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さて、この「恩返し」に
名前は何度も登場してきましたが、
今回は、糸井重里です。
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もうね。
何から話していいかわかんないくらいです。
ずくずくと高円寺に住んでいた、
こんな僕のような大長髪のラストサムライを
東京の中心部にひっぱり出してくれたのも糸井さんです。
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引っ越せ、というアドバイスだったんですか?
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「とにかく、高円寺を出ろ。
こんな美大の流れのまんま
むさい男とふたりで住んでいるじょうじゃだめだ。
マガジンハウスは来ないぞ
ここには」
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(爆笑)
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それは、正しかったです。
とにかく、僕は糸井さんのいろんなことに影響を受けて
いろんなことをすごいと思いました。
文化系なのに体育会系の男気と豪傑さがあって
「へええ、こんなことするんだ!」と
驚いたことが、ほんとうに多かったです。
だいたい、ふつうは、イーグルスの
「ホテル・カリフォルニア」がいい曲だというだけで
何十枚も買って、人に配ったりしないでしょう、
メンバーでもないのに。
「モトとれるかどうかはわかんないけど
おもしろいことをやるには、
こんだけやらないとだめだ」
ということを、あの人に見せてもらいました。
とにかく僕は糸井さんに
ぜんっっぶ、影響を受けたから、
当時糸井さんから言われたことを、
いま、飲み屋で後輩が
僕からそのまま言われてます。
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ははは。
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僕は、釈迦十大弟子みたいな気持ちなんです。
アーナンダとか舎利弗とか、そういう気持ちでいるんです。
でも、そんな十大弟子気分だった僕ですが、
よく考えたら
糸井事務所の社員でもなんでもなかったんです。
友達が勤めているというだけで
遊びに行っていただけ。
あるとき、糸井さんに
「もう来なくていいよ、
遊びに」
と言われたんです。あれは、怖かった。
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わかりにくいですね‥‥。
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わかりにくいよ‥‥。
あの人の言うことは「7年殺し」くらいですからね。
じわじわ効いてくる。
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そして、糸井は
「かまぼこ板にみうらじゅんと書いて
表札を出せ」
と言ったんですね。
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はい。そう言われて
糸井さんに頼らないようにして、
がんばってきました。
でも、糸井さんに言われたことだけは
とにかく守ろうと思って、ここまできたんです。
「お前は、一個一個はおもしろくないから
たくさん描け」
とかね。
だから、現在の僕の
無駄な量、無駄な努力というのは
糸井さんから教えてもらったことです。

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みうらさんが、いまでもいちばん緊張する、
怖い人物、糸井重里。
みうらさんは、
「糸井さんだったらどう考えるだろう」と
いつも思っているんだそうです。
いま、糸井事務所の社長である彼はよく、
「俺の言うことなんて誰も聞きゃあしないんだ。
事務所でピッチングフォームは禁止と
言っても、やめないやつもいるし、
あいつのガニ股も治らないし」
と嘆いています。
そんなことはありません。
口に出しては言いませんが、
みうらさんを筆頭に、
とにかくこの人の言うことは聞いておこう、
とみんなが思っているのです。
アーナンダ・みうらさんの
23個めの恩返しでした。
みうらさんが出会った頃の、糸井重里。30代でした。
糸井重里
コピーライター。
1972年に活動を開始し、'75年にTCC新人賞を受賞。
「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。
好きな食べものはコロッケパン。
甲殻類は食べません。
釈迦の十大弟子
釈迦の弟子の中で、特に優れた人たち10人。
舎利弗(サーリプッタ)、
阿難陀(アーナンダ)などがいて、
釈迦の教えを後世に伝えた。
アーナンダは、釈迦の説法を最もたくさん聞き、
女性に親切だったとか。