HOBONICHI 27th ANNIVERSARY
ぐねぐねしてる。
べとべとしてる。

ぬらぬらしてる。

生きものって、スッキリとしてないんです。
直線だとか、垂直だとか、均質だとかは、
無機物のほうにありがちな特徴で、
生命って、だいたいきもちわるいものなんです。
生命感のあるものって、実にもう、
ぐねぐねしてる、べとべとしてる、ぬらぬらしてる、
そういう感じになってきています、ぼくらの「ほぼ日」。
ちっとも自賛もしてないし謙遜してもいないですが、
いまの「ほぼ日」は、不気味ですよ、生きものっぽくて。
ぜんぜんスッキリしてないのが、とてもいいです。
ある時期のぼくだったら、
もっと見通しのいい景色を求めたかもしれないのですが、
深い森やら、海の中やら、迷路みたいなわからなさを、
群れとして持っているって、すっごくいいです。
走り出すし、転ぶし、笑うし、泣くし、元気です。
明日や明後日を怖がってないところが、
昔の人でもあるぼくにはできなかったことです。
ぼく個人は、いわゆる「自己肯定感」の弱い人間なのでね。
そういう意味では、「ほぼ日」という生きもののほうが、
糸井重里という人間よりも、ずっと大きく育ってます。

生きものっぽいものこそが、ぼくらの存在理由です。
いや、ぼくらのっていうより、ほんとは人間の。
これまでの時代これまでの社会って、
生きものであるきもちわるい人間に、
無理やりスッキリさせようとしてきたんですよね。
いわゆるひとつの近代社会ってしくみで。
で、そういうスッキリものの象徴が、
なにかと話題の人工知能でしょう。
これはもう、たしかに、ほんとにすごいと思うのです。
スッキリの親方、スカッとの神、クールの王様。
もう、ほんとに役に立つやつですよ、おそらく。
ただ、人間であるぼくらは、
ソウイウモノニワタシハナリタイのだったか?
もしかしたら、なりたがっていたのかもしれませんけど。

だけど、AIの驚くほどの進歩を見せてもらえたおかげで、
これはちがうかもって、気づかせてもらえたんです。
スッキリしてないほうの、生きものっぽいほうの
じぶんたち人間の側にこそ、ぼくらの望む価値があるって。
そういうことを実感せざるを得ない時代にも、
もう、なりかかっています。
スッキリ方面にはいろいろ助けてもらいましょう。
でも、人間であるぼくらはどう生きたいのだろうか。
生きたい側に舵をとろうよ。
未来は、現在のなかに混じり込んでいますから、
こういう気分は、とても多くの人が感じているはずです。

去年から、いかにも代表者の、
いかにも周年の挨拶みたいなことをやめてます。
27周年の今年も、その勢いは加速していると思います。
去年、すでにこんなことを言ってます。
これまでよりももっと野生的なプロジェクトを、とか、
「ほぼ日」創刊前みたいな風を吹かせましょうとか、
「おもしろく」のいろんな角度からの再開発とか、
「よそもの、わかもの、ばかもの」としてワッショイとか、
言ってたことは、冗談じゃなかったのが、
じわじわぐねぐねと見えてきてるでしょう。

希望ハ我ラニ在リ。
みんなもいっしょに、やりましょう。

2025年6月6日
知的から詩的へ
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