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フランコさんのイタリア通信。 |
イタリアのクリスマス。![]() イタリアのデパートでもっとも格の高い 「リナシェンテ」(La Rinascente)が、 キリスト教会からお叱りを受けました。 その理由は、 リナシェンテではクリスマスツリーは売るのに、 プレゼーペを売らなくなったから、というのです。 プレゼーペとはいったい何でしょうか? 今日はそれをお話ししましょう。
クリスチャン(キリスト者、キリスト信者)にとって、 2006年前にベツレヘムの小さな街で イエス・キリストが誕生したことを記念する 12月25日のクリスマス(キリスト降誕日)は、 喜びと幸せの祝日です。 イタリア語ではナターレ(Natale)と言いますが、 これはナーシェレ(nascere=生まれる)という 言葉から来ています。 ![]() ナターレはクリスチャンにとって 最も大切な祝日なのですが、 2000年以上の年月の中で、 この宗教的行事は全世界的に 巨大な商業的事業に姿を変えてきました。 しかし、キリスト教主義が ひとつの宗教以上の意味をもち、 2000年にわたって日々の暮しを 左右して来たイタリアでは、 ナターレは「子どもの祝日」のように祝われます。 子供たちが幼いキリストに願うプレゼントを もらえる日というわけです。 ナターレに子供たちがプレゼントをもらうという 伝統の発端は、歴史上の言い伝えによります。 生まれてすぐのイエスを東方の三博士がおとずれ、 贈り物をしたと書かれていることに 由来しているのでしょう。 三博士はそれぞれ、インドのメルキオーレ王子、 アラブのバルダッサーレ王、 アルメニアのガスパーレ王といい、 光の尾をひいてイエスの生まれた場所を指し示す 大きな星の後をついていったと伝えられています。 ![]() 彼らは、生まれたばかりのイエスの前に到着すると、 それぞれの最高の贈り物をしました。 黄金、乳香(にゅうこう) そして没薬(もつやく)です。 黄金は王のためにとっておかれた物であり、 乳香は神の祭壇に香りをつける物、 没薬は病人や死者にとって 奇跡を起こすとされていたことから、 これらは当時は「最高の贈り物」とされたのです。
このことを思い起こし祝福するために、 クリスチャンは伝統的に子どもたちに 贈り物をしてきました。 そうしてイエスの誕生の記憶を新たにしたのです。 やがて1223年、アッシジの聖フランチェスコが、 神聖な催しをイタリア中部にあるグレッチョ城内に 用意しようと思い立ちました。 それは イエスが生まれた貧しい場所を示した星、 イエスの両親であるヨハネとマリア、 そして東方の三博士などで 「キリスト降誕日」の情景を表そうという催しで、 当時は肉も骨もある実際の人間が演じました。 これがプレゼーペの始まりです。 (下の写真は、世界最初のプレゼーペの再現のようすです) ![]() はるか昔の1223年以来、 この催しは小さな彫像の飾り物に形を変えながら イタリア全土で引き継がれ、 イエス・キリストの誕生という クリスチャンにとっては特別な歴史の日に、 「詩」とも言える叙情を添えて来ました。 そしてどの時代にもイタリアの子供たちは、 自分にも東方の三博士が来てくれますようにと、 プレゼーペの前で祈りました。 幼いイエスにしたみたいに プレゼントを持って来てね、と。 これが2000年を越える イタリアのナターレの伝統だったのです。 現代ではクリスマスツリーや、 ソリにのって素晴らしい夢のあるプレゼントを 持って来てくれるサンタクロースなどが、 イタリアにも伝わって来ました。 でもそれは北ヨーロッパの伝説が 世界中にひろまった習慣のようなものです。 それはそれとして、プレゼーペは紛れもなく 「イタリアの伝統」として残っています。 イタリアでは贈り物はサンタクロースではなく、 キリスト降誕日に 幼いイエスに最高の贈り物を持ってきた 東方の三博士によってもたらされるのです。 プレゼーペは1223年以来、 このことをイタリア人に思い出させます。 減少しつつあるとはいえ、 それでも70%のイタリア人たちが 情熱と愛をもって飾ります。 プレゼーペの大きさは、 家庭用のごく小規模な物から、 駅の構内、教会などで 独自に用意する大規模な物まで様々です。 家庭では、日本のお雛様のように、 毎年同じ物を飾るのが普通ですが、 自分の手作りで楽しむ人も居ます。 プレゼーペは、 正真正銘「made in Italy」の クリスマスグッズなのです。 それを、もう売らないって、 リナシェンテが教会からお叱りを受けるのは もっともだと思うイタリア人も、 少なからずいることでしょう。 ![]()
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2006-12-19-TUE
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