| 厳しかった時代が、日本にあった(4月13日) 
 
 ・元暦二年(1185年)に「都の大地震」がありました。鴨長明の『方丈記』に、そういう記述があるそうです。
 いや、不勉強なぼくのことですから、
 これはいま読んでいる『法然と親鸞(山折哲雄)』
 という本からの知識です。
 この天災は四万二千三百余りの命を奪ったといいます。
  ・この時代の生き難さについては、かつて吉本隆明さんに話を聞いたことがあります。
 とにかく、この時代は厳しいことだらけだった。
 生きるということが、つらいばかりだった、と。
 だから、それまでの信仰のなかにある
 「生まれ変わり」なんか、庶民はいやだったわけです。
 こんな世の中で、もう一度苦しみたくなんかない。
 そこで「浄土」という考え方が人気になるんですね。
 生まれ変わらなくてもいい、
 死んだら清らかな「浄土」に行けるんだという。
 ‥‥つまり、それほど「この世」が厳しかった、とね。
 ・付け焼き刃での歴史の話なんかしてますが、言いたいのは簡単なことです。
 生きていることがいやでしょうがないほど、
 厳しかった時代が、日本にあったんだ。
 で、そこで歴史が終わっちゃってるかというと、
 そういうことでなく、凄惨なまでの「この世」は、
 いま現在の、ぼくらのいる場所につながっている、と。
  いまの時代とは、生産力も、政治も経済も、圧倒的に小さな規模だったでしょうから、
 ほんとに絶望的な状況があったと思うんですよ。
 それでも、いま、その時代の人びとの子孫は、
 つまりぼくらは、ここにいる。
 どうやって生き抜いたんだろう。
 失敗も犠牲もさんざんあったのだろうけれど、
 「この世」を、人びとはつくってきた。
 すごい為政者がつくったわけじゃないと思うんです。
 無名のひとりひとりが、掘ったり耕したり工夫したり、
 泣いたり笑ったりしながら生き抜いてきたんだよなぁ。
 なんか、ぼくらも後世の人に、
 ちょっとそんなふうに、感心されてみたい。
 そうなれるよう、祈りながら、動きます。
 今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。ニュース見すぎると、無力感に襲われちゃうんだよなぁ。
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