2025-04-25

・前々から、何度か高校時代の国語の先生について、だれに聞かれたわけでもないし、だれに話すというつもりもなく、「ほぼ日」で話してきた。『多忙は怠惰の隠れ蓑である。』ということばは、あちこちで繰り返し引用されてきたが、これを言ったのが亀島貞夫先生だ。群馬県立前橋高校の現代国語の先生で、亡くなってからもう20年も経っているが、いまでもどうやら伝説の教師のように語られているらしい。ぼくにとっては、まずは高校の「現国」の先生だった。週に何度かこの先生の授業がたのしみでしょうがなかった。高校教師になる前は、東京で編集者をやっていて、太宰治の担当であったことなども聞いていたが、あんまり過去のじぶんを語ることもなかった。後に、文献で、太宰治の入水自殺の直後に、その場に立ち会っていたというようなことを知った。教科書に合わせて授業をしているようではあったが、なにを話していても興味深くて、とにかくおもしろかった。ぼんやりしたぼくなんかより、ずっと知的な同級生もいて、もっと深いところで亀島先生の話を聞いていたようだった。高校を卒業してからも、何度となく先生のご自宅を訪ねた。先生は、ぼくや当時の友人たちの話を、けらけら笑いながらたのしそうに聞いてくれた。クルマで行って、その近所に駐車したおぼえもあるから、ずいぶん大人になってからも訪ねて行ってたのだと思う。

一冊の著書もない地方の高校の国語の先生の「評伝」が、没後20年も経って出版されることになるとは、たぶんご本人にも、ぼくにも思いも寄らないことだった。その本には、ぼくらが「うわさ」程度にしか知らなかった先生の過去の意志と物語とがたくさん書かれていた。本の、ほんの一部分の引用のなかに「ぼく」を見つけた。「私の教える高校生の中に、それぞれに個性鮮やかな少年の一群がいた。私は彼らと、週二回、読書会をもち、彼らの無知を嘲弄し、彼らの訥弁を揶揄し、彼らの辟易し切歯扼腕する状を見、徒然にして鬱屈すること多き日々の、この上ない法楽としていた」。評伝の著者の高草木光一氏が「やや偽悪的」と書いたこの一文のなかに、脇役のひとりとしてじぶんがいた。これは、ぼくのなによりの「卒業写真」になった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。だれに向かって、この文を、ぼくは書いているのでしょうね。

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