空のクーラー
鉄を素材にオブジェを造りはじめた頃、
スクラップ屋のヤード内をうろついては
鉄屑をコラージュしたジャンク・アートをやっていた。
すぐに、その方法に飽きてしまったオレは、
小型バーナーを抱えて近くの事故車を集
めてある空き地に毎晩通うようになっていた。
自分のFACTORYに運び込んだ、
色とりどりのクラッシュした不幸な車体から
剥ぐように切り取った薄板を溶接しては、
大きなオブジェを造りはじめた。
中には椅子の形になったモノもあった。
溶鉱炉で溶かした鋳鉄を砂型に流したり、
溶けた硝子を流し込み無垢のカタマリを創りはじめる以前の
十五年ほど前の作品群である。
まだほとんどのヒトに知られる前に、
次なるゲージツを始めるたびに
スペースを狭くしているモノから
順にオレが大半をスクラップにしてしまったのだが、
もう絶版になってしまったオレの作品集
<IRON SURCUS>に、何点かの写真が載っていた。
まだ何冊か手元に残っていて、
ミラノ個展の折に持ち込んだ作品集を観たイタリア人が
是非欲しいといってきたから驚いた。
FACTORYの片隅に埃まみれで
溶接部分は相当に錆びはじめていた。
朝六時半、まだ冷えびえしたFACTORYのボンベを開き、
圧縮されたアセチレンガスと
酸素が混合されたバーナーに点火され解放される。シューッ。
あまりにもひどい部分の溶接を修理しながら
自分のジカンを辿っていた。
来年のイタリアでの活動資金の足しになるコトだが、
もう少しでスクラップになる筈だったジカンが
ゼニに変る事が奇妙に思えた。
しかし売れるからといって、
いつまでもムカシの自分をコピーするような
<さもしさ>はオレのスタイルではない。
イタリアに送る手配を済ませた。
プロの漁師は毎日魚を釣るのが生業だし、
オレの生きる理由の大半はゲージツ・ジカンである。
そして釣行は<人生のオカズ>だ。
根室出身のヤンシュウ・ノリは、
一族が漁師だったが度重なる拿捕事件で廃業し、
上京してロケバス・ドライバーをやっている。
彼にオレの車を運転してもらい、
波崎のヒラメ解禁日に向かった。
「僕、今晩は釣ったヒラメでエン会やるからって、
一〇人集まるように言ってきたんだ」
とヤンシュウは気合充分だった。
オレも内心大ヒラメを狙っていた。
夜中、信栄丸の船宿は強い雨に包まれ、
眠らないオレはヤンシュウと
サッカーのテレビ中継を観ながら仕掛けを点検していた。
日本ゴールに韓国の決勝シュートが吸い込まれ
出船時間になった。
さすが解禁日、乗り合いの釣り客は満席の二〇人。
潮は止まったままの鹿島灘に雨粒で穴が開く船中、
誰一人当たりがないまま冷たい時間が過ぎていった。
オレは一匹一二〇円の生餌イワシの口に
ことさら丁寧に親バリを刺し、
孫バリを背に留め静かに投入した。
五〇号の錘がイワシを海底に連れて行く。
着底する瞬間だ、ゴツン、久しぶりのヒラメの感触だった。
糸ふけがたちまち張りゴツゴツと獰猛な感触。
ヨシッ、来たな。今まで釣ったことのないヒラメの強さで、
ロッドの穂先が海面に引き込まれる。
オレは落ち着いていた。
十五センチほど静かに聴き合せると、
ヒラメがいっそう暴れた。
今だ! ロッドを立ててパワーハンドルを巻く。
載った!船長がタモ網で掬い上げてくれたヒラメは
3.2kgの自己記録だった。
オレが一番手だ。余裕でハイライトを一服。

間もなく左隣でやっていたヤンシュウが
「来た!」と叫んだ。
すると三十センチほどの放流サイズを二枚
クーラーに仕舞いこんでいた左隣の客も、
「来た来た」と呟きながら黙々と巻きはじめた。
ランディングした4.8kgは二人のハリを呑んでいた。
これは厄介なことになったぞ。こんなこともあるのだ。
船長も困ってジャンケンか、話し合いだねと言ったまま
操舵室に戻り釣りは再開した
が、大ヒラメは二人の中間の中途半端なオレの後ろに
横たわったまま雨に黒光りしていた。
遠慮しながらも自分の所有を主張している二人の沈黙が
真ん中のオレの背中でスパークしていた。
ここでも最年長だったオレは左隣の根こそぎ男に
「オレの3.2kgをアンタにあげるから、
この4.2kgは彼にわたしてくれよ、
あのまま半身づつ分けるより徳だぞ」
「いいんですか、すいませんねぇ」
(『いいわけないけど仕方ないべや、この際』)
4.8kgを丸ごとエン会に持ち帰ることになった
ヤンシュウが、礼にオレの3.2kgが残した血を
きれいに洗ってくれた空のクーラーには、
自己記録3.2kgの空気が詰まっていた。
今度は5kgオーバーを仕留めてくれるわい。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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