領収書の謎
最近、POSレジでプリントアウトされたレシートに
「領収書」と印字されたものが多くなりました。
POS化によって事務の効率化が図られているからでしょう。
しかしこれまで私たちがイメージする「領収書」と比べると
ずいぶんちがうなぁ・・・。
「これで大丈夫か?」なんて思ってしまう。
一般的に私たちがイメージ領収する領収書とは、
朱印が押された、まるで通行手形みたいなものです。
紙幣のように複雑な模様が背景に入っているものも
あるくらい、捺印文化に裏打ちされた、複製困難なデザイン。
それが、私たちの信頼の証の拠り所でした。
そこには「機械が印字したものはダメ」みたいな、
獏とした通念がありました。
それに答えるためか、レジ横などに、
「当店のレシートは公式の領収書として」、とか、
「税務署にみとめられる」といった表記を見ることが
多くなってきました。
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平たく言えば、
「二度手間になるから、手書きの領収書を要求しないでね」
ということです。
手書きの領収書、
しかし、プリントされたレシートも領収書になるよ、
といわれてみると、
たしかに「なにがいけないんだ?!」となる。
どんなに凝ったデザインであろうと、領収書の紙なんて、
所詮文房具店で市販されているものにすぎないことに
気づきます。朱印といったって、担当者の三文判ですし、
立派な台紙をつかったからといって、
公的機関に裏打ちされているわけでも
ないわけですから・・・。
税理士の友人に聞いたところ、
法律で公式なフォームなんてものは
とくに法律で定められているわけでもないらしい。
ちなみに収入印紙が貼ってある、なし、は、
領収書の正当性とはまったく別のものだそうです。
じゃあ、これまで私たちが信じてきた
「正式な領収書」の条件って何だったんだ?
という話になってくる・・・。
●企業が認める経費と税務署がみとめる経費
サラリーマンにとって、清算前の領収書は、
現金と同じ意味があります。なくしたら「まる損」ですから。
しかし法人クレジットカードを持つようになってから
それが迷信のように思えてきました。
(かつてアメックスのコーポレートカードの広告には
「いちいち領収書を取らなくて済むから
経費の管理が簡略化」みたいなことがかかれていました。)
つまり領収書がなければ経費清算でない、というのは
あくまで各企業が定めた社内ルールであって、
領収書の存在と税務的に必要経費として認めることは
まったく別の問題ということがわかってきました。
どんなに公式で立派な領収書があったって、
税務署が認めなければ意味がない。いいかえると、
「支払われた」という内容の事実が証明されれば
領収書なんてあったってなくたって関係ない、
ということなわけです。
事実、アルバイトの学生に支払った給与に対して
本人から領収書なんてとりません。
相手の情報と振込みの記録があれば
いいとされているからです。
●「朱印」を信頼の拠り所としてきた文化
機械から印字された領収書には、
日本人にとって信頼の証ともいうべき
「朱印」は見当たりません。
見た目はレシートとあまり変わらない。
じゃ、領収書とレシートは何が違うのか、
周囲にあるありとあらゆるレシートと領収書をかきあつめて、
この二者を比べてみました。
金額や支払い先住所、日付、明細、問い合わせ番号、
といった情報は、レシートにも入っているものは
いくつもあります。
しかし、決定的な違いは見つからない・・・。
と思ってみておりましたら、
たったひとつだけ違うものを発見しました。
そう、それは逆説的ですが、
「領収書」という言葉が書かれているか、いないか、
の違いです。
そうか・・
つまり「領収書」と書かれているものは、
いざ問い合わせや確認がはいったときに、
「ちゃんとこちらでも内容確認がとれますよ」
という、意思表示、いいかえれば、
受け取り側の体制、のようです。
つまるところ、どんなに立派な書式であっても、
紙単体で完結した「完璧な領収書」なんてものは、
この世に存在しない、ということかもしれません。
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