三重県、伊賀市丸柱。
滋賀県境に近い、
なつかしい匂いのする里山の風景のなかに
窯元「土楽」があります。
目の前に田畑がひろがり、
近くの池ではジュンサイが、
川では天然の鮎が釣れ、
山に入ると、山菜や茸どころか、
鹿や猪に出会うこともある ── 、
そんな景色のなかで、
「うちの土鍋(ベア1号)」がつくられています。
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この地で陶芸がはじまったのは、
古く奈良時代、聖武天皇の頃だといわれています。
もともと、琵琶湖の底だったという伊賀の里には
全国でも有数の良質な陶土が堆積していました。
ここにくらす農民たちがその土を使い、
生活雑器を焼いたことが、
そもそものはじまりだといわれています。
安土桃山時代には伊賀領主が焼き物を奨励、
わび、さびを好む文化のなかで、
茶壺や水差し、花入れなどの、
たくさんの茶道具が作られ、
伊賀焼の名を高めていきました。
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江戸時代、天保年間の終わり頃になると、
芸術性の高い茶道具の名品を輩出するいっぽうで、
伊賀の窯元は土鍋や土瓶などの
台所で使う器をつくることで知られるようになります。
当時の資料をさかのぼることができなかったのですが、
かなりの生産数だったということですから、
京都や奈良、もしかしたら尾張や江戸でも
伊賀の土鍋を使っていたひとびとが、
いたのかもしれませんね。
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じつは、直に火にかけられる土鍋にあう土は
どこにでもあるわけではありません。
そのなかで、耐熱性と保温性にすぐれた粗めの伊賀の土は
土鍋に最適だといわれています。
大昔に微生物を含み粘土となった土は多孔性で、
微細な穴に空気を含んでいます。
粘土そのものも目が粗く、また、
手びねりでろくろをまわし、引きのばしながら
土鍋の素地にしたものは
機械で型に押し込んで作った土鍋と違い、
空気を多く含むため、
熱すると素地に含まれる空気もあたたまり、
すぐれた保温性を発揮します。
じっくりと時間をかけて熱くなっていき、
一度熱くなると冷めにくい。
これが、伊賀焼の土鍋のおおきな特長になっています。
もちろん「ベア1号」には
そんな伊賀焼の土鍋のいいところが、
きちんと受け継がれています。
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