乗組員のもとじさんから、
とても熱のあるおすすめを受けて、
私も、千葉市美術館で開催中の
「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」
へ行ってきました。
タイガー立石さんについて詳しくは、
もとじさんがとても分かりやすく
ご紹介してくださっています。
まずは、こちらの記事をどうぞ。
私は、鮮やかな色彩の作品に目がありません。
会場の一番はじめに展示されている
「ネオン絵画 富士山(1964年/2009年)」
をみて、すぐ好きになりました。
しかし、立石さんの魅力は
もっともっとたくさんありました!
展示される約250点の作品・資料は、
「なんだろう?」
と興味をかきたてられるものばかりで、
会場を後にする頃には、
すっかり虜になっていました。
▲七転八虎富士(1992年)
立石さんは、
アーティストとして活動する中で
名乗っていた名前が、
3つもあったそうです。
本名である、立石鉱一。
漫画や絵本の筆名である、タイガー立石。
そして晩年のペンネーム、立石大河亜。
なぜ名前を変えられたのか
私は、疑問を抱きました。
アーティストとして活動するには
ずっと同じ名前を名乗っていたほうが、
覚えてもらえるだろうし、
いろいろな面で好都合なことが
多いように思えたからです。
さらに、立石さんは
名前を変えるだけではなく、
家のお引越しも
たくさんされたそうです。
そして、作品の表現方法も
絵画、漫画、彫刻、絵本と
多岐に渡っていました。
印象に残っている
エピソードがひとつあります。
立石さんは、漫画家として
日本での活躍が
約束されていた時期に
全てをなげうって、
ミラノへの移住を決断し、
絵画制作をスタートさせたそうです。
なんだか、いろんな場面で
安住を拒絶していることが見て取れます。
▲明治青雲高雲(1990年)
その一方で、作品で表現したいものは、
デビューから遺作に至るまで
一貫しているように感じました。
目まぐるしく変化させている
ご自身の周辺環境とは正反対です。
作品からは、
幼少期や、漫画家としての経験、
世の中の政治的な動きなど、
立石さんが人生の中で、
見て感じて、得たであろう
様々なものの影響がみえます。
それらは、どんどん蓄積されて溶け合い、
歳を重ねるごとに作品たちの、
複合的な魅力が増しているようでした。
蓄えていくには、
しっかりとした土台がなければいけません。
立石さんはアーティストしての核が、
ご自身の中でしっかりと
定まっていているのだと考えました。
▲雄鶏楼と富士(1992年)
そして、その揺らがない核こそが、
立石さんというアーティストの
存在証明となっていることに気がつきました。
私が疑問を抱いていた、
名前の問題は軽々と跳ね除けられて、
かっこよさに思わずため息がでました。
もしかしたら、ご自身の中で燃える
創作の炎を絶やさないために、
周辺環境の変化を、
刺激として求めていたのかも?
と考えつきました。
より一層、凄みを感じました。
▲壱富士(1992年)
最後に、
展示をご覧になる皆様には、
年表にもしっかりと
目を通していただくのをおすすめします!
立石さんが感動した書籍や映画、
時代ごとの政治や社会の動きが、
細かく記載されています。
これは、同時に
作品に登場するモチーフや、
影響を与えているものとの
出会いの記録でもあります。
作品のルーツを探る感覚で
楽しむことができますよ。
経験の蓄積を感じる作品を生み出した、
タイガー立石さんだからこその
楽しみ方だと思います。
もとじさんの記事と合わせて
繰り返しのお知らせになりますが、
「大・タイガー立石展」は千葉市美術館で、
7月4日(日)までの開催です。
その後、青森県立美術館、高松市美術館、
埼玉県立近代美術館・うらわ美術館に巡回します。
ぜひどこかでご覧いただけたらと思います。






