34歳。サッカー選手としては、若くありません。
アレッサンドロ・デル・ピエロ。
特に、18歳の時にすでに高いレベルで
キャリアをスタートしたとなれば。
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デル・ピエロの手柄や勇ましさについて
ぼくが語るのは、初めてではありませんね。
(最後でないことも願います)
この桁外れに優れた選手は、
この11月9日に34歳を迎えましたが、
その4日前の11月5日に、
世界で最も有名なチームのホームであるマドリードの
神話的なサンティアゴ・ベルナベウ競技場で、
それを祝おうとしました。
UEFAチャンピオンズ・リーグの
対レアル・マドリード戦が、
その日、その場所で、行われたのです。
ユーヴェがベルナベウ競技場で
レアル・マドリードを打ち負かしたのは、
1962年に、もう一人の10番の選手、
エンリケ・オマール・シヴォリ選手のゴールで
勝利して以来のことです。
その時の1対0の勝利の記録を、
今回の2対0が塗り替えました。
2本ともデル・ピエロが入れたゴールです。
試合終了の2分前にラニエリ監督が彼を交代させるまで、
デル・ピエロは前半後半を戦い抜きました。
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この時、ディ・ステファノ、プスカス、ジダンなどの
最高のチャンピオンたちにしか情熱を抱かなかった
ベルナベウの観客たち約9万人が立ち上がり、
このベルナベウ競技場で名誉とともにプレイした
チャンピオンたちに匹敵するデル・ピエロを、
数分間も賞賛しつづけました。
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その翌日、試合について語った後のデル・ピエロが、
まるで一番すてきなプレゼントを
もらったばかりの少年のように感動した様子で、
こう言いました。
「ぼくが小さかったころ、レアル・マドリードと、
1982年にイタリアが世界チャンピオンになった
サンティアゴ・ベルナベウ競技場に夢中でした。
まだ8歳だったぼくにとって、その競技場は
ボールの神殿に思えました。
その後サッカーを始めたぼくの夢のひとつに、
ベルナベウでゴールを入れるというのがありました。
そしてこの水曜日に、この夢が叶い、
ぼくは熱狂的に感動しました。
34歳の誕生日を4日前に祝えましたが、
10歳は若返った気分です」
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デル・ピエロの素晴らしい試合は、
ユヴェントスのティフォーゾだけでなく、
イタリアの全てのティフォーゾたちが祝福しました。
アレッサンドロ・デル・ピエロは
他の偉大なチャンピオンたちと同様に、
チームのカラーに隔てられることのない、
ただ一枚のシャツを着ていますから。
「感動が枯れることのないサッカー」のシャツをね。
34歳になった今、デル・ピエロは
2010年W杯南アフリカ大会への参加を、
目標にし続けています。
アズーリのマルチェッロ・リッピ監督は、
UEFAチャンピオンズ・リーグ、トヨタ杯、
W杯などを供に勝利して来たデル・ピエロを、
高く評価しています。
南アフリカに行くころには、
デル・ピエロはゆうに35歳を越えていますが、
彼のような桁外れの選手にとって、
それが何だというのでしょうか? |