実だけに限っても、
しみじみすごいなぁと感じられますし、
投稿の文章もすばらしい。

どこか選ぶとすれば
「そんな根拠のない理論が、
 放っておくとばらばらになってしまいそうな
 僕をつなぎとめていました。」
というところのリアリティでしょうか。
好きな人が去ってしまったあと、
同じようなことをして
自分をつなぎとめていた
むかしの友人のことを思い出しました。

槇原敬之さんの
「もう恋なんてしない」では
一緒に暮らしていた部屋から彼女が出てゆき、
主人公の男の子がその突然の変化に呆気に取られながら
なんとかひとりの生活を始めます。
彼女の思い出の残っているものを処分して、
また次の恋をするぞと決意する主人公。
こういうふうにセンチメンタルな
男の子の気持ちを歌う曲ってすごく新鮮でした。
小5だった(杉並スワローズ)さんには
ずいぶんオトナの歌に思えただろうけれど、
中2の夏に、その歌詞がぴたりとはまっちゃった。
その「ぽっかり」感が突き刺さっちゃったんですね。
2年間の待ちわびた時間は
歌の主人公がいっしょに暮らした時間と等しかったのかも。

それにしても、走り始めた動機っていろいろですね。
中年になってようやく重い腰を上げ
健康のためにと走り始めた自分と比べて
なんとさわやかで真剣な青春の動機なんだろう。
(杉並スワローズ)さん、いまも、走ってますか。

ほんとうに。
立ち上がって拍手をしたくなる名作です。

(杉並スワローズ)さんはきっと、
このたいせつな記憶を何度も思い出してはその度に、
こころのなかの原稿用紙に書きとめるような、
そんなことを繰り返してきたのかなぁと思いました。
文章の一行一行が、
きれいに、ていねいに、整理されている印象があるのです。
「思い出の推敲」とでも言いましょうか。
うつくしいです、みごとです。

「走り始めたのは、それからです。」
からあとの、まさしく疾走感もすばらしくて。
「努力ってたいせつ」
「成長は誰だってしたいんだ」
そういうことを素直に思わせてくれる展開でした。
倒れ込んで、見あげた秋の空の青さ、
共有させていただいた思いです。

(杉並スワローズ)さん、
きっとすてきな方なんだろうなぁ。
このハンドルネームも、どんどん爽やかに思えてきました。

遠くを見るようにして彼女の姿を追う、
「好きです」と書かれた手紙を大事にする、
そして、走りはじめる。

恋ってつくづく「自分」がするものなんだよなぁと
思います。

彼女を好きな気持ちを
走る空気を共有することで昇華させていく。
どのように、どのくらい好きなのか、
自分に問いかけつづけた分だけ
恋は大きなものになるのでしょう。

出会って気があって話をして進展して‥‥
そういう恋愛が年頃の人たちのものであるならば、
この、ぶつけどころのない思いとつきあう道筋は、
ぜひ少年少女の時代に経験しておきたいです。
いやいや、大人にだってこういう恋は
あるのかもしれませんけれどもね。

いっしょに駆け抜けた気持ちで
この投稿を読みました。
なんて、さわやかなんだ! はーっ。

ではまた、土曜にお会いいたしましょう。

2013-01-16-WED

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