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フランコさんのイタリア通信。 |
イタリア敗退。 トラパットーニのアズーリが雪辱を果たせませんでした。 イタリアは、弱いと目されているブルガリアに 勝つには勝ちましたが、 持ち点でスエーデンとデンマークにおよばず、 EURO2004(UEFAヨーロッパ選手権)から敗退しました。 トラパットーニ監督が2年のあいだ 待っていたチャンスでした。 彼は、あの2年前のW杯における対韓国戦の敗北という アズーリの無様な姿を、 アズーリ自身とイタリアのティフォーゾたちに 忘れさせるための雪辱戦として、 今回の試合に挑んだはずでした。 ところが結果は、 トラウマから解放されるどころか、 悲惨な負けのイメージを上塗りした格好です。 アズーリはポルトガルから 頭うなだれて引き上げました。 僕は、この結果は、 彼らの傲慢に罰が下ったのだと思っています。
トッティは第1戦に出場しましたが、あろうことか デンマークの選手につばを吐きつけたことで、 失格処分になりました。 ![]() デル・ピエロは1ゴールさえ決められませんでした。 彼のプレイは色褪せ、情熱の感じられないものでした。 ヴィエリは、これはまた大仰でノロノロしていて、 カバだかサイだか、あの硬皮動物の一種みたいでした。 この3人のチャンピオンがイタリア代表チームを ヨーロッパの頂点に導くべきだった、主力選手たちですよ。 これでは、勝てるわけはありませんでした。 ![]() 総てにネガティブな遠征試合ではありましたが、 唯一の救いはアントニオ・カッサーノの台頭だったと 言えるでしょう。 22才の、この若いアタッカーは、 まさにトッティの失格によってメンバーに入れられ、 そのまま出場しつづけました。 出場しつづけたと言っても 2試合にも満たない時間でしたが、 彼はその中で2ゴールを決め、 ヨーロッパ中のサッカー界の注目を集めたのです。 ![]() さて、アズーリはこの敗退の苦悩と苦さと、 そこに追いかぶさるイタリアの ティフォーゾ全員の叱責の中で、 ポルトガルを去る時には、 まるでぎくしゃくしていました。 ![]() ![]() ![]() ポルトガルでのアズーリは、 イタリア人が最も愛さない姿のイタリア代表でした。 そして、 この負けには、なんの申し開きの余地もありません。 人々は、もはや確信しました。 イタリアのサッカー選手は今や金まみれで、 コマーシャル出演の契約や、 ファッションショー見物や、 テレビに出演することばかり考えている、 彼らにとってプレイは二の次なのだ、と。 いまや、なにもかもが流行の真似事なのです。 トッティは第1試合の時に妙な髪型で現れました。 ベッカムが去年していた格好に 似ていると言えなくもないような‥‥ カモラネージの頭はといえば、 これはなんと昔の侍(samurai)みたいでした。 ザ・ラスト・侍を気取ったつもりでしょうか。 アズーリに大金を注ぎ込んだスポンサーたちは、 イタリアの敗北に怒りまくっています。 あるスポーツ用品の会社はトッティに対して 怒りがおさまりません。 彼は第1試合の後で、 靴の具合が良くなかったので 良いプレイができなかったと 言ってのけたのです。 そしてアレッサンドロ・デル・ピエロに至っては、 彼の大きなスポンサーである 有名なミネラルウォーターの会社との 契約取り消しの危機におよんでいます。 アズーリはもう良いイメージが無いじゃない、 ということで。 ![]() 監督は、もちろん交代でしょう。 トラパットーニの契約は7月15日までですが、 それを待たずに交代させられる可能性が高いです。 イタリアのフェデレーションはすでに、 次の2年間のためのアズーリの監督には マルチェッロ・リッピを予定していると言っています。 彼は、ユベントスのティフォーゾには人気がありますが、 ACミランやインテルやローマのティフォーゾには 好まれてはいません。 ![]() トラパットーニがアズーリの監督になった時には、 イタリア人の誰もが彼を歓迎したものです。 マルチェッロ・リッピは今のところ、 イタリアの半分、つまり彼が長く監督していた ユーヴェのティフォーゾにしか歓迎されていません。 彼がイタリア代表の監督として 全イタリアの好感を得るためには、 さっそく「彼のアズーリ」が以前より優れていると 証明しなければなりません。 とりわけ「勝てる」ことを見せなければ、ね。 まずは2006年のW杯でしょう。 ここでもイタリアが勝てなければ、 リッピもトラパットーニと同じ終わりを迎えるのは 必至です。 ![]()
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2004-06-28-MON
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