石川くん。
枡野浩一による啄木の「マスノ短歌」化。

大いなる彼の身体[からだ]
憎かりき
その前にゆきて物を言ふ時
 (石川啄木『一握の砂』より)
 ※[ ]の中はふりがなです。


第11回 石川くんの大きさ


石川くん、
毎日のようにファンレターが届いてるよ!
石川くんのふるさと
盛岡に住んでいたこともあるという、
namikovさんからのメールを紹介します。
前回の歌に関する感想メール。
   *
(前略)
>私は小学校の3・4年生を盛岡で暮らしたので
>石川啄木とか宮沢賢治とか、多少贔屓してしまうんです。
>中尊寺金色堂とか小岩井農場のジンギスカンとかも。
>
>その後神奈川に移り住み、中学、高校と進学して
>高校の国語の教科書(ちくま、かなり珍しいと思います)で
>啄木に再会しました。
>
>先生といい教科書といいプロレタリアート色が強くて、
>小林多喜二の『蟹工船』とか
>石垣りんの
>『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』に混じって
>『一握の砂』を読んだ結果、
>啄木は「孤高の歌人」というイメージに落ち着きました。
>今思えば美化しすぎでしたね。
>強いて言えば
>「孤高の歌人な自分に浸っている歌人」なのかな。
>
>そのノリで推測すると、必然的に「大」は「ビッグ」、
>大物になりたいんだけどなんでなれないんだ俺は、
>ということかとも思ったのですが、
>むしろ「die=死」のギャグだった、という方が妥当ですかね
>(今書きながらそう思いました)。
>これって当時にしてはおしゃれな暗喩だったんでしょうか。
>暗喩というのか分かりませんが。
>
>他の方のメールと重複した内容かもしれませんが
>送ってしまいます。
>枡野さんのことだから、
>答えを分かっていて(反応を見るために)
>問いかけ調で終わったのかしら。
>まんまとはまった私です。
>
>ではまた。namikov

   *
namikovさん、
すごいメールをありがとう!!
実際には同案のメールは一通もなかったんだけど、
同じこと考えた人、多かったんでしょうか?
私はその駄洒落説、ちっとも気づきませんでした。
じつはそれが正解かも……、
と思えてくるから面白いですね。
単なる深読みかも……、
と思えてくるのも面白いですね。
   *
石川くんのローマ字日記を読んでると、
ふざけたやつなんだな、ってことはわかるんで、
けっこうギャグで歌をつくってたふしも、
あるのかもしれない。
ただ、
他人へのつっこみは厳しいくせに、
自分へのつっこみは甘い石川くんのことだから、
どうなんだろうな……。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
……とかも、笑いを狙ってたの、石川くん?
  *
なんだか石川くんのことが、
ますますわからなくなってきた私です。
「die=死」のギャグだった、
という新説は、
石川啄木研究の定説をくつがえし、
文学史を変えてしまう、そんな予感がする。
そんな歴史的瞬間に立ち会えたことをnamikovさん、
私は神に感謝します。
   *
それから、このメールを読んでいたら、
石川くんは身長にコンプレックスがあったのかな、
とも思ったので調べてみました。
『新文芸読本 石川啄木』(河出書房新社)の
P.28に、
「啄木のからだつき」というコラムがありました。
なになに?
身長五尺二寸二分(約一五八センチ)、
体重十二貫(約四十五キロ)。
やっぱり。
石川くんて、おちびちゃんだったんだね!!
もしかして、
ちんちんの大きさとかも気にしてる?
「大いなる彼の身体」の「身体」って、
ちんちんの暗喩?
そのへんの詳しいサイズなどは、
調べがつき次第、読者の皆さんにご報告しますね。
   *
泣くなよ、石川くん。
悪いけど私の身長は百八十三センチだ。憎いかい?
でも、
ちんちんはそんなに大きくないから、安心してくれ。
おちびちゃん、
君は泣いている顔より、
笑った顔のほうが、以下同文。
じゃあ、またあした。

枡野浩一

http://talk.to/mass-no

2000-06-09-SAT

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