亡命ロシア人から借りた築400年のアパルトマンで壁の電話回線が火を噴き、中から盗聴器が出てきた件。
── 空き部屋であるはずの隣室から
ふたつの光る目が、こっちを見ている‥‥。
TOBI 管理人さんにそれとなく
「お隣りにどなたか入られたんですか?」
と聞いてみたんですが、
「いいえ、長い間空いたままですよ」と。

でも、夜中に床がきしむ音がしたり、
微かにタバコの臭いがただよってきたり、
誰かが「いる」のは確実でした。
── トビーさんだけが、気づいていた。
TOBI 不法居住してるな、と思いました。
── 不法居住? それって、住む家のない人が?
TOBI パリでは、まあ「よくあること」だそうで、
法律のことは知りませんが
知り合いのフランス人に聞くと
ホームレスの人が勝手に住みついても
そこが「空き部屋」だったら
「簡単には追い出せない」らしいんですよ。
── それは人道的な配慮‥‥なんですかね。
TOBI おそらく。

たしかに、
寒さの厳しい冬場などに表へ放り出したら、
凍え死んじゃいますからね。
── なるほど。
TOBI ですから、そのときも、
不気味すぎるオーラをビンビン感じつつも
「そういうことなんだな」
と思って、気にしないようにしました。
── 光る目玉のことは忘れようと?
TOBI いいえ、まったく忘れられませんでした。

もう、ことあるごとに
光る目玉のことが気になって気になって。
── ですよね‥‥。
TOBI でも、あるときに、
ふと、過去の記憶が蘇ってきたんです。

あの目、どこかで見覚えがある‥‥と。
── ‥‥どこで?
TOBI 秋の木枯らしが吹きはじめるころ、
アパルトマンの玄関で
コートの襟を立てた不審な男が
鋭いナイフのように冷たい目つきで、
出入りする住人の顔を
ひとりひとり、
たしかめるようにしていたんです。
── 不気味ですね。
TOBI 何とも言いようのない、
そら恐ろしい気持ちになったんですが
そのことを、思い出したんです。
── 「あの目だ!」と。
TOBI その日は、
恐怖で一睡もできなかったのですが‥‥
次の日の朝。
── はい。
TOBI ぼくがゴミを出しに部屋を出ると、
その男が、立っていたんです。
── え!
TOBI 目の前に。
── 怖い!
TOBI ぼくは、叫び出したくなるのをこらえ、
震え声で
「ボンジュール」と絞り出しました。

男は、じいっと黙ったままでした。
黙ったまま、
凍り付くような目で、こっちを見ています。
── は、はい。
TOBI ぼくは、
ステージでも上げたことのないような
雄叫びを上げそうになりましたが
すんでところで何とかこらえ、
膝をガクガクさせながら
もういちど、挨拶の言葉を叫びました。

「ブッ、ブブッ、ブォンジューッハ!」
みたいになってしまいましたが。
── 恐怖でね。なるほど。
TOBI すると男は、こう言ったんです。

「水が、漏れていませんか」
── ‥‥水が? どこにですか?
TOBI わかりません。言葉の真意が読み取れず
ポカーンとしていると
男は、もういちど、くり返しました。

「水が、漏れていませんか」
── 何かの符牒? 「山」「川」みたいな?
TOBI わかりません。ただ、とっさに
「あ、フランス人じゃない」と思いました。

ドイツなのか、ポーランドなのか‥‥
北のゲルマン民族っぽい訛りがあったので。
── 訛りっていうと、どんなのですか?
TOBI 「カカッカカッカカ、カカカッ!」
── ‥‥それは、
呪いのからくり人形か何かでしょうか。
TOBI いや、つまり、発音の端々に
「カッ」「コッ」「ヘゴッ」みたいな音が
入ってくるんですね。

そのことを考えると、
あるいはロシア系かもしれない‥‥とも。
── なるほど、なるほど。
TOBI とにかく、男の、よくわからないひと言で
すっかり縮み上がったぼくは
「漏れていませぇぇん!」と絶叫し、
玄関のドアを、バタンときつく閉めました。

叫びはアパルトマンの回廊をこだまし、
手には、じっとり汗をかいていました。
── はい。
TOBI しかし、そのあと、
男は何も言ってこないばかりか
まるでまぼろしのように、
隣室から姿を消してしまったんです。
── え‥‥何だかひょうし抜けですね。
まあ、よかったですけど。
TOBI 喉もと過ぎれば熱さを忘れる‥‥とは
よく言ったもので、
隣の部屋から男がいなくなったら、
そんな出来事などすっかり忘れました。

そのまま、数カ月もの時が
あっという間に過ぎていきました。
── ええ。
TOBI そんな、ある夜のことです。

季節は真冬‥‥1月の寒い真夜中に
ベッドに入ってうつらうつらしていると
シャワールームから
「ゴ、ポ、ゴポ、ゴポゴポゴポ‥‥」
という奇怪な音が聞こえてきたんです。
── 水?
TOBI 何だろうと思って見に行くと、
あたり一面、水浸しになっていたんです。
── あ! 「水が、漏れていませんか」‥‥!? 
TOBI そう、排水口から、上の階の人の風呂水が
湧き出ていたんですよ、泉のように。
── こんこんと。
TOBI そんな「命の水」みたいな
音のイメージではなかったですけど。
── 風呂水ですもんね。
でもなぜ、それが「風呂水」だと?
TOBI 大量の泡をともなっていたことと、
フローラルの香りで。
── なるほど。
TOBI 風呂水は、どんどん湧き出してきます。

みるみるうちに
シャワールームを水浸しにしてしまい。
あろうことか
寝室のほうへも、広がっていきました。
── え、大変。どうしたんですか?
TOBI バケツで汲み出すしかありませんでした。

排水管のどこかが詰まっているみたいで
上の階の誰かが使った水が
うちの排水口に逆流してきていたんです。
── あの、こわごわ聞きますが、
水とは、あらゆる種類の水‥‥ですか?

つまり、トイレの水とかも‥‥。
TOBI 幸い、それだけは、ありませんでした。

建物の構造上、
トイレの配管だけは別だったので、
トイレ以外の、
お風呂、洗面、洗顔、皿洗い、洗濯機‥‥
それら上階8世帯の生活用水が、
かわるがわるに、ゴポゴポゴポとね。
── 災難ではありましたが
「不幸中の幸い」とも言えますよね。

「トイレが別」で。
TOBI たしかに。

パリ在住の知人の女性などは
洗濯機の排水口を掃除していたときに
上の人のなさった「ウ◯チ」が
「スポーーーン!」と、垂直に‥‥。
── えっ!
TOBI 排水口から飛び出してきたので
反射的に「掴んで」しまったらしいです。
── 素手で?
TOBI そう。空中で。
── そんなナイス・キャッチ要らない‥‥。
TOBI とにもかくにも、ぼくの部屋を襲った
水漏れ事件は
その後7日間に渡って続くんですけど。
── な、7日間も!?
TOBI 自分のなかで「ぼくの七日間戦争」と
名づけているんですが、
その件は、本題からは外れますので、
また別の「ひどい目。」として
あらためて、お話させていただきます。
── つまり、その時期は
ふたつの互いに異なる「ひどい目。」が
クロスオーバーしていたと?

いくらなんでも、ひどすぎる‥‥。
TOBI 風呂水の勢いはとどまるところを知らず
もっともすごかったときには
床上5センチくらい、
部屋中が、水で浸ってしまったんですね。

で、壁の電話回線も浸水してしまって
事件の直後から、
電話の調子がおかしくなったんですよ。
── はい。
TOBI 話していると切れたり、雑音が入ったり。

しばらく、だましだまし使っていたんですが、
ある朝、
ついに電話線のプラグが火を吹いたんです。
── なんと。
TOBI コード類がまる焦げになるくらいの火が出て
ぼくは、びっくりして
思わず、手近にあった消臭剤を
シュシュシュッと、スプレーしました。
── ファブリーズ的なやつですね。
で、消えたんですか、それで。
TOBI 消えました。
── 可燃性でなくて何よりでした。
TOBI 消臭剤が焦げ、非常に香ばしい香りが
あたり一面に漂いました。

それは、とても懐かしいにおいでした。
何だろうと記憶の意図をたどると、
それは「焼きモロコシ」の香りでした。
── ああ、消臭スプレーのなかには
トウモロコシ成分のやつありますもんね。
TOBI そんなことはともかく、
ぼくは鎮火した差込口のカバーを取り外し、
おそるおそる、その奥をのぞき込みました。
── おお、にわかに話が核心に。
TOBI 明らかに電気的なショートの焦げあとが
あちらこちらに残っていました。
プラスチックが焼けた嫌な臭いもします。

と、電話回線の箱の側面に
いかにも「あとからつけた」ような、
黒い物体を見つけたんです。
── ‥‥ええ。
TOBI それは、
2センチ四方ほどの黒い立方体でした。

見るからにまがまがしい物体が
電話線の脇に、
しがみついたら離さない
悪魔のテナガザルみたいなかっこうで
取り付いていたんです。
── それがつまり‥‥。
TOBI 盗聴器、だったんです。
TX3、というかいう名前の。
<つづきます>
2014-08-13-WED

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