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今年『ナイン』は大当たりする! 去年は知らなかったくせに、応援します。 |
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ きょうもたっぷり 大阪公演の感想メールを掲載します! ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
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■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 第十六回 『ナイン』の核心“イノセント”! ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 大阪公演はみなさんのおかげで盛況です。 カーテンコールの大拍手はもちろんのこと、 お寄せいただくメールが勇気になり、力になります。 ほんとにほんとにありがとうございます。 休演日返上で、追加公演。 さあ大阪は、いよいよ後半です。 きょうは1960年代という時代と、 『ナイン THE MUSICAL』の関係をお話しします。 ●'60年代というキーワード 衣裳やヘアメイクが表現しているとおり、 『ナイン THE MUSICAL』の世界は、1960年代です。 衣裳のつくりかたは、 「去年はこんな感じでした!」の回で ほんの少し触れました。 ヘアメイクに関してはこうです。 ヴィッキー・モーティマーの詳細な資料をもとに、 昨年秋の公演で演出家の信頼の得た鎌田さんが、 日本のキャストに合わせてプランニングしました。 鎌田さんは、昨年秋からさらに今回、 また新たなイメージを作っています。 演出家からのキーワード、「'60年代」をもとに。 モチーフとしているフェリーニ映画『81/2』が、 '60年代を代表する傑作であるということ以上に、 あの時代の映画が伝えた鮮烈なテーマを、 演出家デヴィッド・ルヴォーは『ナイン』に 込めています。 ●映画『甘い生活』の時代 それは映画監督で言えば、 ヴィスコンティやミケランジェロ・アントニオーニ、 俳優ならアラン・ドロンやヘップバーンたち、 音楽ではニーノ・ロータが大活躍した時代です。 デヴィッドはこう説明します。 「ローマの街並やカフェの風景が 世界じゅうに反響をもたらした フェリーニの映画『甘い生活』の時代、 その時代を現代から見るとき、 イノセントで、アナーキーなきらめき、創造的で、 大胆な性の時代に映る」 映画『甘い生活』はカンヌ映画祭グランプリに輝き、 アカデミー賞2部門を受賞した作品です。 青年ジャーナリストの役のマストロヤンニが 初めての主演でした。 ローマを舞台に気まぐれで奔放な男女関係を描き、 現実と幻想が一体化する構成は、『81/2』や、 そして『ナイン』にも通じるフェリーニの世界。 女優アニタ・エクバーグがトレビの泉に入り、 水と戯れるシーンが象徴的でした。 ![]() 人生は芸術を模倣するという言葉がありますが、 '60年代に作られた映像世界によって、 現実の生活が映画を模倣するようになりました。 『甘い生活』で言えば、 「ヴェネート通り」を疾走するパパラッチの姿は、 フェリーニがこの映画でつくり出したものです。 デヴィッドは、「映画のようにうつろいやすい、 つかみどころのなさを『ナイン』に与えた」と言います。 それはたとえば、半透明のアクリルに囲まれた 舞台セットがそうかもしれません。 また、グイド・コンティーニの頭のなかに 女性たちが登場するとき、 天国までつながるらせん階段から降りてくる演出も。 このときのデヴィッドの言葉が印象的でした。 「彼女たちは、ハイヒールを履き、 '60年代ファッションに身を包み、 ゴージャスで、ファンタスティックでセクシー。 足下も見ず、後悔もせずに降りてくる‥‥」 ![]() 女性はこうあるべきということに縛られない、 自由な女性たちのイメージがそこにあります。 『ナイン』に登場する女優たちが、 どの現実よりも美しく輝いてみえるとすれば、 それは'60年代の映画がそうであったように、 彼女たちの本来の姿が演出されているからだと思います。 先日、あるインタヴューでデヴィッドに 質問をしたことがあります。 Q『ナイン』は各都市で上演するごとに、 それぞれ違う輝きを放つ作品だと言われますが、 日本の『ナイン』はどう違うんですか? デヴィッド 「『ナイン』という作品は、 大人の男女の洗練された煌めきと、 作品の核にある無垢なものの 緊張関係でできてると思う。 それが日本という文化のレンズを通してみると、 ほかの都市ではそれほど拡大されなかった “無垢な部分”が拡大されてる。」 “無垢な部分”、それは'60年代の映画が魅せた、 女性たちの輝き“イノセント”のことです。 (つづきます!)
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2005-05-11-WED
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