── | 7日間にもわたる床上浸水に見舞われ、 電話線のプラグが火を吹き、 結果として「盗聴器」が発見された‥‥。 |
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TOBI | しろうと目にも 見るからにあやしすぎる物体だったので ネットで検索してみたんです。 そしたら、第二次大戦中に開発された 「TX3」という盗聴器でした。 |
── | 衝撃的です。 |
TOBI | ここで、さすがのぼくもピンときました。 すべてが、ひとつにつながったんです。 |
── | と、おっしゃいますと? |
TOBI | 旧ソ連から亡命してきた女、 隣室から監視していた目つきの悪い男、 電話回線に取り付いていた盗聴器。 今回の一連の出来事は、 「スパイがらみの事件」ではないかと。 |
── | あはは、まさかあ(笑)。 |
TOBI | ‥‥‥‥‥‥‥‥。 |
── | ‥‥えーと、つまり、ニジンスキーが? |
TOBI | ぼくだって、取り越し苦労だといいなと 思いたかったんですけど、 次々と明るみに出る情況証拠が そんな希望的観測を許しませんでした。 はじめは 自分が盗聴されていたのかなとも思って 気味悪かったんですが 冷静に考えたら、そんなわけないんです。 ぼくの話を盗み聞きしたって意味がない。 |
── | 「過激派」なのは、衣装とメイクだけで トビーさん、どっちかっていうと 「ハト派」ですものね、目とか物腰とか。 |
TOBI | 「あの店のカツラは長持ちする」みたいな、 そういう情報しか飛び交ってないし。 ですから、問題は 「誰が?」「どのような目的で?」 「誰の電話を盗聴していたのか?」 ということであって‥‥。 |
── | つまりは、こう言いたいわけですか? 「ニジンスキーが 自由を求めて亡命してきたというのは 真っ赤なウソで じつは東側のスパイだった」と。 |
TOBI | ぼくも、最初はそう推理したんです。 しかし、思い出してください。 隣の空き部屋に「不法居住」していた男に 「ロシア訛り」があったことを。 |
── | それが? |
TOBI | つまり、何らかのかたちで あの男が事件に関わっているのだとすれば、 ニジンスキーは、 「二重スパイ」だったのではないかと。 |
── | え、ダブル・エージェントってやつ? ようするに、当初はソ連からのスパイとして パリに潜入したものの ある時点で、西側に買収・懐柔されて寝返り、 逆にソ連側の情報を売っていた‥‥。 |
TOBI | そう。 |
── | 『ゴルゴ13』か『007』かというような、 まさかの展開です。 こんな話が「ほぼ日」に載る日が来るとは 思ってもみませんでした。 |
TOBI | ともかく、盗聴器発見から数分のうちには、 ぼくのなかで ニジンスキーのスパイ容疑は ほとんど「確信」へと変わっていきました。 |
── | はああ‥‥。 |
TOBI | そして、この極秘情報は 誰にも明かしてはならないと思いました。 「命が危ない」と、感じたんです。 |
── | いま、大々的に明かしていますが‥‥。 |
TOBI | 金色のイエティの正体を知ってしまった以上、 コンクリート製のエッフェル塔を 頭の上に載せられて、 セーヌ川へ沈められる‥‥。 そんな恐怖で、心臓が、これ以上ないほど バックンバックンいってるところに‥‥。 |
── | はい。 |
TOBI | 電話が鳴ったんですよ。 |
── | え、何で? 回線、生きてたんですか? |
TOBI | そのようでした。しかも、着信音量が 初期設定の「最大」に戻ってたんです。 ぼくは、絶妙なタイミングで けたたましく鳴り響く電話のベルに驚愕し、 ほぼ垂直に飛び上がりました。 |
── | 黒ひげ危機一発の、黒ひげのように。 |
TOBI | そして、おそるおそる受話器を取りました。 ときに、 フランス語で「もしもし」にあたる言葉は 「アロー」なんですが、 ぼくは常日頃から 「アロー、もしもし」と電話に出ています。 |
── | つまり、フランス語のあとに、日本語を? |
TOBI | そう、実家から親が電話かけてきたときに 「アロー」だけだと いつも「あ、ガイジン」と切っちゃうので。 |
── | 生活の知恵ですね。 |
TOBI | だからそのときも 咄嗟に「アロー、もしもし」と言いました。 すると、電話の相手が 押し殺したような、低い胴間声で 「セ・キ・モシモシ?」と‥‥ つまり 「モシモシ‥‥誰だ?」と、言ったんです。 |
── | ‥‥はい。 |
TOBI | この時点で すでに生きた心地ゼロだったんですが ぼくは、朦朧とする意識のなか、 もういちど 「アロー、もしもし」と繰り返しました。 すると、相手は突然ブチ切れたように 「おまえはいったい何をしている、そこで!」 と、ドスの利いた声で怒鳴ったんです。 |
── | ひゃあ。 |
TOBI | ぼくは、盗聴器を発見してしまったことを 盗撮カメラかなんかで 知られてしまったのだと思って 何も言うことができず、黙っていると‥‥。 |
── | ええ、ええ。 |
TOBI | 「妻がひとりで留守番しているはずなのに、 なぜモシモシとかいう名前の男が うちにいるんだ! そこで何をしている!」 と‥‥。 |
── | えーと、間違い電話? |
TOBI | タイミングのよすぎる間違い電話、でした。 だから 「ああ、よかったぁ」という意味の言葉を 口走ってしまったんです。 |
── | ええ。 |
TOBI | すると電話の相手は 「何? 何がよかったんだ!? おいモシモシ! 聞いてるのかモシモシ!」 と、さらに、ものすごい剣幕で。 |
── | ようするにトビーさん、 「間男」だと勘違いされたわけですね。 |
TOBI | そう、「信じた妻が浮気している」と。 |
── | ムッシュー・モシモシと。 |
TOBI | そうなんですよ。ナニジンかもわからない、 モシモシとかいうクソ野郎と よろしくやってるとでも思ったんでしょう。 説明しようとしてるのに「妻を出せ!」と らちが明かないので 「あなたのかけた番号は間違っています」 とアナウンス口調で言って切りました。 |
── | 間抜けな電話で何よりでした。 |
TOBI | でも、そのときのぼくは、 おちおちしていられないと思っていました。 事実、恐怖のあまり その部屋では一睡もできなくなってしまい、 しばらく友達の家で寝かせてもらったほど。 |
── | 無理もないです。 |
TOBI | だから、せっかく入った部屋だけど、 「次の7月で出ます」と 大家のニジンスキーに伝えたんです。 |
── | ははあ。 |
TOBI | すると、ニジンスキーからは 「では、次のお休みに 例の収納の中身をキレイに掃除したいから お部屋で待っていてね」 という、意味深なメールが来ました。 |
── | 入居時、絶対に開けるなと言われた収納を 「キレイにしにいくから」と? そんな作業は トビーさんが出てからでも、いいですよね。 |
TOBI | そうでしょう? だから、すべてを知ってしまったぼくは、 ニジンスキーに スパイの7つ道具かなんかで殺されて 鍵のかかった収納に放り込まれるのでは、 あの中には、 これまでニジンスキーに殺された人々の屍が 累々と折り重なっているのでは‥‥と。 |
── | すっかり疑心暗鬼に。 |
TOBI | はたしてニジンスキーは、やって来ました。 驚くべきことに、 彼女はアメリカ人の彼氏を連れてきました。 |
── | なんと。 |
TOBI | 相手は60歳くらいのブライアンという人で 自称カメラマンだということでした。 ぼくは「あやしいものだ」と思いました。 アメリカン、カメラマン、ブライアン。 韻を踏んでいる感じが「あやしい」と。 |
── | トビーさん、 すべてが信じられなくなってますね。 |
TOBI | 何より、いちばん衝撃的だったのは ニジンスキーが 全身の「金のうぶ毛」を きれいに剃っていたこと‥‥でした。 |
── | それは、恋のせいで? |
TOBI | いや‥‥どうなんでしょう。 あれほど化粧っ気のなかったニジンスキーが 口紅を塗り、マスカラも入れ、 髪をブローまでしてあらわれたものですから ぼくには 「新しい任務のための役作り」だとしか 思えませんでした。 |
── | すべてが信じられなくなってる‥‥。 |
TOBI | ともあれ、部屋に入るやいなや ブライアンが 「さっそく収納の中をきれいにしよう」と 提案しました。アメリカ人らしく。 |
── | いきなり「本題」ですね。 |
TOBI | ブライアンは慣れたようすで脚立にのぼり、 重そうな錠を外し、収納の扉を開けました。 そして おもむろに脚立から降りるとスタスタ寄ってきて ぼくの耳元で、こう囁いたんです。 「アイ・ライク・ジャズ」 |
── | はい? |
TOBI | 「アイ・ライク・ジャズ」です。 意味は、まったくわかりません。 それだけ言うと ブライアンは、ふたたび脚立に足をかけて 作業にとりかかりました。 |
── | またしても、何かの符牒‥‥? |
TOBI | それも、わからないです。 |
── | なっ、謎すぎる。 |
TOBI | ともあれぼくは、脚立の上のブライアンに 「その収納の中身って、ちなみに何なの?」 と、何気ないふうを装いながら 本当はものすごく勇気を出して聞きました。 そうしたら‥‥。 |
── | ‥‥はい。 |
TOBI | 「トイレットペーパー」だったんです。 |
── | へ? |
TOBI | ニジンスキーが買い込んだ、 大量のトイレットペーパーだったんです。 |
── | 絶対に開けるなって、錠まで降ろして‥‥。 |
TOBI | あまりのことに思考が止まり、 狐につままれたような気持ちでいると、 ニジンスキーは そのなかのトイレットペーパーを1ロール、 ぼくにプレゼントし、 ふたたび、扉をガッチリと施錠しました。 そして 「部屋の鍵はシカゴの家に送っておいてね」 とだけ言い残し、 ブライアンとイチャイチャ絡み合いながら どこかへ去っていったんです。 |
── | はあー‥‥。 |
TOBI | 彼女とはそれっきり、になりました。 ぼくは、鍵をシカゴの住所に郵送し、 確認のため ニジンスキーにメールをしたのですが そのアドレスは、 すでに使われていませんでした。 |
── | 今回の、一連の「ひどい目」に関しては 解決されない謎が多すぎます。 隣の部屋の目つきの鋭い男、 旧ソ連からの亡命女性、 「水が、漏れていませんか」という言葉、 電話回線に取り付いていた盗聴器、 「アイ・ライク・ジャズ」という言葉、 大量のトイレットペーパー、 そのトイレットペーパーに 頑丈な鍵をかけて保管する女、 その女を覆う、金のうぶ毛‥‥。 |
TOBI | 最後のやつは、 謎でもなんでもないと思うけど。 |
── | たしかに、トビーさんのおっしゃるように スパイ映画のような雰囲気があります。 |
TOBI | でしょう? |
── | でも、そうだとしても、 「じつはニジンスキーが二重スパイだった」 というのは、 ちょっと大げさじゃないかと思うんですが。 |
TOBI | ふつうに考えれば、そうかもしれないです。 ぼくも、例の鍵のかかった収納から、 「死体」とは言わないまでも ロシア語で書かれた 秘密文書などが出てくるんじゃないかって 内心、おびえていたんですが‥‥。 |
── | ええ。 |
TOBI | ただのトイレットペーパーだったわけだし。 |
── | はい。 |
TOBI | でも‥‥ぼくには、それでもまだ、 ニジンスキーを怪しむ理由が、あるんです。 |
── | それは? |
TOBI | シカゴ大学には 「レジーナ・ニジンスキー」なんて教授は いないんです。 |
── | え? |
TOBI | 後になって、シカゴ大学のホームページを 隅から隅まで調べたんですが そんな名前の教授は見当たりませんでした。 シカゴ大学の教授リストのどこにも、ね‥‥。 |
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2014-08-14-THU |