『時代』 中島みゆき 1975年(昭和50年)
離婚を切り出された翌朝、 いつもより丁寧に彼を見送った後、 家を出ました。 (ミニラ)
(ミニラ)さんのおはなしには いろんな涙が出てきました。 一緒にいるとき「毎日泣いて」、 離婚を切り出された翌日街を出るとき 幸せな思い出があふれていたことに 「気が付いたら泣いて」、 半日かけて地元にもどってお母さんに会ったら 「安心と罪悪感と未練とが入り混じった涙」が出て、 車内で中島みゆきさんの話をしながら 「また二人で涙」して‥‥。 どの涙もたぶん、ちがう涙なんですよね。 思いがあふれたぶん、 いくら泣いても枯れることがない、いろんな涙。 それをことばであらわすのって難しい。 「うれしい」と「かなしい」が 一緒にやってくることもあるし、 「せつない」と「わからない」が ないまぜになっちゃうこともあるし。 ただ、泣きたいときは泣くほうがいい、 そうぼくは思ってます。 「時代」という曲は、 聴くときの気持ちで、 いろんな聴きかたができますよね。 つい最近、みゆきさんが21年ぶりに コンサートで歌った「時代」が CDになったので、また聴きなおしたりしてます。 最初に聴いたときとは、 なんだかずいぶんちがったふうに聴こえるものです。
なんじゃ、このレコードジャケット! かわいすぎでしょう、みゆきさん。 この歌、1975年なんですか。 いまもみんなが大好きですよ。 改めて、すごい歌だなぁ。 好きだった彼と一緒にいることがつらい。 幸せがどこにあるのかわからない。 手さぐりで歩く暗いトンネル。 まっただなかにいるせいで その状況に気づかずに 何年も過ごす人もいます。 彼が離婚を切り出してくれてよかったと 私は思います。 思い出はその場所の風や光に しみつくようにたくさん残っています。 5年間、短くない。 積み重ねたものはたくさんあるでしょう。 (ミニラ)さん、 笑えるようになってよかったです。 彼も笑っているといいなぁ。
ね、彼も笑っているといいですね。 ぼくは街の描写にグッときました。 想い出のそばに歌がよりそっているのと同じように、 記憶には場所がともなうと思います。 ふつうの道、ふつうのお店、ふつうの街角‥‥。 思い出すだけでせつなくなる風景を ぼくもいくつか持っています。 そしてそう、武井さんの言うように いろんなせつなさがおとずれる投稿でした。 とくに、お母さんの存在。 (ミニラ)さんのお母さんは、 きっととてもすてきなかなたんだろうなぁ、 と思いました。 お母さんのことはすこししか書かれていませんが、 しずかに見守ってくれているというか‥‥ なんだかそんなイメージだったんです。 そう感じたのは「お母さん」という言葉が持つ、 ちからなのかもしれませんけれど。 お母さんとまだ、笑い話になってはいないとのこと。 その日がはやく訪れますようにと思います。
たくさんの種類の切なさが、 ミルフィーユのようにかさなっている とってもすばらしい投稿。 良質の短編をひとつ、読んだかのような。 うれしいかと思ったらつらくて、 嫌いになれるかと思ったら幸せを願っていて、 解放されて楽になれるかと思ったら 街には思い出があふれていて。 後ろ指をさされるかと思っていた故郷では お母さんが待ってくれていて。 枯れ葉が左右に振れながら落ちていくように ちょっとした予想外をくり返しながら、 静かに、静かに、時は過ぎていく。 きっと、 もう笑えることなんてないのかな なんて思ったころに、 笑えるようになっているのではないでしょうか。 ああ、そしてあらためて『時代』を聴いてみると どこの歌詞もぴったりこの投稿に寄り添います。 うーーーん、さすが。 あなたの恋歌も、ぜひ教えてください。 次回は、土曜日の更新です。
2012-10-17-WED