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クマちゃんからの便り |
クマさんから、この年末年始の日記がとどきました。 クリスマスから、三が日までのようすを、 まとめてお届けしますね。 北海道の荒野でのマイナスの世界、 どうぞ、ごらんくださいませ。(ほぼ日) ------------------------------------------------------------------ ●メリークリスマス(2005-12-25) 東京から再び極寒の荒野に戻って、 淡々とした<凍り>のジカンにいる。 シャーベット状の水を入れた 悪戦苦闘の一基目の型枠を外した。 中に貼った羊水膜みたいな薄いビニールに包まれ、 不透明な乳白色の凍りのカタマリが現れた。 零下の空にライトピラーを立ち上げる塔に仕上げて 少し落ち着いた。 冬のリゾート地には季節アルバイトに 全国から若いヒトが来ている。 彼等はスノーボー好きが多く スキー場を転々と渡り歩き、 ゼニを稼いでは束の間の休みに 滑りを楽しんでいるのである。 休みを返上し喰うものも節約しながら ひたすら自分の計画のためにゼニを貯める者もいる。 会社持ちや家族持ちの慌ただしい年の暮れとは かけ離れていて心地イイ。 季節労務者としてあっちこちの飯場で、 鉛筆で絵を描いていた若い日々だったオレは、 彼等の休憩詰め所での過ごし方や働きぶりを 懐かしく眺めていた。 と言いながらも相変わらず、ゼニの余裕がないオレは、 ハチ、インカ、バリオの三人を手元にリクルートして、 メシやショーチューを奢ることを条件に、 彼等のシゴトの時間外に手伝いを頼んだのだ。 マイナス十二℃の真夜中、 ミッキー君と三人の青年達をサポーターにして、 二基目の制作にはいる。 水中ポンプのホースを延ばし パワーショベルのバケットの中で一℃に冷やした 水の注入を完了した。 青年たちのビニールの内張り作業から 注入までの丁寧な仕事ぶりで、 型枠の継ぎ目から一滴の水も漏れることはなく、 一基目の水漏れ騒ぎで 一週間の無駄を繰り返さないで済んだ。 このINVITE人海戦術は大いに助かった。 満タンにした四トンの水底にノズルも設置した。 コンプレッサーに繋ぎ噴き出すバブルで対流をおこし、 底からゆっくりと氷を成長させる仕掛けである。 注入から数日が経ち、 型枠の内側に五センチずつの氷が着いている。 あと半分ほどなのだが、まだ一週間はかかるのだろう。 オレには焦りはない。 ![]() 鉄の型枠を見上げては 「本当に凍るのか、いつになったら型枠を外すのか」、 「こんな大きな透明な凍りは無理なんじゃないか」なぞ、 自然のチカラに身を委ねたゲージツに、 休憩詰め所の青年等の疑問がときどき聞こえてくる。 有り難くも余計な心配である。 六Kmほど離れたところに、一軒だけ定食屋がある。 オレが生きてきたジカンの三分の一ほどの彼等は、 旺盛な食欲の合間に自分の往く末を少しだけ語った。 夜間作業で凍ったオレの作業服は、 乾燥したホテルの暖房でたちまち乾くのだが 硬く重い拘束服になってしまった。 ただでさえ歩きづらい雪の上でオレの身体を拘束する。 夜のマイナスも晴れた日差しに熱伝導のイイ鉄枠は、 すぐに温まってしまうから 直射を遮るブルーシートを張るために、 高い足場へ上り下りするオレは蛹のような動きになる。 遅々とした凍りの成長を確認するたびに 気分まで少し重くなってくる。 蛹を脱皮したオレは、 マイナス十五℃以下になる硫酸銅の色をした 明け方の空に氷の成長を祈る。 タイトルは<空を真似た青>だ。 ![]() 圧倒的な火力で液状に溶かした鉄や硝子を、 砂型や石膏型の鋳型に流し込んできた オレの今回のゲージツは、 型枠の中に注入した4トンの<水>が 自然の極寒力で鋳造するヒカリのオブジェは、 四月初めには溶けて水に戻り春の原野に還っていくのだ。 ニューヨークのギャラリーに一〇トン弱のオブジェを 運び込んだのは今年六月だった。 このまま極寒のなかに大晦日まで過ごして、 この強く儚いジカンに身を委ねる企みは、 オレの<2005>の締めくくりになるのである。 ●アラスカマラミュート(2005-12-28) 朝からの吹雪きのなか凍り点検を終わり 部屋に戻ってウトウトする。 クリスマス騒ぎも終わった映りの悪いテレビが、 盛んに「御用納め」を繰り返して 世間に年の瀬モードを煽っている。 下界にいたところでオレは納竿の釣りで、 房総辺りの釣り宿を巡っているのが関の山だが、 極寒のチカラで水の鋳物に願いを込めて 過ごすゲージツには<御用納め>はないし、 海も遙か遠い原野のなかである。 昼間マイナス一桁の気温でゆっくりになる凍りの成長は、 マイナス二〇℃近くまで下がる明け方いっきに成長する。 まだ健気にエアーをブクブクと噴き出し続けてはいるが、 すでに三メートルの上端まで あと五センチの処まで氷結して、 細いホースごと氷に埋まってしまったノズルは もう抜くことはできない。 春が来て解けたら、落下サンに送ってもらえばイイか。 ![]() 制作のたびに立ち寄る作業詰め所の裏に、 打ち込まれた一本の鉄杭に いつも三メートルほどの綱で繋がれた、 大きな犬が気になっていた。 堂々とした体躯の割りに少し怯えてみえていたのだ。 ヒトの姿を見ると急ぎ足になり ひたすら時計と反対回りになって、 直径六メートルの円を雪の上に描く。 彼はアラスカマラミュート種のまだ一歳半で <ハリー>という名前だ。 飼い主が山の中に繋いで餌だけを与えるだけだったから、 まだあまりヒトを見たことがなくて慣れてないのである。 スキー場で犬ぞりチームを率いるリーダーが、 最近引き取ってチームに入れるように 馴らしているのだと落下サンが教えてくれた。 前は<シャイアン>と呼ばれていたと言う。 詰め所は出払って誰もいなくなった。 裏の深い雪の中で相変わらず時計回りの <ハリー>がいた。 オレの気配に<ハリー>は一瞬こっちを見てから 逆回りになった。オレはゆっくり近づいていく。 ゆっくり、ゆっくり‥‥、 五、六メートルで止まって腰を低くした。 二〇分ほどそのままの格好で彼を見ていると、 <ハリー>はオレの前で止まった何度目かだった。 オレの眼をジッとみすえている。 今度は時計回りに変わった。 「シャイアン!」 わざわざ古い名前で呼びかけてみた。 するとオオカミに近い孤高な顔付きの目が 心持ち微笑んで、差し出す手に鼻面を擦り寄せてから 雪の上に横たわり腹を上に向けるではないか。 「ヨシヨシ‥‥、もう大丈夫だ‥‥」 荒野の友人が増えた瞬間だ。 撫でていた全身の硬い毛並みは野生を想わせた。 同心円を描いてジカンをやり過ごしているより、 極寒の荒野を疾走する姿を見たくなって、 こっそりと首のカナビラを外して放してやりたくなった。 『お前はソリ曳きになるらしいぞ。 いつかオレを乗せて奔ってくれよ』 寒くなったし飽きてきたから宿に戻る。 紅いコイノボリが泳ぐ雪空が小降りになっていた。 予報ではマイナス二〇℃になるらしい今夜は 最後の注水だ。 ![]() ![]() ●空を真似た青(2005-12-30) 昨夜ついにマイナス二八℃に達して、 今朝は放射冷却の快晴だ。 風を孕んで衣擦れの音を放って 十一メートルの紅いコイノボリが泳ぐ空を、 山々の稜線がくっきりと切り取っている。 全ての意味を<無>にするような青い空を眺めていた。 ガキの頃過ごした製鉄の街の空は いつも煤煙でカラフルだった。 風の具合で煤煙が吹き飛ばされて 真っ青になる日があって、 口をあんぐり開けたままいつまでも見上げていたオレは、 近所で「バカのカッチャン」と呼ばれていた。 それでも構わず色が 変わっていく空の縁に見入っていたものだ。 <バカ>は大きくなり還暦もすっかり過ぎてしまった。 釣り糸の片方に魚がついていて、もう片方に <バカ>というオレがいるのが釣りジカンだが、 エサを確かめ鈎の大きさを換え ラインを取り替えてみたところで 全く魚が食い付かない日は、 虚しく釣り糸を垂らしているだけの<バカ>になって、 青い空を絶望的な気分で見上げることになる。 山のFACTORYではゲージツに愚直なオレになる。 甲斐嶽がクッキリと青い空に突き刺さる日は、 あっさりシゴトに飽きてしまう<バカ>に戻ってしまい、 アカマツ林に設置した牟礼から運んだ 直方体の石の上に横になり、 いつまでも空を眺める癖は今でも治っていないのだ。 放射冷却の青空は久しぶりだ。 誰もいない草原の白樺に張りついた ダイヤモンドダストが枝先でチカチカと光っている。 風の衣擦れに混じって澄みきった小さな金属音が 頭蓋に刺さってくる。 防寒帽をとるともっと明快な音になる。 あんぐりと開けていた口の中からさえ染み込んできた。 風と日差しと凍結とが奏でる音楽に 聞き入っているうちに、 オレは広大な雪原の景色のなかに解き放たれていたのだ。 ![]() 二〇〇五年もおしせまって 天がオレにプレゼントしてくれたマイナス二七℃で、 ≪空を真似る青≫の最後の注水が完全に凍っていた。 コンプレッサーを外した。 夜間作業用のライトも片付けた。 水を透明な鋳物にするゲージツもフィニッシュが近づいた。 二〇〇六年元旦の朝、鉄枠を解体することにした。 ●明けましておめでとう(2006-01-02) 快晴の元旦。いよいよ型枠外しの朝一〇時。 「明けましておめでとう」 落下さん、ミッキー君はじめ解体部隊は すでに詰め所で準備万端である。 都市の土木工事で使う コンクリートの巨大なマンホールを造るための型枠を 雪の原野 に運び込んだのが三週間前だった。 三六枚の型枠を組み合わせUクリップで留めながら 外径二メートル、内径一.六メートル、 高さ三メートルの鋳型を造り、 この型の中に注入した三.六トンの水を、 極寒の大気温だけで透明なヒカリを宿す 巨大なピュアな鋳物にするゲージツである。 不足だったUクリップや、 薄過ぎてやり直した内側に貼ったビニールなど、 初めての試みに不測の事態の連続だった 二〇日間だったが、 クリアーしてきたのは極寒のヒカリを求める強い願いだ。 デリー空港に降りたって軽トラに乗り込んで ダライ・ラマ法王の亡命先である ダラム サラを目指したのは、 一九九四年の歳の暮れだった。 土の道を往きあまり見当たらない鉄のスクラップを 拾いながら、ダラム サラに着いた時は 荷台の半分ほどになっていた。 何度も火を吹く古い溶接機を騙しながら制作していると、 宮殿訪問を許されて法王にお会いしたのだった。 大晦日に仕上った<Space Egg>を 火炎に包みカウントダウンしてから、 元旦に≪Free Tibetto≫の熨斗紙をつけた <Space Egg>を法王に献上したのだった。 二〇〇六年、元旦のトマムの朝。 オレは<空を真似た青>に登り 梯子で三メートル底に降りていった。 落下さんも降りてきた。 Uクリップを外し内型枠を外していくのだが、 薄いビニールは凍りと鉄枠を離すのは役に立たず、 剥がすことに難航して三時間も過ぎていた。 ![]() それでも、一枚、二枚と外した型枠を ミッキー君たち解体部隊が手渡しで外に出していく。 透明な凍りが垣間見えてきた。 完全に凍っている水に少し安心したオレは、 今まで丁寧なシゴトぶりをするインカと交代してもらい、 外から見ることにした。 もう筋肉がヘラヘラしはじめていたのだった。 外枠外しは、いよいよ硬い殻から 新しい生命の全貌が現れる エキサイティングなジカンである。 全員で係わることにした。 Uクリップを外すと「バシッ!」不吉で嫌な音だ。 型枠と型枠の間が五センチほど開く。 密封されていた十一パーセント増大する 氷結のエネルギーが解放された音と共に、 大きな亀裂がはしる。 オレの予想を超えた美しさである。 外側は内枠よりいくらか容易に外れていった。 ![]() ついに快晴のヒカリを宿した <空を真似る青>の全貌が現れたのは 午後三時過ぎだった。 水の精が凍りのなかを亀裂と一緒に空に向かっている。 三.六トンの凍りのオブジェに みんなコトバもなかったが、 オレはこの迫力に大満足だった。 純金箔入りの一升瓶を開けてみんなに配り、 「改めて、開けましてオメデトウ。ありがとう」。 今回のジカンを共有できた彼等と一緒に、 この極寒の原野でもっと大規模なヒカリを 求めて往きたいと想った。 この春にはまた奈良で、 川口でゲージツを展開するのだが、 タフで閑かな幕開けだった。 ![]() ![]() ●青の狂詩曲(2006-01-03) 急行は吹雪の荒野を走っていた。 シャイアンの甘噛みの感触が遺る別れを告げた素手は、 車内灯の元で少し老けてみえた。 <空を真似た青>の残像が狂詩曲になって、 心地イイ睡りに墜ちそうになっていた。 「二メートルはあるオジロワシが舞い降りてきて、 雪の中で倒れていた鹿をついばんでいるのを見た」 と今朝の占冠原野の出来事を話してくれた 落下サンを思い浮かべていた。 強い柔らかな衝撃のあと急停車した。 「鹿と衝突したようです。今、調査しています」 アナウンスがあった。 死んだのかそのまま荒野に逃げ去ったのかは 知らされなかったが、急行はまた走りだした。 また世界のかたすみでは 明朝に<鳥葬>が行われるのだろう。 青いラプソディーに包まれたオレは 本格的な睡りに入ったようだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。
2006-01-11-WED
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