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フランコさんのイタリア通信。 |
アドリアーノ、レアルへ?! インテルのティフォーゾたちは、 アドリアヌス帝という歴史的に偉大な皇帝と 同じ名前のこの選手に、 「皇帝」というニックネームをつけています。 そう、それはアドリアーノ。 皇帝は、インテルの文句無しのアイドルです。 ところが、ティフォーゾたちがかれを崇めたことを 後悔することになるかもしれない事件が、ぼっ発しました。
いつまでインテルにいても、ニックネームとは裏腹に、 「帝国」なんか持てやしないと、 アドリアーノは思ったのでしょうか、 スペインのテレビ局のカメラの前で、 もう我慢できないというような表明をしたのです。 彼ははっきりと、こう言いました。 「ぼくの夢はレアル・マドリードでプレイすることです。 そこではサッキに会えます。 彼はパルマ時代には、 ぼくの第2の父親のような存在でした」 この言葉はイタリアのテレビ局でも放映されましたから、 さあ大変、イタリアではまさに大騒ぎとなりました。 ![]()
インテルではすぐに会議がもたれ、その後の記者会見には、 モラッティ引退後の会長職をひきついだファッケッティと、 アドリアーノ自身も出席しました。 このブラジル人選手は 自分が誤解されていると弁明しました。 彼がほんとうに言いたかったことは違うのだと。 ‥‥この手の記者会見に、ありがちな弁解です。 一方ファッケッティは、 レアル・マドリードからの通知を読み上げました。 レアルは彼と接触はしていないし、興味はない、 という内容でした。 でも、ですよ、 2003年の4月に、 レアル・マドリードはこれと全く同じ内容の事を、 ベッカムのレアルへの移籍について発表しているのです。 そしてその数カ月後、 ベッカムは当のレアルに移りましたからね。 ![]() インテルにとってはもうひとつの不安材料として、 ロナウドの前例もあります。 彼は日本でW杯に優勝した時には インテルに所属していました。 ロナウドはW杯終了後の2002年8月に レアルへの移籍を希望し、 彼をとても可愛がっていた 当時の会長マッシモ・モラッティですら 彼をインテルに引き止めることはできませんでした。 2002年8月のロナウドのレアルへの移籍は、 インテルのティフォーゾたちに大衝撃を与え、 彼らはこのチャンピオンに裏切られたと思いました。 あんなに愛してあげたのに、 彼が長い故障から立ち直ることを こんなに祈り、待っていたのに、ってね。 現在、誰もが知っているようにレアルにいるロナウドは、 アドリアーノの表明をうけて、こうコメントしました。 「インテルで勝てない人間が レアルに移りたがるのは当然だ。 彼を引き止めないほうが良い」 アドリアーノのインテルとの契約は 2008年6月30日まで続きます。 そしてこのミラノの会社は その契約を彼に守らせるつもりでいますが、 そううまく行くと、 だれもが思っているわけでもありません。 レアルがインテルよりも良い条件の契約を贈り、 今回もまた一人の偉大なチャンピオンが レアルの役に立つためにミラノを離れるのかという いやな予感もします。 2002年8月のロナウドの場合のように。 ![]() マッシモ・モラッティは アドリアーノの名声をもとに彼を高く売るでしょうが、 インテルのティフォーゾたちにすれば、 契約金目当ての譲渡を許したくはないでしょう。 アドリアーノはインテルのティフォーゾたち、 “インテレスティ”のアイドルなのです。 彼らの心の中でロナウドの穴埋めをしてくれた このチャンピオンが、まだ、そしてこれからも長く 黒青のシャツで闘ってくれるのを見るつもりでいるのです。 インテルとレアルの腕相撲というところでしょうか。 経済力がスペインのこの組織にあり、 彼への思いと支持する力が、 イタリアの、このチームにはあります。 金銭vs.愛情。 どちらが勝つでしょう? 今までは「金銭」が常に勝利してきました。 今回、初めて「愛」が勝利することになるでしょうか? ともかく勝負が始まりそうな気配だけは、 漂いはじめました。 ![]()
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2005-01-31-MON
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