エ☆ミリー吉元
						マンガ原稿のある暮らし

偉大なマンガ家を父に持つ
エ☆ミリー吉元さんによるルポマンガです。
おうちにある約3万枚の
マンガ原稿を未来に遺すため、
いろんな関係者に取材をしながら、
自分なりの方法を探していきます。
家族とマンガと原画保存にまつわる
ノンフィクション・ファンタジー。
かわいい仲間たちと一緒におとどけします。

第1話バロン吉元の生原稿(前編)

登場キャラクター

※キャラクターを
クリックすると
詳細がみられます。

  • エ☆ミリー吉元
  • エホッシー
  • ケーネンレッカー

おしえてエ☆ミリーさん!
					バロン吉元さんについて。

私の父です。
1940年、旧満州・奉天出身。
1959年、『ほしいなァ』でデビュー。
父がたくさんの作品を発表していた60年代~80年代、
私はまだ生まれていなかったので、
子供の頃は父の作品に対して
「昔の古いマンガでしょ?」という先入観がありました。
好きなマンガはいっぱいあるのに、
父の作品には手をつけずなんとなく避けていた‥‥
いま気づきましたが、
父から読むのを勧められた記憶もありません。

なので、倉庫で父の生原稿を発掘したときが、
私にとって初めての、
マンガ家・バロン吉元の作品を
目の当たりにした瞬間なのでした。
というわけで、詳しくは第一話をご覧ください。

2015年、父のマネジメントをはじめようと思い立って、
最初に読んだ作品は代表作の『柔俠伝』シリーズ。
1970年から80年まで10年間連載された、
親子4代にわたる大河ロマンですが、
あまりのおもしろさに圧倒され、
父を自分の父と思えなくなりそうなほどの衝撃があり、
しばらく寝込みながら作品の感動を布団の中で反芻しつつ、
ゆっくりと現実を受け止めた記憶があります。
父が歩んできた画業65年分の生原稿3万枚は、
いま現在、すべて私の部屋で保存しています。

そのような中、2024年、父は新たな連載、
あゝ、荒野』(原作:寺山修司)をスタートさせました。
いまも現在進行形で
生原稿を生み出しつづけている父!
日々圧倒されています。

エ☆ミリー吉元の
						ちょっとこぼれ話。

大学四年生の夏。
父の生原稿を最初に発掘したときの衝撃は、
いまでも忘れられません。
私はそれまで父のマンガを
まともに読んだことがなかったので、
それがどういうお話なのか、
ストーリーは全然わからない。
でも初めて手にした生原稿の一枚一枚から、
次々溢れてくるとてつもない絵力、
どくんどくんと脈打つような生の筆致に、
とにかく圧倒され、目が釘付けになり、頭の中は真っ白に。
一方で、生原稿のいたる箇所には劣化の跡。
素晴らしい絵に‥‥えっ、シミがあるじゃん。
シワができてるじゃん! ヤブれちゃってるじゃん!!

感動と動揺、
プラスとマイナス両方の衝撃が一気に押し寄せ、
混沌とした気持ちの中、
ひとり倉庫でしばし呆然としていた記憶があります。
徐々に自分の置かれた状況が見えてきたら、
目の前には大量の生原稿が、山のように。
「これをゆくゆく管理するのは自分なのでは‥‥」
そう気づいたことをキッカケに、
分からないことだらけだった私は、
とにかく助けてくれる人を探したい一心で、
父のマネジメントをはじめました。

それから10年。
父の生原稿をどうやって未来へ遺すか、
私が「自分の手元でなんとかする」以外の
解決策がないままいまにいたります。
そんな時、私の願いを聞きつけ突如現れた、
流れ星の化身・エホッシー!
‥‥このつづきは、
次回「バロン吉元の生原稿」後編で!

2025-02-20-THU

エ☆ミリー吉元の
					おしらせごと。

画俠伝カバー

筆致も劣化も生原稿の質感そのまま!
60年の画業を圧倒的なボリュームで

バロン吉元 画俠伝 
Baron Yoshimoto Artwork Archives
(バロン吉元/著・山田参助/編、リイド社刊)

バロン吉元初の画集。
マンガ家の山田参助先生と共に、
父の画業から珠玉の絵をセレクトして収録。
制作にあたり、実は個人的な裏コンセプトがありました。
それは父の生原稿が今どのような状態にあるか、
レタッチは極力行わず、発掘時の見た目そのまま、
ほとばしる筆致も、進行した劣化も、どちらも生かして、
まさに「生原稿」という字があらわすように、
原稿は生きていることを、この本を通して伝えたかった。
先行世代にとっては懐かしく、
若年層にとっては全く新しい、
バロン吉元の「技」と「美」を伝えると共に、
生原稿への思いもこめて制作した一冊です。
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