糸井 |
萩本さん、愚痴を言う相手とか、いますか? |
萩本 |
愚痴は、まわりに人がいないときは、
テレビを見ながら、愚痴言ってます。
まわりにいると、一切、
愚痴をこぼしてる風ではないですけど。
ぼくが家で、オリンピック見ながら、
立ち上がったり愚痴言ったりする姿は、
誰も見てないですからね。 |
糸井 |
オリンピックの中継で
北島選手に向かって
「金メダル、見てください!」
と言うシーンを見ていると、
「おまえが取ったわけじゃないだろう?」
とか、言いたくなりますよね。
ああいうときは、アナウンサーは、
「おめでとうございます」
と言って、ただ待ってればいいと思う。
選手に、用意してる言葉があったら、
そこで、なんか言いますよ。
あれは、テレビの思いあがりですよね。 |
萩本 |
スポーツ中継は
アドリブに見せていますけど、
台本がほとんどですね。
アナウンサーの位置が、
表彰台の近くに置いてある、
ということで台本になってるわけで。
オリンピックもそうですし、
プロ野球にしても、
「アナウンサーが待っているところに
選手が来る」というのは、
ぜんぜん、おもしろくないと思います。
野球なら、
「グランドを汚すな」というんで、
選手のものだと決まってるんですけど、
あれはやっぱり、優勝した胴あげの中に、
アドリブでアナウンサーが飛びこんだら、
もう、ぜんぜん違ってきます。
やっぱり、こちらから、走っていかないと。 |
糸井 |
「お客さんが、何を見に来てるのか」
について、話しあった形跡がないような
スポーツ中継も、ありますよね。 |
萩本 |
それがイヤなんです。
ぼくはスポーツにも、演出家なり作家なりが、
必要だという気がして、しょうがないんです。 |
糸井 |
そうですね。
作りものの試合をする必要はないけど、
「お客が何を見に来てるのか」を考えたら、
勝てばいい、だけではないとわかりますから。 |
萩本 |
プロ野球でも、
1年間かかって優勝したチームが、
胴あげをするけど……
ただその瞬間だけがもりあがる、
という演出を、変えてもらいたいんです。
昔、中日とヤクルトで戦って、
中日が優勝したとき、
視聴率が30%、いったんですよ。
東京のテレビで、巨人ファンが多い中で、
中日が優勝というだけで
数字がいくということは、
中日ファンじゃない人まで
見てるってことでしょう?
そうすると、やっぱり、野球には、
「優勝、胴あげが見たい」
ということしか、見せ場がないんですね。
……で、もう何十年も胴あげをやって、
見るほうも、飽きたんじゃないですか?
ぼくは、だから、
去年は、阪神が久しぶりに優勝をしたから、
誰がどんなことをするだろうと思っていたけど、
胴あげのシーンを見たら、
「優勝したくなかったんじゃないか?」
という気がしたの。
「優勝したら、俺は何したい」
という夢って、あるじゃない?
だけど、阪神が優勝したときに、
そういう絵がなかったの。
あれ?
じゃあこの人たちは、偶然に優勝したの?
そう思うと、何の感動もなかったんです。 |
糸井 |
阪神ファンが川に飛びこむというのは……。 |
萩本 |
そっちに、
球場中継が、負けちゃってるんです。
グラウンドの中に、イベントがない。
球場で野球を見ているよりも、
橋の上で優勝を味わった人のほうが、
おもしろいんだし、
テレビも、そっちに行ってるんですから。
橋を掃除するところから、
府知事が出てくるところから、
もうドラマがあって、
「それで、やっぱり飛びこんだ!」
グラウンドの中には、
そういう優勝のドラマがなさすぎだと思う。
前に、ヤクルトの古田選手が、
優勝したときに、
観客席によじのぼって、
観客に手を振ったんだけど……
あれは、ほんとに、よかった。
「あなたが優勝したかったということが、
よく、わかった!」
そういうのはね、拍手したいんです。
優勝したら、それをやりたかったんだね、と。
ぼくが監督として
野球を演出するとしたら、
チームが優勝しそうな日には、
選手の奥さんを、ぜんぶ、
ベンチに入れてありますから。
それで、感動してグラウンドに飛んでって。
「ご苦労さん!」だの言って、抱きついてね。
それで、テレビを見てる奥さんたちが、
「ああ、あたしも、
こんなふうに野球の選手の奥さんになりたい」
と思わせたら、一生懸命、野球見てくれるから。 |
糸井 |
それ、いいなぁ。 |
萩本 |
そうでもしないと、
野球場の現場はたのしいかもしれないけど、
それが、いまはもう、
テレビを見ている人に伝わっていないんです。
オリンピックでも、
野球でも、映っている選手が
カメラを撮るのはやめてほしい。
見ている人をよろこばせるのであって、
「現場がたのしい」だけでは、
見ている人に、伝わらないと思う。
いま、スポーツを見ていて
いちばん好きなのは、イチローさんです。
達人に近づいているような
「姿」が、いいですよね。
大リーグ中継の画面には、
言葉がないんだけど、
言葉がいっぱい見えるっていうんですか?
画面から言葉が聞こえてくる選手ってのは、
あのイチローぐらいだと思います。
だから、言葉がないんだけど、
こっちも、会話ができるの。
「だよね? イチローくん。
いまのは、場面が場面だから、
無理してセカンドゴロ打ったのは、
わざと打ったんだって、言いたいよね?
俺は、わかってるよ」
「ホームランは、
打てないんじゃないくて、
打たないんだよね?」
そうやって、いつも話しかけてる。 |
糸井 |
いい写真を見ると、
風景がにぎやかに話しているように、
画面に、言葉があふれているんでしょうね。 |
萩本 |
うん。
イチローは、目的があって、
達人を目指していると、わかるから。
テレビのこちら側に、
現場から、声が届かないかぎりは、
「何をしたいか」
は、伝わらないと思うんです。
笑いの分野でも、
公開番組やスタジオで撮る番組で、
テレビ局が考えているのは、
「そこに来たお客さんや、
そこにいるスタッフが、
どうおかしくあるべきか?」
みたいなことが、多かったの。
だけど、テレビって、
それじゃ、おもしろくないんですよ。
テレビの向こうの人が
おかしいと思ってもらわなきゃ……。
スタジオで、
スタッフの笑っている声をいくら入れても、
それは、向こうがおかしいんであって、
それをそのままこちらに伝えようとしても、
それだけでは、伝わらないでしょう。 |
糸井 |
スタッフの笑い声もそうですし、
見どころを字幕で出すのというのも、
「ここが笑うところですよ」
と常に言っているだけなんですよね。
そんなのばかりになっていると、
見る側が、自分で判断するヒマがない。
だから、見てくれていても、
好きにはならないんですよ。
テレビって、
見てはいるんだと思います。
でも、好きになってもらいたいんですよね? |
萩本 |
うん、大事な言葉ですね。
ほんとに、みんな、
見ていないんじゃないんだよ。
テレビ、見てますからね。
好きになってないだけで……。
好きになるということが、
何が大事かっていうと、
子どもたちが、好きになると、
その職業に就きたくなりますよね。
で、子どもたちに、
「その仕事に就きたい!」
というのが多くなると、
その産業が栄えてるんです。
テレビが好きじゃないとなると、
テレビに仕事として就きたくなくなるから。
新入社員がたくさん来るっていうのは、
その仕事がしたいわけでしょう?
そこに、なんか魅力があるんだと思うのね。
ぼく個人のことで言えば、思ったのは、まず、
「欽ちゃんになりたい!」と
子どもが言ってくれたらいいなぁ、ってこと。
すると、みんなが笑いを好きになってくれる。
たのしそうにやって、
「この人、たのしそうだ」
「なんか、ラクそうだな」
そう思ってもらえればいいんじゃないか、と。
ただ、いろんな仕事の中では、まだまだ、
テレビはそうとうランクが上だと思いますよ。 |
糸井 |
そうですね。
まだ、ピカピカしているんですよね。 |
萩本 |
オリンピックの柔道の谷本選手が、
「優勝して、古賀先生に抱きつきたかった!」
と言ったとき、
「谷本さん、よかったなぁ。
その気持ちがあるから、
金メダルを取ったんだよなぁ。
俺も、オリンピックの監督やりてぇや!」
と思った。
好き、って、そういうのが、あるかどうかで。 |
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(次回に、つづきます) |