横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが、横尾忠則さんを解説するって?

「イントロダクション」の部屋【その1】
 横尾学芸員のご案内、
 はじまりはじまりです。

いよいよ今日(8月10日)から東京都現代美術館で
開催される「横尾忠則 森羅万象」展。
聞き役・darlingを会場入口で迎えてくださった横尾さん、
darlingを連れて、展覧会全体のイントロダクションとなる
第一室へと向かいました。

ちょっと不思議な構造ですが、
これから行かれるみなさまにご注意。
展覧会の第一室は、3Fです。
1F入り口を入ったら、
正面のエスカレータにのって、
まっすぐ3Fにむかってくださいね。



横尾 おお、いらっしゃい、糸井さん。
糸井 今日はよろしくお願いします。
横尾 じゃ、上へ移動だ。

横尾 あ、糸井さん、
2階で降りちゃダメだよ!
展示は3階からなの。

註:2Fは横尾さんグッズの
ショップになっています。
順路の帰り道によれるので、
ご心配なく!
糸井 (3Fに到着するや)
うわーっ!

横尾 芸術は爆発だ!
糸井 ・・・岡本太郎さんですか、いきなり。
横尾 フハハハハ。
これは今回の展覧会の
ポスター用につくった絵なんだよ。

註:ポスターには2種類あり、
ひとつはメガネをモチーフにした
ポップなポスター
もうひとつが、このポスターなのです。
糸井 これ、核実験の写真を使ってるんですか?
横尾 そう、水爆のね。ビキニ環礁のときのだよ。
ポスターもいちおうつくったんだけどね。
ほら、これなんだけど。
糸井 わぁぁ、だんぜん実物のほうがいいですね。
この大きさで見ちゃうとなぁ、
ものすごいもん。
実物はやっぱり、作品の匂いがちゃんとする。
こうやって横尾さんの絵を改めて見ると、
本職の人にこういうことを言うのもナンだけど、
すっごいもんですねぇ。
横尾 爆弾の下は、
東京の焼け野原の写真を使っているんだよ。

糸井 ときどき色をつけている建物もあるんですね。
あ、美術館も描いてある。
焼け残ってるという意味ですね。
横尾 そうよ。
サイケデリックが流行る前から
蛍光色でした。
糸井 (第一室に足を踏み入れて見渡し)
ここは……うわあ、僕にとって
懐かしい作品が並んでますよ。
1965年からの、初期の作品ですね。
絵画とポスターが展示してあるんですね。

註:進行方向に向かって右が絵画、
左がポスター作品になっています。


横尾 うん。当時は絵もポスターも、
同時進行で描いていた。
糸井 横尾さんのポスターって
ずいぶん前のものなんだけど、
懐かしさを感じないんですよね。
横尾 どういうこと?
糸井 もう「出すぎて」て、ぼくらはそれを
ずーっと見続けているような気がする。
横尾 そうかもしれないね。
けっこう露出度が高いですから。
いろんなメディアにしょっちゅう出ている。
糸井 ポスター自体が、
タレントみたいになってますよね。
ここにある絵画に描いたモチーフを
ポスターに使ったりすることはあったんですか?
横尾 あるよあるよ!
例えば、この、空を飛んでる人の絵。


「テレビ」の一部分

ここで描いたのを、
ポスターの「腰巻お仙」に使ってる。


「腰巻お仙」の一部分

註:この2つの作品、同じ部屋の
壁の対面に展示されています。
同じ「飛ぶ女」のモチーフ、

探してみてくださいね〜!

糸井 ほんとだ。なるほど!
よく考えてみると、
こういうポーズで女の人が空を飛んでるモチーフって、
それまでの絵の歴史には、なかったですよね。
ふつう、こういう発想は
急には出てこないと思いますが・・・。
横尾 え? 出てくるよ。
糸井 そうなんですか!
こういうモチーフを思いついた瞬間って、
やっぱりうれしいものなんでしょうか。
横尾 いや、べつにそんなにねぇ・・・、
どうかな。
糸井 絵のモチーフとしては、これは
そうとうヘンなものだったんでしょう、
当時は。
横尾 ヘンといえば、
ここにある全部の絵がヘンだよ(笑)。
糸井 そうだけど(笑)。
この絵なんか、特にインパクトがありますよね。

横尾 ああ。この絵のことを
「口のなかから出た水で
 皇居のお堀をいっぱいにした絵ですね」
っていう人もいるんだよ。
おもしろいこというよね。
アレ・・・これ、でも、
よく考えてみたら、
ここから水が出てるの、ヘンよね。
糸井 ええ?
あ、舌の下側から水が出てますね。
これじゃあ、
口から吐き出しているかんじはしない。
横尾 おかしいよね。
向こうからこう出て、こう来て・・・(ブツブツ)、
そうだよ、ヘンだよ。
いま気がついた!
糸井 ハハハ。
何十年もそのままにしてあった!
横尾 誰もそんな疑問をもたなかったんだね、
ハハハハ。
糸井 ここには寺山修司さんや唐十郎さんの
劇団のポスターもたくさんありますが、
お二方からの影響って
やっぱり大きいものでしょうか?
横尾 ううーん。どちらかというと、
ぼくのほうが影響を与えたんだと思うよ。
ここにある絵のいくつかは
寺山修司の「腰巻お仙」なんかのずっと前、
彼らと出会う前に描いたものだもの。
糸井 横尾さんが描き表すことによって、演劇でも
こういう世界がオッケーになっていった
ということですね。
横尾 うん。
糸井 ぼくは、当時
この「腰巻お仙」のポスターを見て
気持ち悪くなっちゃったんですよ。

横尾 あら、そう!
糸井 思い出のポスターですよ、ほんとに。
このポスターをぼくが見た時代には
「サイケデリック」っていう言葉があって、
そういう流行が自然に、世の中にありました。
横尾さんも「サイケデリックな人」という
イメージがあるんですけれども。
横尾 ぼくは1967年に
ニューヨークではじめて
展覧会を開いたんだけど、
そのときにはじめてジョン・メイスンから
「サイケデリック」っていう
言葉を聞いたんだよ。
糸井 それは、これらの作品を描いたあとのことですね。
横尾 うん。こういう作品を
展覧会にもっていったわけだからね。
そのときの取材で
「日本にもドラッグがあるのか!」
って突然聞かれたんだよ。びっくりした。
糸井 ほっほー!
横尾 67年には、ぼくは「ドラッグ」って言葉を
知らなかった。
ニューヨークで
「サイケデリック」と「ドラッグ」という言葉に
はじめて出会ったわけ。
糸井 バニラファッジとかクリームとか
バンド音楽の流行りとともに
「サイケデリック」という言葉が
一般的になりましたよね。
でも横尾さんは、その前から
蛍光色を使ったりしてた。
横尾 そうだね。

糸井 当時としては、
ひどくおかしいことのように見えたんでしょうね。
横尾 ぼくはそんなに
おかしいとは思わなかったけれどもねぇ(笑)。
アメリカ人はおかしいと思ったんだね、
「日本にもドラッグがあるのか」って
言ったくらいだから。
「なんでか?」って逆に聞き返すと、
「サイケデリックっていうのは、
 ドラッグを服用したことによる幻覚を
 音楽やアートで表現したものをいうんだよ」
と教えてくれた。
糸井 下側に「JUN」って描いてある
ポスターがありますけど
これは広告だったんですか?
横尾 これは天井桟敷のポスターなんだけど、
当時、天井桟敷にはお金がなかったから
JUNからお金をもらってこのポスターをつくったわけ。
つまり、このポスターを制作するためのスポンサーが
JUNだったってことです。
糸井 こういうことは、
デザイナー横尾忠則さんとしては、
嫌なことだった?
横尾 ぜーんぜん。
糸井 おお。
横尾 まったくあたりまえのことだと思っていたよ。

「イントロダクションの部屋」は、
次回の更新に続きます。どうぞお楽しみに!

2002-08-10-SAT


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