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フランコさんのイタリア通信。 |
これからのミラノ、これからの中国。 4月12日の朝のことでした、 ミラノの街の一画で、 10枚ほどの赤い旗が風にはためき、 道路には100人ほどの中国系の人々が、 警察と闘いを繰広げていました。 いつもと同じ朝のはずなのに、 道の真ん中では車がひっくり返っており、 こん棒と盾を装備した警察隊がそこに居ました。 まるで、イタリアに対しての、いやミラノに対する 民衆の蜂起が起こっているかのような混沌が、 そこにありました。 ![]() ミラノはイタリアで一番の産業都市であり、 この国の商業的なモーターとも言える存在です。 そして世界の他の大都市同様に、 ミラノにも「チャイナタウン」があります。 中国移民たちが管理運営している一画で、 彼らは最近10年ほどのうちに、商店や住居アパート、 革製品の小さな工場、靴の製造所、 レストランなどを買い取っていきました。 10年前まで、 ミラノ市民は中国系の人々を快く受け入れていました。 その後、中国からの荒々しいまでの移民がありました。 かれらは100人、1000人と大挙して、 それぞれに兄弟姉妹や、あらゆる「親戚」を連れて 到着しました。 こうするうちに、 ミラノにおける中国語は、 イタリア語の次に多く使われる言語となっていました。 金銭を生み出すあらゆる現場には、 連盟や結社ができるものです。 お互いの有利を計り、守りあう仲間ですね。 中国系移民の中小企業も結束しました。 まもなく多くのイタリア人が、 彼らを「上海マフィア」と呼ぶようになりました。
4月12日の朝、警察は、 中国人の商人たちが イタリアの法律を守っているかどうかを確かめるために、 書類や税金の支払いを調べようとしていました。 多くの違法がみつかりました。 そして警察が商人や店主らに罰金を科せようとした時、 ミラノのチャイナタウンの中心地である パオロ・サルピ通りのアパートから、 何百人もの中国人たちが何の前ぶれも無く 突然姿を現したそうです。 ![]() 警察官たちは取り囲まれ、 数人の中国人が道路を塞ぐために車をひっくり返し、 それから騒乱が始まりました。 ミラノでは、 イタリア人と外国人の間でこうした騒乱が起きたことは、 今までありません。 ![]() 警察はこん棒を使い始め、 ひとりの中国人女性が殴られて取り押さえられると、 中国人たちの反応は荒っぽさを極めました。 中国の赤い旗が10枚ほどひるがえり、 この騒ぎによって、 チャイナタウン全体とその周辺の交通が、 数時間にわたってマヒしました。 ![]() ![]() 夕方ごろ、中国の領事が介入し、 彼はイタリア警察が乱暴を働いたとして 公式に非難しましたが、 それに続けて、中国人たちに、 家なり店なり、バッグや靴を作る仕事場なりに、 戻るように頼みました。 ミラノは最近、 アフリカやイスラム系の人びとの 暴動を恐れていたのですが、 そうではないところから騒動が起きてしまいました。 この先10年ほどで、 中国は世界一の大国になるかもしれません。 勢力が増すに従って、 こうした騒動の可能性も増えていくのが 人間社会の常だとして、 それを心配するイタリア人も多くいます。 世界情勢は刻々と変化しており、 ミラノという大都市が、 それに無縁でいられるとは思えませんから。 今回の出来事を見て、 「これからのミラノ」が、もう始まっているのかなと、 ぼくは思ったのでした。
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2007-04-17-TUE
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