【29】沢田マンション訪問記 
 
   
■とてつもなく凄いものを見た 
今回は、岡さんが強く影響を受けたという 
沢田マンションについて聞いてみました。 
沢田マンションは、 
高知市にある鉄筋コンクリート造の集合住宅で、 
オーナーの沢田嘉農さんとその夫人の裕江さんが、 
独学で建築工法を身につけ、自力で建設したものです。 
完成した後も長年にわたって増改築が続けられ、 
奇々怪々な建物へと成長していきました。 
いわば蟻鱒鳶ルの先輩とも言うべき存在です。 
詳しく知りたい人は、古庄弘枝さんが書いた 
『沢田マンション物語──2人で作った夢の城』 
(講談社プラスアルファ文庫)という本が出ているので、 
ぜひ読んで下さい。 
「行こうと言い出したのは、ヨメの方なんですよ」。 
いきなり意外な発言です。 
それまで岡さんは、 
沢田マンションのことを知りませんでした。 
連れて行かれて半日ぐらい建物を見たけど、 
それでもあまりピンとこない。 
そのままカツオのタタキを食べに行って、 
ホテルに戻ってベッドにもぐり込みました。 
それから夜中に、ハッと目が覚めます。 
「突然、気が付いたんです。 
 昼間に見たものは、とてつもなく凄いものだったと。 
 それからは興奮して眠れない」 
次の日は、もう一度、 
沢田マンションを見に行ったそうです。 
  
▲沢田マンションの全景 
(写真:岡本明才/沢田マンションギャラリーroom38) 
■堂々と失敗する 
岡さんにとって、沢田マンションのどこが 
そんなに良かったのか。 
「屈託なく明るいんですよ。 
 まっすぐに輝いている。 
 それがすごいんですよね」 
沢田さんは、迷うことなくとにかくつくってしまう。 
少々の失敗しても、堂々としている。 
「釣り堀があったり、田んぼをつくったり、 
 なんでもやってしまう。 
 建築的にはよく見るとメチャクチャなんですよ。 
 上の方に柱があるんだけど下には何もなかったり、 
 完成直前で頓挫してしまった部屋があったり、 
 『え?』というところがいろいろある。 
 住んでいる人に聞いたら、 
 階段は沢田さんの登りやすい 
 蹴上げ高さでつくられているが、 
 最後の一段だけ必ず少し低いらしい。 
 階高を均等に割り振るという発想がないんですよ。 
 それでもつくっちゃえばいいんです。 
 なんかわくわくしますね」 
■「これはイイよ! つくらにゃイカン」 
岡さんは、その後、再び沢田マンションを訪れます。 
この時はテントを持って行き、 
屋上に張らせてほしいと頼み込みました。 
沢田嘉農さんはこの時、 
お遍路に出かけていて不在だったのですが、 
代わりの人が 
「部屋が空いているからそこに泊まりなさい」 
と言ってくれ、岡さんは一週間ほど 
沢田マンションに滞在します。 
岡さんがそろそろ出発しようかと考えたころ、 
沢田さんが帰ってきました。 
岡さんが描き始めたばかりの 
蟻鱒鳶ルのスケッチをおそるおそる見せると、 
沢田さんの反応は、絶賛でした。 
「これはイイよ! 何が何でもつくらにゃイカン」 
そして、自分でつくれるかどうか 
自信がもてなかった岡さんを励まします。 
「鉄筋コンクリートでつくるんだったら大丈夫。 
 コンクリートは固い。 
 その中に鉄をいれるんだからもの凄く強い。 
 心配ない、アンタはつくれるよ」 
喜んだ岡さんは、「お礼をさせて下さい」といって、 
その日の夜、沢田さん一家に 
屋上まで上がってもらいます。 
そして「ここでこれから火事が起こらないよう、 
悪い火種を吹き飛ばします」と言ってから、 
火吹き芸のパフォーマンスをしたのでした。 
「大ウケでしたね。沢田さんの奥さんは 
 『アンタ、よか男よ。 
  ウチのお父さんの若か頃によう似ちょる!』 
 なんて言ってくれて‥‥」 
■人間はここまで大きくなれる 
沢田嘉農さんが亡くなったという知らせを耳にしたのは、 
岡さんが東京に戻ってから数カ月後でした。 
「顔色が悪かったので心配でしたが、 
 ぎりぎりの状態だったんですね。 
 会うことができて本当によかったです」 
岡さんにとって沢田さんは、憧れの人でした。 
「オモシロ建築をつくったヘンな人みたいな 
 扱われ方をされることもあるけど、 
 フトコロの深い本当の人格者でした。 
 建築を一生懸命つくれば、 
 人間はここまで大きくなれるんだ、と思いました」 
蟻鱒鳶ルが完成したら、 
沢田さんの家族をぜひ招待したい。 
岡さんは、そう考えているそうです。 
  
▲蟻鱒鳶ルの壁には不思議な形の穴が。 
  
▲出来上がったばかりの梁を見つめる岡さん。
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